rhizome: 佐々木昌彦

水没避難民

ふだんは住民だけが行き来する八階の廊下が、見かけない人で溢れている。非常階段の踊り場から覗きこむと、地上は一面緑色の海に水没している。死んだ佐々木の奥さんが、見惚れるように水平線を見ている。

(2014年8月23日その1)

架空階段

夜の干潟に佐々木が繰り出していることをラジオで知った。彼は、おこぜや小さい蟹などを獲りながら、どうせなら夜が明けるまで獲り続けようと思っている。その思考内容は、薄明の電波に乗って世界に筒抜けになっている。
僕は偶然を装って、どんより鈍色の朝の浜で彼に合流した。毛の生えた小さい蟹と引き換えに野菜をくれるおばさんは、浜には長い時間いるけれど、野菜を採るのに忙しくて蟹まで手がまわらないものだからと、なぜかしきりに弁解する。
砂浜の行く手に竜巻が三本、色違いの尻尾をいまにも地上に届かせようとしている。伏せたボートの中で写真を撮ろうと待ちかまえている連中がいる。無知ほど恐ろしいものはない。僕は竜巻映画を見ているので、巻き込まれたら命がないことをよく知っている。

気まぐれな竜巻の動きを注意深く見定めながら、階段や吊り橋や稜線を伝って登山口にたどり着く。竜巻を逃れて山に登るのは、これが初めてではない。いやそれは、かつて女と付き合いを深めていった過程と比喩的に相似なだけかもしれない。
標高千メートルを越えるあたりで、ある説明を思いつく。仮に一辺が1メートルの立方体の石を、画素のように階段状にずらして並べると、千画素目の石が標高千メートルである、と。すると比喩はそのまま実景になり、標高ゼロメートルからはるか上空千個目の石に、僕は震えながらへばりついている。

(2004年3月16日)

乳首の転移

イスラム様式の長い回廊をもつマンションから、発泡スチロール製の生首がいくつも飛び出し、道に転がってはトラックにはねられ、生々しい血液の代わりに白いスチロールの泡が無残に飛び散る。

マンションの二階から引っ越してしまった佐々木の空室には、運び残した荷物がまだいくつか残っている。幼い女の子を迎えに来た若くてけばけばしい母親が、いきなり両方の巨大な胸を剥き出すと、女の子はそれにしゃぶりつき、あまりに激しく乳を吸うので顔が乳房にめりこんで頬と乳房の境界がわからなくなる。女の子が顔を離すと、女の子の顔に乳房が転移し、顔の真中にひとつ大きな乳首がついている。

(2002年1月30日)

缶の高下駄

一足先に坂をのぼり佐々木の部屋に到着した僕は、Samがまだ来ないがどうしたんだろうかと佐々木の母親に尋ねる。すると安斎さんいますか?と言う声とともに突然窓の外にSamの顔が現れ、僕はひとまず安心するのだが、しかしここは二階なのにどうして窓から見える顔が水平方向なのだろうと、乗り出して見るとSamの両方の足もとは黒い空缶の上にある。その空缶も空缶の上にあり、視線を地面まで傾けると二本の長い直列空缶の上にSamが乗っている。紐つきの空缶を両足に履く竹馬遊びなら知っているが、こんな高下駄は見たことがない。どこでそんな芸を身につけたのかと尋ねるやいなやSamの背中から空に伸びたピアノ線は高いクレーンについた滑車に引き込まれ、Samも空缶もろともすすすーっと天空に舞い上がっていったのだった。

(1999年6月30日)