rhizome: ケータイ

ハブ鳴き

中2階のフロアいっぱいに、透明アクリルパイプで構成された広大な回路がある。どこかから母の声がするので探し当てると、パイプの中で止まっているただのローラースケート靴だ。いまイオンで買い物をしている、携帯電話をかけているわけじゃない、など靴と会話できる。技術者の浦野くんが、遠い声が共振してしまう「ハブ鳴き」現象だという。
エレベーターのボタンをタイミングを合わせてうまく押すと、地下中2階に止まることができる。ドアの向こうに海岸が広がっている。砂浜に斜めに立つ柱は、円錐状に広がる何本もの紐で支えられている。やわらかいほろほろ鳥が、先端に突進しては紐の間を無理やりすり抜ける遊びに興じている。

(2018年7月13日)

ち+ユさん

体育館の底の小部屋で伊藤澄夫ら仲間とヘッドマウントディスプレイをつけて遊んでいると、VR世界にちえみさんとユカさんの混合した懐かしい人格が顕われ、大はしゃぎでお腹痛いの治った?と下腹部を撫でるとVRのち+ユさんは笑いながらうっとりしている。体育館の外は夕方の日差しでふたり坂道を降りながらこれからどこに行こうかという矢先に伊藤澄夫の背中にあった1本ショルダーの布製バッグを僕が抱えてきてしまったことに気づきち+ユさんは小さいけど上質のバッグねといいながらバッグを撫でている。チャックの中からトランシーバー状のオレンジ色のいかついケータイを取り出し白黒液晶画面に登録された友人を繰ると安斉工務店などと書かれているがこれを呼び出しても何にもならないから体育館に連絡するのがいいんじゃないとち+ユさんが言う。

(2017年10月1日)

バス紛失

噴火をはじめた富士山を見に行くために、地学好きの田中秀幸は革の鞄を飛脚のように棒でかつぎ、中学校から真南に歩きだした。富士山は山頂がどんどん尖り、絵に描いた富士山のようになってきたのはなぜなのか、いっしょに探りに行こうと言うのだが、僕は頸動脈に貼った貼り薬の作用でめまいが止まらない。

平衡感覚を失うと、バスが進んでいるのかバックしているのか、バスに乗る前なのか後なのか、バスの中にケータイを忘れたのか忘れる前なのかがわからない。ともかく失くした自分のケータイに電話をかけてみると、harinezumiさんが出て、いまどちらにいるのかと尋ねると富士山の見えるファミレスだと言う。それはいま僕がいるところではないですか、と喜びながら、しかしこの綺麗な結末ではバスに関する解が得られない。

(2013年8月31日)

象の木

今日は部屋にこもって先生の遺品を整理するつもりだ、と彼女に伝える。彼女はメッシュのバッグにケータイを入れて、外出の準備はすっかり整っているのに、なかなか出かけようとしない。僕は薄紙に書かれた手紙をスキャンするために、スキャンスナップを探している。古いタイプライターなど、紙を吸い込む機械はいくつもあるのに、スキャナだけみつからない。何日かけてもこの部屋が整理しきれるとは思えないのだ、と女に言う。もしかすると、これは自分の遺品なのかもしれない、とも。
薄い化繊は重ねて着ると肌触りがいい、と女が言うので、僕は確認のために両方の掌を彼女の表面にこすり合わせ、いつのまにか女の体つきや匂いをまさぐりはじめたところに、この部屋を買いたいという一行がやってきて、ひどくがっかりする。

街はずれにある矩形の空き地まで、日暮れ方向に延びる道へ自転車で漕ぎ出し、例の不動産見学ご一行を追い越し、彼らより先に広場にたどり着くことができた。広大なその区画だけ白い光に満ちていて、野球少年たちがスローモーション撮影のようにボールを投げあっている。
巨木の切り株の形をした動物が何頭も、あちこち揺れながら佇んでいる。空き地に柵がないのは、彼らがおとなしい動物だからだろう。そのうちのひとつが、切り株上部の茂みの奥から象の小さな目をこちらに向けると、四つ足らしき下部の枝分かれを轟かせながら駆け寄ってくる。野球少年たちは動じず投球を続けている。僕は動物の駆け足の遅さと、そこからわかる動物の大きさにたじろいでしまう。

(2013年2月13日)

娘喪失

科学館の受付で入場券を買い、再入場に関する複雑な規則について聞かされているうちに、連れてきた自分の娘らしき少女を見失ってしまった。ケータイから「なな」という名前を選択して電話をかけると、いつの間にか手渡された彼女のバッグの中で着信音が聞こえる。これで合流する術はすべて断たれた。乱雑なバッグの中には、ノートやケータイに紛れて煙草の箱なども見える。見失った娘への思いが募りつつ、自分に娘がいたという確信さえ見失いかける。草原真知子さんに娘の行方を尋ねるが、海に消えた父親を目で追い続ける娘を描いたアニメーション作品について解説している最中で、その冷静な語り口とはうらはらに、彼女の目から一筋涙が流れ落ちる。

