rhizome: 夕暮

五十年目の雲

いままで聞いたことのない轟音が空に満ちている。小学校の坂を登って高畑君の部屋を訪ねると、50年間ずっとこの日を待っていたのだと言う。二人で僕の実家まで戻ると、近所の家は根こそぎなくなっていて、土台がむき出しになっている。かろうじて残った両隣のおかげで、実家は形をとどめている。玄関から入り、骨組みを登って二階にたどり着くと、夕焼け空一面に鱗雲が浮いている。鱗雲の一片がゆっくり降りてくるのを掴まえようとすると、それはあちこち擦れて磨滅した発泡スチロールで、白い粉を落としながら逃げてしまう。

(2015年9月28日)

日暮坂の群がり

日暮里の入り組んだ谷を登りつめると、怪しい人だかりが最後の坂道をふさいでいる。群がりを観察すると、それは数人の女を先頭にして、それぞれから延びる行列のもつれ合いだった。並んだ男たちは手に五百円玉を握りしめ、順番が回ってくるのを待っている。最前列の男が着衣のまま女の腹部に腰をこすりつけると、昆虫の交尾のように瞬く間に果てる。僕は連れの女とこの怪しい道を通り抜けたいのだが、なかなか前に進めない。そればかりか、じきに日が落ちてしまう日暮坂の夕景色を見ようと促しても、女はすっかりこの光景に目を奪われ、坂を登ろうとしない。

(2013年10月16日)

象の木

今日は部屋にこもって先生の遺品を整理するつもりだ、と彼女に伝える。彼女はメッシュのバッグにケータイを入れて、外出の準備はすっかり整っているのに、なかなか出かけようとしない。僕は薄紙に書かれた手紙をスキャンするために、スキャンスナップを探している。古いタイプライターなど、紙を吸い込む機械はいくつもあるのに、スキャナだけみつからない。何日かけてもこの部屋が整理しきれるとは思えないのだ、と女に言う。もしかすると、これは自分の遺品なのかもしれない、とも。
薄い化繊は重ねて着ると肌触りがいい、と女が言うので、僕は確認のために両方の掌を彼女の表面にこすり合わせ、いつのまにか女の体つきや匂いをまさぐりはじめたところに、この部屋を買いたいという一行がやってきて、ひどくがっかりする。

街はずれにある矩形の空き地まで、日暮れ方向に延びる道へ自転車で漕ぎ出し、例の不動産見学ご一行を追い越し、彼らより先に広場にたどり着くことができた。広大なその区画だけ白い光に満ちていて、野球少年たちがスローモーション撮影のようにボールを投げあっている。
巨木の切り株の形をした動物が何頭も、あちこち揺れながら佇んでいる。空き地に柵がないのは、彼らがおとなしい動物だからだろう。そのうちのひとつが、切り株上部の茂みの奥から象の小さな目をこちらに向けると、四つ足らしき下部の枝分かれを轟かせながら駆け寄ってくる。野球少年たちは動じず投球を続けている。僕は動物の駆け足の遅さと、そこからわかる動物の大きさにたじろいでしまう。

(2013年2月13日)

マゼラン雲銀座

上板橋の南口銀座からは、南半球でしか見えないマゼラン雲が見える。南口銀座の中ほど、おでん種の店で売られているゆで卵は、見た目よりやや青白くデジカメに写る。スペクトルの青方偏移を見るためにフィルムを装填したいのだが、デジタルカメラの裏蓋を開ける機構がどこに隠れているのかわからない。古書店の廉価本コーナーに座っている釣り堀のおやじは夕焼けを眺めながら、いつものおかしな息継ぎもなしに「マーラーはこの曲がり角でときどき火事に出会う」とつぶやく。

(2012年10月18日)

切断された家

女の子が喜ぶので、ついついケーキとクリームをたっぷり切ってあげた。すると土地の所有権比率の関係で、実家の東面がケーキナイフで切り取られ、舞台装置のように片面だけ開いてしまった。気をつけて暮らさないと二階から落ちるから、業者に強化ガラスを嵌めてもらうと母親が言う。
早稲田の飲み屋で飲んでいる。帰ると言ったはずのヌクミズがこれから夕日の飲み屋に行くと言うので、友人といっしょにヌクミズの優柔不断を責めながら、夕日の坂を登ったところで白い根付を拾う。切断された家で霊気が体を通り抜けているからこういうものに出会うのだ、と酔ったヌクミズに説明する。

(2010年8月24日)

昆虫進化広場

古本屋のある坂を下ると、草もない空き地のそこここに子供たちが集い、カナブンを集めている。昆虫は煙のように舞い上がり、空中交尾のたびにワニぐちのゴキブリなどに進化する。子供たちは昆虫の発する化学物質を記録していて、夕暮の広場でパワポのプレゼンをしては、歓声をあげている。

(2009年12月30日)

風船の下部

高台にあるこの地区一帯には街灯がなく、日暮が迫ると街全体がいっきに暗くなる。坂を下りながら、まだ夕映えの残った遠方の建物が異常に近く見える。どこからか無数の風船が舞い上がり、ゴムの口を縛った空気穴は重心の偏りでみな下を向いている。風船の下部が小さい性器になっていて、それらがたまらなく愛おしい。

(2009年12月1日)

