selection: すべての夢

時間を超えた同居人

僕の部屋に、二人の闖入者がいる。厄介なことに、自分自身が闖入者でないという自信がもてない。見知らぬ男が二人、そして自分の合計三人、このなかの誰か一人がここの持ち主で、あとの二人はウソをついている。困ったことに、誰一人ウソをついているようではない。
この中の二人は、タイムスリップで現在にやってきてしまったのではないか、と一人が言う。全員がここの主であるが、それぞれ別の時間を生きているなら説明がつく。きっとそうに違いない。では、今現在の持ち主が誰かはっきりさせるために、部屋の中にある物それぞれについて持ち主を割り出せば、間接的に部屋の持ち主がわかるのではないか。
しかし、床に並べた小物をひとつづつ検証していけばいくほど、三人それぞれの主張する所有物がほぼ均等に配分されてしまい、ますますそれぞれの浮遊感が増していくのだった。

(1999年8月27日)

缶の高下駄

一足先に坂をのぼり佐々木の部屋に到着した僕は、Samがまだ来ないがどうしたんだろうかと佐々木の母親に尋ねる。すると安斎さんいますか?と言う声とともに突然窓の外にSamの顔が現れ、僕はひとまず安心するのだが、しかしここは二階なのにどうして窓から見える顔が水平方向なのだろうと、乗り出して見るとSamの両方の足もとは黒い空缶の上にある。その空缶も空缶の上にあり、視線を地面まで傾けると二本の長い直列空缶の上にSamが乗っている。紐つきの空缶を両足に履く竹馬遊びなら知っているが、こんな高下駄は見たことがない。どこでそんな芸を身につけたのかと尋ねるやいなやSamの背中から空に伸びたピアノ線は高いクレーンについた滑車に引き込まれ、Samも空缶もろともすすすーっと天空に舞い上がっていったのだった。

(1999年6月30日)

巫女の楽器

東上線沿線の山寺を改造した蕎麦屋に来ている。板の間に腰を下ろし蕎麦を待っていると、白装束の巫女が僕の股間に顔をうずめてペニスを舐め始める。思わず発した自分の声を、自分で止めることができない。巫女が指で管を開閉するまま、声が笙の和音になってしまう。

(1999年6月12日)

氷型

われわれのバンドはメンバーが三名で、ひとりはLArcEnCielのボーカル、もうひとりは図体のでかい中山真樹らしき男、そして僕。次のイベントにむけて等身大の裸体像を作ることになり、これから型を抜く。中山真樹がまず矢面に立ち、全身氷で覆われる。それほど寒くはないが、氷と皮膚をいっきに剥がす時ぴりぴりと痛み、全身赤い網目模様になるのがつらい、と訴える。僕はバンドの真中なので、順番としては次だ。覚悟を決めているにもかかわらず、用意した氷があとわずかなので、早速製氷するか氷屋から買ってこなくてはならないということで執行猶予になる。小林龍生さんから、特に用事はないが近況を知りたくて、と電話がかかってくる。実はかれこれこういうわけで自分の型を抜くところだ。それは、自己のイメージを客体化する良いチャンスだ、とかなんとか話しながら、さてどういうポーズで型を抜くか思案をめぐらしている。座って両腕を両腿に挟もうか、思いきり立ちあがって股間を手で隠そうか、などなど。

(1999年5月31日)

ピンクの小猿

修学旅行のバスは、休憩所に着くたびにみな揃って降りるのが面倒だ。このバスはしかも飛行機なのだから、トイレだってちゃんと機内にある。着陸時に目に入った色とりどりの小箱のような町並に心を引かれながら、しかし小箱に分け入って写真に収めてくる時間のゆとりもこの休憩にはないことだから、僕は降りずに機内から窓の外をぼんやり眺めていた。
窓のほぼ真下にある水溜りのような淀んだ小川に、ピンク色の猿の死体がいくつか、うつ伏せで浮いている。大きさは、おそらく掌に乗るほどだろう。ふと元気のよい生きた猿が、ファインダーの外から飛び込んできて、瞬く間にフレームの外へ過ぎ去った。

(1999年2月22日)

色鉛筆の通路

駅前広場を出て道を左に折れると、機械油を吸い込んだ灰色の壁が延々と隣駅まで連なっている。この道は現在もあるが、こんな無彩色ではない。景色が単純で灰色なのは、今歩いている道が子供のころの道だからだ。
子供のころの道を歩きながら、ふと思い出した抜け道に分け入ると、そこは土砂や建築資材をうずたかく積み上げた場所で、登っていくと友達の父親が経営している工場の門があらわれる。
友達がくれた工場の見取り図には、坂の下までいっきに降りる土管が書かれている。子供のころは通り抜けるのがなんでもなかったその図面上の土管を、僕は白い色鉛筆を使って何度もなぞっている。こうしておけば、色鉛筆が蝋のように滑って体がつかえてしまうこともない。