(2013年1月24日)

仁王炎上

文京区の神社仏閣を巡るバスツアーから、一人だけはぐれてしまった。文京区は山麓のゆるい斜面にあり、立体イラストマップにはたくさんの寺や神社が重なり合うように描かれている。いちばん手前に描かれた麓の大きな寺で待っていれば、必ずまたツアーに合流できるはずだ。
境内の参拝者に混じって、洋服を着た猿が潜んでいる。布で顔を覆っても、異様に鮮やかな顔色から猿だということはすぐにわかる。狡猾な猿は人の命を狙っているので、僕は猿を静かに威嚇しながら本堂にたどり着く。説明書通りの回数だけ拍手を打ち、干し草で作られた線香に火を点ける。
山門の柱の中に、草で作られた仁王が立っている。僧が供養の念仏を唱えはじめると、仁王の草は煙を上げて燃え始めた。乾いた草は瞬く間に閃光電球のようなまばゆい光球となって燃え尽き、仁王の頭部は草の支えを失い、鉄の骨格と化してごろんと地面に転がり落ちた。
忌まわしいことだ、お祓いをせねば、と、合流したツアーの友人たちと相談するが、僧は携帯電話を肩にはさんで宮司と話している最中で、それどころではない。
参道の階段を下りながら、寺門孝之、うるま、中村理恵子と僕の四人で、リアルとはなんだろうという話になる。寺門さんは、自分にとってリアリティとは、毎年2月11日にニューヨークに行き愛を確かめることだと言う。3.11でも9.11でもなく2.11だからリアルなのだ、とうるまが言う。

(2012年9月12日)

坂道の祝典

本当は行きたくない気分を押して式典にやって来た。しかしそこに会場はなく、朱色の橋の上、石垣の前、細く蛇行した坂道など、来賓が思い思いの場所に陣取って挨拶をしている。これはいい。うまいやり方だ。この形式なら知事の演説をパスできて都合がよい。

坂を登りきったところで、居眠りが襲ってくる。犬を連れた女が、いつの間にか添い寝をしている。犬は僕によくなついている。飼い主の女が誰で、女になついてよいものか、それがよくわからない。

長い縦の坂道に短い横路が渡されたあみだくじ状の坂道を、高速に駆け抜ける一団がある。走ること自体を目的にしたこのゲームの首謀者に、商売のじゃまだからやめろと店の主人がケータイで抗議している。しかし路地の隙間を走り抜けるぶれた人影ははっとするほど美しいので、むしろ観光資源になるはずだ。この町に集う人たちは、荷物をそこここに投げ出して走り回っている。志を同じくする人たちは、互いに信頼し合っている。ここはそういう美しい町だ。

無造作に累積した荷物の中から、自分の古びた鞄を探し出すと、中にカメラがない。よくなくすね、と小林龍生さんに言われる。「いやなくしたことはない、捨てたことがあるだけだ」と悔しまぎれに反論する。

(2010年11月7日)

さえずりカード

twitterのつぶやきがカード状の物体になっていて、出現したり消えたりするたびに感情がわきあがる仕組みになっている。どういう原理を使っているのか、なかなかわからない。見る方向によって感情が違うのがヒントだよね、とviscuitさんが言う。
天井の高い体育館でミサが始まる。中継ブースのあたりで、車椅子の男のケータイ着信音が鳴り止まないので、スタッフが車椅子を外に押し出そうとしている。
いさかいが苦手な僕と僕の友人の小さい生き物は、隣の部屋に隠しておいた小箱から濃縮ジュースに関する秘密文書を取り出し、ジュースの仕組みについて技術的な相談を始めた。小さい生き物は、感情をオブジェクトにしないから不愉快が生まれるんだ、と言う。

(2010年1月7日)

入れ子携帯

志村三丁目の駅を降り歩いて家に帰ろうとしていると、今日は特別な日とばかり父が得意げにタクシーを止めた。白いワゴンのタクシー内部は雑然としていて、ところどころ水溜りもあり、しかも途中の停留所から人を相乗りさせようとする。丸顔の小柄な運転手は、これはバスだからしかたないと開き直る。父は携帯電話で孫に電話をかけようとしているが、なかなかかからない。僕は、携帯の茶色い箱の中から、もうひとつ小さい箱を取り出し、掌の中でダイアルをプッシュする。父はいつのまにか、大きい方の箱を棺にして中に入ってしまい、中から「まだかからないのか」などと文句を言いはじめる。バスのようなタクシーは志村坂上に到着し、そこでわれわれは降りることになるのだが、しかしこの場所は出発点より家から遠いではないか。今日は特別な日だからそれでいいのか、とも思う。

