rhizome: 猿

仁王炎上

文京区の神社仏閣を巡るバスツアーから、一人だけはぐれてしまった。文京区は山麓のゆるい斜面にあり、立体イラストマップにはたくさんの寺や神社が重なり合うように描かれている。いちばん手前に描かれた麓の大きな寺で待っていれば、必ずまたツアーに合流できるはずだ。
境内の参拝者に混じって、洋服を着た猿が潜んでいる。布で顔を覆っても、異様に鮮やかな顔色から猿だということはすぐにわかる。狡猾な猿は人の命を狙っているので、僕は猿を静かに威嚇しながら本堂にたどり着く。説明書通りの回数だけ拍手を打ち、干し草で作られた線香に火を点ける。
山門の柱の中に、草で作られた仁王が立っている。僧が供養の念仏を唱えはじめると、仁王の草は煙を上げて燃え始めた。乾いた草は瞬く間に閃光電球のようなまばゆい光球となって燃え尽き、仁王の頭部は草の支えを失い、鉄の骨格と化してごろんと地面に転がり落ちた。
忌まわしいことだ、お祓いをせねば、と、合流したツアーの友人たちと相談するが、僧は携帯電話を肩にはさんで宮司と話している最中で、それどころではない。
参道の階段を下りながら、寺門孝之、うるま、中村理恵子と僕の四人で、リアルとはなんだろうという話になる。寺門さんは、自分にとってリアリティとは、毎年2月11日にニューヨークに行き愛を確かめることだと言う。3.11でも9.11でもなく2.11だからリアルなのだ、とうるまが言う。

(2012年9月12日)

猿おやじ

赤い手染めのシャツを格安で売るという怪しい男がいる。シャツは染めたばかりで、まだ水を含んでいる。僕は現金を持っていない。バッグから探し出した小切手を見せると、これは換金できないから判子もよこせと言う。バッグから特大の印鑑を探し出し、印の面に貼った和紙をはがすと自分の苗字ではない。そんな押し問答を暗い路地でやっていると、ここでそんなことをされちゃ商売にならねぇ、と神棚に乗った小型の猿のようなおやじにどやされる。しかしおっさん、なにも売ってないじゃないか。そんなことはねぇ、といきなり機械の軋むような声で唸り始め、猿おやじが浪曲師だったことがわかる。

(2010年9月26日その2)

ピンクの小猿

修学旅行のバスは、休憩所に着くたびにみな揃って降りるのが面倒だ。このバスはしかも飛行機なのだから、トイレだってちゃんと機内にある。着陸時に目に入った色とりどりの小箱のような町並に心を引かれながら、しかし小箱に分け入って写真に収めてくる時間のゆとりもこの休憩にはないことだから、僕は降りずに機内から窓の外をぼんやり眺めていた。
窓のほぼ真下にある水溜りのような淀んだ小川に、ピンク色の猿の死体がいくつか、うつ伏せで浮いている。大きさは、おそらく掌に乗るほどだろう。ふと元気のよい生きた猿が、ファインダーの外から飛び込んできて、瞬く間にフレームの外へ過ぎ去った。

(1999年2月22日)

退化する猿

突然、彼女は着替えをはじめた。こんなチャンスはめったにないのに、僕はこの部屋に居続けるわけにはいかないのだ。すぐにでも猿のところに帰って餌をやらないと、猿が飢え死にしてしまうからだ。後ろ髪を引かれる思いで、僕は部屋を後にする。
道々すれ違った杉山教授が、片手に鮭の入った握り飯をいくつか持っている。僕がせがむと、杉山教授はしぶしぶひとつ分けてくれた。
猿に鮭の握り飯を与えると、彼はまたたくまに平らげた。そして、その瞬間から彼の退行がはじまり、順次下等な生物に変身しはじめ、ついには数ミリの二体のホタルイカになってしまった。王冠状の足が互いにかみ合いながら美しい光を放っているのを、僕は悲しいような嬉しいような気持で眺めていた。

(1997年6月2日)

故宮ゲーム

小高い丘の上に、北京の故宮を思わせる広大な建造物がある。なだらかなスロープを登る動く歩道の両サイドは、凸凸凸凸形の石ブロックでできている。凸凸の間の窪みにすっぽりとかがみ込むと、まるで昔乗ったお猿の電車のように、ゆっくりと宮殿に向かって進んでいくのが楽しい。
と、突然「そこに座ることが何を意味するのか、おまえはわかっているのか?」と言う声。「そこに座って編隊を組むことは、対岸の編隊に対する戦線布告を意味する。おまえがそこに座ったおかげで、仲間を集めなくてはならないじゃないか」
いかにも迷惑げな口調で非難されるが、彼の顔は嬉々として昂揚している。編隊は芋虫の形をしており、僕は最後尾、芋虫の鍬型の尻に移動するように指示される。そうしている間にも、対岸の凸凸凸には関西勢が刻々と集まってきて気勢を上げる。
窓から垣間見る宮殿の内部には、緑色のサターンや魑魅魍魎、さまざまなクリーチャーが蠢いている。これからわれわれは内部に入り、戦いが始まるのだ。しかし、僕はこのゲームのルールすら知らない。
暗い宮殿に入ったとたん、僕は芋虫本体から離脱してしまう。ジャンヌダルクとして胸も露に登場したRに「ったくよぉ、何も知らないでここまで来るか?」と非難される。「私に任せておけ」と言う言葉に安堵するもつかの間、邪悪なオレンジ色の蝶に後ろから抱きかかえられ、捕獲されてしまう。これで、僕はゲームオーバー。
宮殿の外には、故宮の荘厳さとは似つかわしくない寒々とした空地があり、一台のブルドーザーが放置されている。そこに<安斎>と自分の姓が書かれている。従兄の安斎某が、中国にまで事業を展開しているのだ。彼は気さくだがけっこうずる賢いから、気をつけなくてはならない。

(1996年12月15日)