二つの太陽

子供は部屋で古いデジカメをおもちゃにして遊んでいる。太陽が二つあり、まだ沈んでいない片方は宗教団体が作った人工の太陽で、電球色の表面に動画が仕組まれている。女は30日のパーティーのために、古い高層建築の最上階にある魚屋で買い物をしている。30日に来る男のために女が昂っているのを僕は知っていて、変わった生魚の切り身を前にしながら嫉妬で機嫌が悪い。子供がおもちゃのピストルで遊んでいる隣の部屋で、僕は女と二度目のセックスをしようとしているが、女の股間は○と×の記号が縦に並んでいるだけで、○をいくら舐めても彼女に次の発情がやってこない。多夫多妻を推奨する宗教のせいで、みんな気持ちが変わってしまった。ひとりの女にこだわる時代遅れの感情をどうにかしないと、いろいろなことがうまくいかない。いつのまにか帰宅した父が女と関係していることを僕は容認していて、しかし意外に若い父の勃起を目の当たりにすると、許せない気持が沸き起こる。女は次々と過去の恋人を自分の動画に重ねては取り替えている。相手が誰に定まるわけでもないのに、彼らが僕を話題にしながら裸体を重ねることを想像していたたまれなくなり、二つ太陽のある夕暮を散歩しようと自分の靴を探しはじめる。

(2007年2月20日)

瓦礫の音楽

「音の風景を楽しむ旅」のパンフには、人の背丈ほどの低木に、ぎっしりとたかったヒグラシゼミの写真。低木の葉脈も、蝉の羽も、レースの下着のように黒く透けている。パンフを持ってきた泉は行きたい様子だが、僕は乗り気でない。こんなおしきせの観光地に行くより、壊滅した自分の家の周囲のほうがよほど珍しい音風景だから。
瓦礫の中からコイル状の円盤を見つける。青い鉄でできたコイルの一端を持ってヨーヨーのように上下運動すると、円盤はほどけたり絡まったりしながらシャーンと鳴る。崩れた建物の表面にぶつけると、コイルは彩度の高い虹色の音を放つ。このあたりの人々は夕刻になると、それぞれ見つけた楽器を手にして、錆びた瓦礫の町を鳴らしながら歩く。

(2001年9月25日)

巨大昆虫篭

日暮の野原に忽然と建つ巨大な昆虫篭の中で、人なつこい農家のおばさんが、僕とSamにこの建物の中に生息する昆虫について話をしてくれるのだが、僕の頭には言葉の意味が入ってこない。Samは、僕以外の誰にも会わないと思ったから裸の上にコートを羽織って来てしまったと言って、ボタンを外して中を見せてくれたのだった。黒い暖かそうなコートの下の白い胸を思い出していると、網ごしに見える遠方の崖が突然崩れたりする。このおばさんの解説が終われば、どんどん暗くなる篭の中でSamとしたいことがいろいろあるのだが、と思いながらも、終わりそうにない話の抑揚を音楽のように聞いている。

(1998年1月21日)

林檎ぴいとお

陽が暮れかかっている。早く帰らなくてはならない。自転車でなだらかな斜面を降りながら、熱気球を50cmに縮小したような洋梨形の白い風船を探している。
あきらかに、その子供たちが風船を盗んだのだ。彼らの仲間同士の会話が、それを裏付けている。僕は大人げ無く凄みながら、彼らを問いつめている。彼らのひとりが、風船を返してもいいと言う。ただ、その風船がなくした風船かどうかは、わからない。たくさんあるから。
彼らといっしょに斜面を自転車で降りていくと、下に行けば行くほど、たしかに風船がそこここにある。白いものばかりかと思っていたら、赤いもの、青いもの、さらに大きなものまで、たくさんある。子供たちは、きっとこれがなくした風船だから、と言って一つを差し出した。それを受け取ろうと握った掌をすり抜け、風船はさらに坂を下ってしまった。
僕は風船を追いかけて、古い公民館らしき建物の中まで来てしまった。建物の床にはたくさんの風船がひしめいていて、広い畳敷きの部屋で女の子が風船遊びをしている。
この風船は、九州のとある地方のお祭りに使うもので、ある日たくさんの女の子が手をつなぎ、無数の風船を次々と隣の女の子に渡していくのだそうだ。そのたびに「林檎ぴいとお」と口ずさむので、まるでその日は、空全体が鈴が鳴るように声に満ちるのだと言う。
もうすっかり暗くなってきたので、早く帰らなくてはならない。まずは電話をかけよう。しかし、僕はなんとかこの建物の中から大人をみつけて、「林檎ぴいとお」の話の続きを聞き出そうと思っている。

(1996年10月16日)

万能スノーボート

新種のスポーツだ。スノーボートのようだが、湿地、田んぼ、草っぱをぐんぐん滑っていける。簡単で気持ちがいい。本当はもっと別な、もっと難しいことをするつもりでここに来たのだけれど、日も沈みかけているし、ちょうどこの程度が楽しくていい。そう思っていると、小島陽子さんが、
「私が今日買うとしたら、これかしら」と、もう買う気でいる。それじゃ、プロの**さんに紹介しよう。
部室のような狭いところで、名前を思い出せない彼は、草の上を走るのは邪道だというようなことをさかんに言いはじめる。
「それは、本格的なものはこの程度じゃない、という意味ですか?」
「そうだ」とプロ。
小島さんが、買うか買うまいか、悩みはじめてしまった。

(1996年7月13日)

レンズ屋

日が暮れかかっている。僕は、鍵を学校に返して学校をやめようかと考えながら歩いている。坂をやや下りかけた広い道に、中州のように残された幅三十センチにも満たない木造の建物。そこはレンズ屋で、覗いてみるとまぶしい裸電球の灯りの中、おじさんが作業をしている。ガラスの戸が標本箱の蓋のようで、左からガラスの原石、それを削ったもの、虹色にひび割れたものなど、大小さまざまなレンズの過程がぎっちり詰まっている。セピア色がかった小さいレンズには、なにか細かい文字が彫りこんである。車がかすったらひとたまりもないじゃないか。そう思いながら、建物と暮れていく空を見ている。

(1996年2月24日その2)