(1999年1月15日)

青錆色の書物

僕とその女は、それぞれ自転車に乗って長い坂道を降りている。僕たちは、ある使命を帯びているために、こうやって急な坂道を猛スピードで下っているのだ。
坂道の終わりに、土をうずたかく積み上げた本屋がある。ここで扱う本はすべて青錆色の砂鉄で、注意深く掌の中央に集めていかないと、吹き飛ばされてしまう。「知識とはほんの一握りの青い磁性を帯びた砂粒にすぎない」と砂鉄製の本に書いてある。
われわれは何冊かの本を汗ばんだ掌にくっつけたまま、さらに自転車に乗って、広大な公園に到着する。地面から半ばあらわになった半径数十メートルの赤い陶板をコースにして、彼女の自転車は巡回軌道に入った。それが、彼女のみつけた使命なのだ。僕もまた、そのような色つきのコースを発見すべく公園を走り回っているのだが、なかなか見つからない。公園を監視する正装の男が見かねて、僕を青い陶板の在り処に連れていこうと手招きしている。

(1998年6月7日)

巨大昆虫篭

日暮の野原に忽然と建つ巨大な昆虫篭の中で、人なつこい農家のおばさんが、僕とSamにこの建物の中に生息する昆虫について話をしてくれるのだが、僕の頭には言葉の意味が入ってこない。Samは、僕以外の誰にも会わないと思ったから裸の上にコートを羽織って来てしまったと言って、ボタンを外して中を見せてくれたのだった。黒い暖かそうなコートの下の白い胸を思い出していると、網ごしに見える遠方の崖が突然崩れたりする。このおばさんの解説が終われば、どんどん暗くなる篭の中でSamとしたいことがいろいろあるのだが、と思いながらも、終わりそうにない話の抑揚を音楽のように聞いている。

(1998年1月21日)

反転ポット

髪の短いその女が誰だかわからないまま、Fといっしょにやってきたのだからきっと古いつきあいなのだろうと思い、親しげに話している。
「髪切ったんだね」「あ、一年前よ」……やはり思い出せない。彼女は、ここらへんに小田原城跡のような店がないか、携帯電話のケースを買うのだ、と言う。

彼女たちに紅茶を入れようと、ガラスのティーポットに紅茶葉を入れ、お湯をそそぐ。少しお湯が足りなかったので、急いで少量の水を湧かし、そして卓上にあるティーポットを見ると、なんと口が下を向いて紅茶も葉も外にこぼれ出ている。透明だからこういう間違いをするのだろうか、と思いながら、上下をひっくりかえして葉を入れ直す。コンロのお湯に目をやり、ふたたびポットを見ると、またひっくりかえっている。Fがその一部始終を見ている。もしやと思い、逆立ちしたポットの底を押してみると、それはまるで飴のようにゆっくり変形し、テーブルにめり込みながら平らなガラスの円盤になり、そして完全に裏返ってしまった。Fはなぜか動揺せずにそれを見ている。僕は度肝をぬかれながら、不思議に気持ちよいポットの弾性を何度も手で確かめている。

(1998年1月17日)

近森式便所

体育館のような展覧会場に、近森さんの作ったトイレがあるという。そういえば、ちょうど用を足したかったところだし、ちょうどいい。何人かの小学生が、話しながらトイレから出てきた。彼らは、これが作品だということを理解しただろうか。
男子用の便器が並び、その間仕切りにスピーカーが埋め込まれている。便器の中のアクリルの小箱をめがけておしっこをかけると、左右から痛快な低音に挟まれる。なるほどそういう作品ね、と、アクリルをめがけたおしっこの勢いが落ちて放物線がはずれた瞬間、目の前の壁がぐらぐらとゆらぎはじめ、驚きのあまりおしっこが止んでしまった。その壁が液晶ディスプレイで出来ていることにようやく気づくと、まんまと仮想風景にだまされて生理現象までコントロールされてしまったことが、悔しくてならない。

(1997年11月3日)

第二東京タワー

ここのところ、外の景色などとんと見ていなかったとはいえ、ベランダに出てみるとほとんど目の前に迫る「第二東京タワー」が完成しつつあるのには驚いた。タワーのことは噂には聞いていたが、それにしてもこれは近すぎる。まるでゴジラがそこにいるような、恐怖を覚える。抗議に行かねばなるまい。
そして、抗議のためのツアーに参加したわけだが、参加者の誰ひとり自分たちの抗議が届くとは思いもよらず弁当を食べつづけているのに腹が立つ。粘土の服を着た男に、ともかく大事なのは都議会議員とアポなしで会うことだと焚き付けて、二人でガード下の議員事務所を訪れる。議員秘書らと会える会えないの揉み合いをしているうちに、途中からなぜか、プログラムのコンポーネントがインストールできるか外せるかという話にすり替えられている。彼らはとことんずるい。

(1997年10月23日)

