rhizome: 所有物

大正時代の恋文

部屋にあった持ち物が、公園に晒されている。見慣れた書架に値札がついている。なにかの手順のような抽象的な概念も、滑らかな黄色いプラスチックの塊で売られている。所有物を売るときにいつも陥るあの逆説的な思い、この机が一万円なら自分で買うかもしれない、というあの後悔が湧いてくる。
ポジフィルムを透かすライトボックスに目をつけた客を、それはもう使いみちがないから、と追い払う。古い木箱を開けて整理を始めた野知さんは、書類に挟まって死んだ虫とそれに群がる赤い蟻を払いながら、大正時代の女が書いた熱烈な恋文の束を読みふけっている。それぞれの返信がどうしても読みたいが、返信はこの女の骨董市まで行かないと読めない、と野知さんが言う。

(2015年3月31日)

ミタのロードテスト

東京駅近く、古本屋が軒を連ねる路地がある。路地から大通りにさしかかる門口に立つと、その日買った本に合わせたテーマ音楽が自動的に鳴り響く仕掛けがある。僕は、友人の個展のパンフレットをコピーするためにコンビニを探している。作品は欲しくないが、作品の写真のコピーをどうても手に入れたい。路地の真ん中に置かれたコピー機をみつけ、ともかく使い始める。ミタの開発者だという男たちがあらわれ、いま機械の耐久試験をしているので使わないでほしいと言う。

(2014年8月23日その2)

時間を超えた同居人

僕の部屋に、二人の闖入者がいる。厄介なことに、自分自身が闖入者でないという自信がもてない。見知らぬ男が二人、そして自分の合計三人、このなかの誰か一人がここの持ち主で、あとの二人はウソをついている。困ったことに、誰一人ウソをついているようではない。
この中の二人は、タイムスリップで現在にやってきてしまったのではないか、と一人が言う。全員がここの主であるが、それぞれ別の時間を生きているなら説明がつく。きっとそうに違いない。では、今現在の持ち主が誰かはっきりさせるために、部屋の中にある物それぞれについて持ち主を割り出せば、間接的に部屋の持ち主がわかるのではないか。
しかし、床に並べた小物をひとつづつ検証していけばいくほど、三人それぞれの主張する所有物がほぼ均等に配分されてしまい、ますますそれぞれの浮遊感が増していくのだった。

(1999年8月27日)