(2005年12月18日)

ケータイ旅行

FOMAのテレビ電話でパリの徳井naoさんと話していたら、ボタン操作を間違えて、パリへ自分を転送してしまった。突然入り込んでしまったアパートの部屋で、彼は女性と別れ話の最中で、こういうプライベートな空気にずかずか割り込んでしまうのはケータイの悪いところだなどと間抜けな弁解をしているのが情けない。途方に暮れて歩くパリの町並みは、ところどころ「常盤台行」などといった漢字もあり、なにしろケータイで来たために完全に来きっていないのだなと思う。しかし、パスポートなしでどうやって飛行機に乗って日本に帰ればいいのやら、暗澹たる気分のなか、ひらめくように、そうだFOMAで帰ればよいのだと気づく。電話帳の「中村理恵子」に電話すると、画面がカラーになったり白黒になったりしながらなんとかつながり、こんな状態で転送すると死んでしまうのではないかという不安をいだきつつボタンを押すと、中村理恵子と梅村高志さんが無数に穴のあいた植木鉢を逆さまにして香炉を作る相談をしている庭にたどりついた。

(2004年12月2日)

水疱の花びら

裸の自分の皮膚に、暗い赤色の花びらが無数についている。それはよく見ると、変色した自分自身の水疱だ。いつもなら気持の悪い事態なのだが、花びらのすばらしく深い色彩が美しく、うっとりと眺めてしまう。
自分は死ぬのだ、その兆候なのだ、ということを知らされたばかりなのに、あまり衝撃がないのは、この色彩のせいだということはよくわかっている。しかし、このことは父親には知らせなくてはならないと思う。父親に電話をかけなくてはならないのだが、十五年前に死んだ父は携帯をもっていない。ダイアル式の電話を探すために、あちこちの乾いた地面を掘ってみるが、なかなか電話にあたらない。

(2004年3月3日)

反転ポット

髪の短いその女が誰だかわからないまま、Fといっしょにやってきたのだからきっと古いつきあいなのだろうと思い、親しげに話している。
「髪切ったんだね」「あ、一年前よ」……やはり思い出せない。彼女は、ここらへんに小田原城跡のような店がないか、携帯電話のケースを買うのだ、と言う。

彼女たちに紅茶を入れようと、ガラスのティーポットに紅茶葉を入れ、お湯をそそぐ。少しお湯が足りなかったので、急いで少量の水を湧かし、そして卓上にあるティーポットを見ると、なんと口が下を向いて紅茶も葉も外にこぼれ出ている。透明だからこういう間違いをするのだろうか、と思いながら、上下をひっくりかえして葉を入れ直す。コンロのお湯に目をやり、ふたたびポットを見ると、またひっくりかえっている。Fがその一部始終を見ている。もしやと思い、逆立ちしたポットの底を押してみると、それはまるで飴のようにゆっくり変形し、テーブルにめり込みながら平らなガラスの円盤になり、そして完全に裏返ってしまった。Fはなぜか動揺せずにそれを見ている。僕は度肝をぬかれながら、不思議に気持ちよいポットの弾性を何度も手で確かめている。

(1998年1月17日)

探すために探す自転車

久しぶりに出会ったprotonとは話すべきことが限り無くあるのに、pは携帯電話で母親に九時に帰る約束をしてしまった。もう時間がない。家に送りながら夢中で話しているうちに、ふと西池袋界隈でpを見失ってしまう。
僕は夢中でpを探し始めるのだが、pを探すための自転車を探さなくてはならない。なかなか駅前の自転車置き場にたどり着けない。ガクランを着た大男が振り返りざま、この道を誰の許可を得て歩いているのかと凄む。そういえば昔、西口公園に自転車を乗り捨てたことがある。行ってみると、意外にも放置されたままの自転車を見つけ、試しに乗ってみると前輪がどこかに擦れて動かないのは昔のままだ。ボルトを外して組み立て直すと、見事に動きはじめた。
これに乗ってpを探しはじめることができる。達成感に満たされながら、人影も疎らな夜の街をあてどなくただ走っている。

(1997年3月3日)

万能チップ

1.5cm角の四角いセラミックの板は、キートップでもあり、CPUでもある。これを10枚テンキーのように並べた携帯電話を夏っちゃんが持っている。僕は「1枚でも十分機能する」と主張する。
モリワキさんと目白から高田馬場方向に歩いている。広い道に真っ青な空、建物もあまりない。一駅歩くにしては、ずいぶん時間がかかる。「きっと、すごく遠回りをしてるんだ」と話しながら歩いている。

(1996年7月14日その1)