漂流バス

久しぶりに会う蒼井さんとの待ち合わせに30分遅れてしまう。すでに来ているMがそれを咎めるが、どうしたってこの時間より早く着くことはできないので、咎められたことに憤慨する。蒼井さんが皮肉っぽく「20年前とまったく変わってない。変わったのは散髪したことぐらい」と言う。僕は、頭にきて帰ってしまうことにする。捨てぜりふに「散髪だけ残しておきたいところだ」と言うが、意味を理解してもらえない。

駅のホームで、Mが追いかけてこないかと人影を探しながら、しかし滑り込んできた電車に乗ってしまう。この電車は都心から離れる下り列車だが、大回りして都内に帰宅するルートを僕は知っている。ところが、あるところでこの車両だけ切り離され、路面を走るバスになった。分岐する車両があることは、なんとなく知っていた。しかし、この方向では家からどんどん遠くなるばかりだ。どこかで降りなくては。同じ間違いをした乗客が、あちこちでそのことを話している。遠くに見える見慣れない山のことや、この方向に知っている会社があることなど。

気がつくと、バスが川の濁流に浮いている。電車でもありバスでもありそして船でもあったことに、みな驚嘆している。しかし、バスは思うように進んでいないようだ。しかも、だんだん横倒しになってきた。不安になって運転手に「大丈夫なんだろうな」と言うと、太ったイタリア人の運転手は胸毛に覆われた上半身をあらわにして笑いながら、「あんた、どうにかしてよ」と言う。

(1997年9月30日)

退化する猿

突然、彼女は着替えをはじめた。こんなチャンスはめったにないのに、僕はこの部屋に居続けるわけにはいかないのだ。すぐにでも猿のところに帰って餌をやらないと、猿が飢え死にしてしまうからだ。後ろ髪を引かれる思いで、僕は部屋を後にする。
道々すれ違った杉山教授が、片手に鮭の入った握り飯をいくつか持っている。僕がせがむと、杉山教授はしぶしぶひとつ分けてくれた。
猿に鮭の握り飯を与えると、彼はまたたくまに平らげた。そして、その瞬間から彼の退行がはじまり、順次下等な生物に変身しはじめ、ついには数ミリの二体のホタルイカになってしまった。王冠状の足が互いにかみ合いながら美しい光を放っているのを、僕は悲しいような嬉しいような気持で眺めていた。

(1997年6月2日)

夢中対話

久しぶりに、寺門孝之さんのアトリエに遊びに来ている。僕はノートにメモをとりながら、彼と話している。この会話の内容は、あとでインターネットにのせなければならないと思っている。彼は、自分の中にはもう他人がいないと言う。数年前に、自分の作風なんてたくさんの他人が流れ込んできたものだ、っていう話をしたはずじゃなかったか?と僕。彼は、ここ数年篭って絵を描き続けてきたので、自分の絵はもうすっかり自分だけになってしまった、と言う。

(1997年3月25日)

見ながら出る映画

鎌田恭彦監督による作品の撮影が進行している。舞台上で、名前の思い出せない男優と女優がセックスしているのを、われわれは高い客席から眺めているのだが、どうも男と女の性器が入れ替わっているように僕には見える。誰もそのことに気づかない。
ドキュメントとフィクションの新しい融合を目指しているのだ、と鎌田監督が意気込みを語りはじめた。しかも編集とライブが交錯していて、撮影しながら編集し、それを観客に見せながら観客自身を登場させるのだと言う。

すると、なるほど僕がスクリーンに出てきた。石原裕次郎の歌を歌いながら、パステルで絵を描いているシーン。絵はまるで早回しのビデオのように、高速に仕上がっていく。この歌を歌った覚えがないし、この絵を描いた覚えもない。が、それはあきらかに僕の声と絵なので、とても恥ずかしい。隣でスクリーンを見ているRが「ああいう色の入れ方はタブーだ」と言う。自分の絵ではないが、余計なお世話だと思う。

次はRがビルの谷間の池で泳いでいるシーン。全裸なのにCGなので乳首や陰毛がない。鎌田さんが、もう1テイクこのシーンを撮りたいと言う。寒いからいやだとRが拒む。

次のシーンで僕は、宇宙連合軍に囲まれた敵役の総統になり、しゃべりながら顔の部分部分が自分になったりほかのものになったりする巧みなモーフィングに組み込まれる。雪の降りしきる現代の桜田門駅のあたりで、僕は殺られてしまい、よろめきながらさまよい、ついに力尽きて倒れると、半ば融けかかった雪の中で大根おろしに漬かった餅のように自分が見える。

確かに撮影済みの過去と撮影中の現在に切れ目がなく、これはすごい作品だ、と思いはじめたところで、先月若くして亡くなった日本画家某の葬儀会場にここを使いたいという人たちが雪崩れ込んできて、やむなくわれわれは撤収にとりかかった。

(1997年3月16日)