rhizome: 流水

藻類標本小屋

ぜひ見せたいものがある、と黒人の庭師に案内されたのは広い芝生の隅にある黒く塗られた小屋だった。持っていたノートを芝生に置き、上下に開くガラス窓を開けるのに手を貸すと、小屋の中にはさらにもうひとつ小屋がある。中の小屋から屋根を外すと、それは木の水槽だった。なみなみと張られた水はなぜか絶えず流れ、世界各地から集められた水藻が糸見本のようにたなびいている。集まってきた女子高校生たちが「わあ綺麗」と声をあげるが、暗く絡まり合う藻は美しいというより恐ろしい。
そろそろ講義が始まる時間なので、と言ってその場を離れるとノートがない。高校生のひとりが遺失物として届けたと言う。彼女に案内されて教務課に出向くと、薄い和紙をカットして作ったシールを受領証明としてノートに貼らなくてはならないと言う。安齋というアウトラインフォントの複雑な不要部分を剥がしながら、申し訳ないけれど授業が始まるからと、撚れた齋の字を無理やり手で押さえつけた。

(2013年8月23日)

火薬庫の清流

戦時中に火薬庫だったといわれる場所はいつも大きな赤門に閉ざされているが、通用門が開いているのを初めて見る驚きのあまり、つい中に入ってしまった。これだけ広い土地を遊ばせておけるのは、管理しているのが東大だからだろうか。地面は乾いているのに、目の高さからは浅い清流が流れているように見え、ときどき鮮やかな何かが魚のように素早く逃げていく。この場所にこっそりトラックを停め続けている業者に、これはいったい何なのかと訊ねるが、体を後屈しなければ大丈夫なのだ、と質問の答になっていない。これだけの空き地の存在を周囲から気づけないのが不思議で、門から外に出てぐるりと一周切り取るように道を歩きはじめると、火薬庫をとりまく家々は暗い飲食店ばかりで、どこもあまり客が入っていない。テーブルも椅子も置かない餡蜜屋に入り、店の奥に行こうとするが拒まれる。流しで手を洗うふりをして勝手口から裏に出ると、思った通りあの空き地に面していて、どの店も水のような幻覚のようなものを筒で吸い出している。ためしに体を思い切り後ろに反らすと、ふっと体が浮いて、このあたり一帯の地図が俯瞰できた。

(2013年8月18日)

地下の川

張りめぐらされた地下鉄の暗いトンネル網には、澄んだ水が流れている側溝がある。魚が遡上できるようになっているのだと言う。ふと乳輪の薄い乳房が浮いているのを見つけて、手ですくいあげてみる。

(2008年3月15日)

ピンクの小猿

修学旅行のバスは、休憩所に着くたびにみな揃って降りるのが面倒だ。このバスはしかも飛行機なのだから、トイレだってちゃんと機内にある。着陸時に目に入った色とりどりの小箱のような町並に心を引かれながら、しかし小箱に分け入って写真に収めてくる時間のゆとりもこの休憩にはないことだから、僕は降りずに機内から窓の外をぼんやり眺めていた。
窓のほぼ真下にある水溜りのような淀んだ小川に、ピンク色の猿の死体がいくつか、うつ伏せで浮いている。大きさは、おそらく掌に乗るほどだろう。ふと元気のよい生きた猿が、ファインダーの外から飛び込んできて、瞬く間にフレームの外へ過ぎ去った。

(1999年2月22日)