rhizome: 雪

のど飴の山

なほみさんがオリンピックの司会をしている。僕は何も手伝うことがないので、搬入のトラックが雪のわだちにすっぽり埋まっては這い出すのを見ている。休憩時間になってなほみさんが喉をからしているので、のど飴をとってくると言うと、必要ないと言う。遠慮しているのか本当に要らないのかわからないまま、裏山の頂上にある緑色の透き通った球体を取りにいくために、登山道を登り始める。

(2015年5月5日)

文京の水路

文京区に張り巡らされた水路を、草原真知子さんとボートで巡っている。お互いの家族の話などをしながら、いつのまにか水路の網目の深いところまで入り込んでしまった。これからボートを駅に返しにいけば、すでに始まっているクラス会に間に合わない。ボートを管理するロボットが、藍染の布を外皮として貼った顔をこちらに向けて、ボートはどこに乗り捨てても良いと言う。ただ、返却時には停泊するボートに真水を満たしてほしいとも言う。真水の水源を探すのは厄介だから、根雪を探してそれを抱きかかえて融かせばいいのよ、と真知子さんが言う。文京区の雪渓を探して水路をさまよううちに、川沿いのマンションの外壁を登る小学生たちに出会う。彼らは壁をいかに速く登りきるか競っていて、黄色や赤や緑の服をぱたぱたとはためかせながら次々とファインダーの上方にフレームアウトしていく。

(2013年6月2日)

川越氷河

積雪で通れなくなった川越街道の雪が、氷河のようにゆっくり動いている。ここは快晴だが、上流の大雨で決壊した石神井川の水が氷の下部に流れこんでいるためです、と、駆けつけたそらのちゃんが淡々とustream中継している。

(2010年9月16日)

見ながら出る映画

鎌田恭彦監督による作品の撮影が進行している。舞台上で、名前の思い出せない男優と女優がセックスしているのを、われわれは高い客席から眺めているのだが、どうも男と女の性器が入れ替わっているように僕には見える。誰もそのことに気づかない。
ドキュメントとフィクションの新しい融合を目指しているのだ、と鎌田監督が意気込みを語りはじめた。しかも編集とライブが交錯していて、撮影しながら編集し、それを観客に見せながら観客自身を登場させるのだと言う。

すると、なるほど僕がスクリーンに出てきた。石原裕次郎の歌を歌いながら、パステルで絵を描いているシーン。絵はまるで早回しのビデオのように、高速に仕上がっていく。この歌を歌った覚えがないし、この絵を描いた覚えもない。が、それはあきらかに僕の声と絵なので、とても恥ずかしい。隣でスクリーンを見ているRが「ああいう色の入れ方はタブーだ」と言う。自分の絵ではないが、余計なお世話だと思う。

次はRがビルの谷間の池で泳いでいるシーン。全裸なのにCGなので乳首や陰毛がない。鎌田さんが、もう1テイクこのシーンを撮りたいと言う。寒いからいやだとRが拒む。

次のシーンで僕は、宇宙連合軍に囲まれた敵役の総統になり、しゃべりながら顔の部分部分が自分になったりほかのものになったりする巧みなモーフィングに組み込まれる。雪の降りしきる現代の桜田門駅のあたりで、僕は殺られてしまい、よろめきながらさまよい、ついに力尽きて倒れると、半ば融けかかった雪の中で大根おろしに漬かった餅のように自分が見える。

確かに撮影済みの過去と撮影中の現在に切れ目がなく、これはすごい作品だ、と思いはじめたところで、先月若くして亡くなった日本画家某の葬儀会場にここを使いたいという人たちが雪崩れ込んできて、やむなくわれわれは撤収にとりかかった。

(1997年3月16日)