rhizome: 裸

すれ違い新幹線

新幹線の先頭車両がシャワールームで、誰もいない運転席の窓の内側は蒸気で曇っている。壁の受話器を取ると、連れから早くシャワールームに来るように促される。いやもう来て裸になったところだ。いやこっちも誰もいない、などやりとりをしながら、どうやら互いに反対側の運転席にいることがわかる。新幹線の二両目から先が登り坂になっていて、向こうの尖端車両は途方もなく遠い。

(2017年3月26日)

ウーパールーパーの部屋

往年の女優らしき歳老いた女と裸で暮らしている。首まわりなどに皺はあるが、体は艶やかだ。ときおり僕の性器の重さを量りにくるが、情事には至らない。カップラーメンに入っている調味料の袋を鋏で切って、中にある「次にすべきこと」の書かれた紙片を取り出すが、そこに情事と書かれていないから、情事はしないのだと彼女が言う。
「それが今とんでもないものを見たのよ」と言いながら、友人たちがなだれこんでくる。エレベーターの箱いっぱいに、身動きのとれなくなった巨大ウーパールーパーが嵌っていたのだと言う。そうこうしているうちに、この部屋は放射状の郊外鉄道を斜めに遡り、高田馬場駅へ到着する。

(2014年3月24日)

棚田温泉

一人用の風呂桶が棚田のように配置された温泉で、どれに入ろうか迷っている。高い浴槽からあふれた湯が次の浴槽に流れ込むので、無造作に並んだ湯船の連鎖反応を読まないと他人の迷惑になるからだ。段々の谷間でひっそりと湯に浸かっている老人が、実は名手であることを脱衣場の噂話で知った。なんの名手だったかは、衣服を脱いだ今となってはわからない。対岸の棚田で、体毛を剃りながらふと目の合ったまりこさんが、にこやかに手を振っている。

(2013年9月2日)

蛾で封印

高架駅への近道だ、と思って細い階段を昇りきると、もう一度降りないと駅にたどりつけない「徒労の階段」であった。あきらめて階段を下り、次の上り階段にさしかかる谷に、風呂桶ほどの水溜りがあり、顔色の悪い裸の女子高校生が泥水に漬かっている。早く帰宅するようにたしなめながら死体のような女を引き揚げると、意外に体温は高く、声も快活なので安心する。狡猾な男の腕のようなものが女の性器から外れ、泥水に浮いている。女を捕らえていた邪悪な男性器のようなものの周囲に、ぐるぐると蛾の吐き出した糸を巻きつけておいた。

(2007年8月15日)

水疱の花びら

裸の自分の皮膚に、暗い赤色の花びらが無数についている。それはよく見ると、変色した自分自身の水疱だ。いつもなら気持の悪い事態なのだが、花びらのすばらしく深い色彩が美しく、うっとりと眺めてしまう。
自分は死ぬのだ、その兆候なのだ、ということを知らされたばかりなのに、あまり衝撃がないのは、この色彩のせいだということはよくわかっている。しかし、このことは父親には知らせなくてはならないと思う。父親に電話をかけなくてはならないのだが、十五年前に死んだ父は携帯をもっていない。ダイアル式の電話を探すために、あちこちの乾いた地面を掘ってみるが、なかなか電話にあたらない。

(2004年3月3日)

氷型

われわれのバンドはメンバーが三名で、ひとりはLArcEnCielのボーカル、もうひとりは図体のでかい中山真樹らしき男、そして僕。次のイベントにむけて等身大の裸体像を作ることになり、これから型を抜く。中山真樹がまず矢面に立ち、全身氷で覆われる。それほど寒くはないが、氷と皮膚をいっきに剥がす時ぴりぴりと痛み、全身赤い網目模様になるのがつらい、と訴える。僕はバンドの真中なので、順番としては次だ。覚悟を決めているにもかかわらず、用意した氷があとわずかなので、早速製氷するか氷屋から買ってこなくてはならないということで執行猶予になる。小林龍生さんから、特に用事はないが近況を知りたくて、と電話がかかってくる。実はかれこれこういうわけで自分の型を抜くところだ。それは、自己のイメージを客体化する良いチャンスだ、とかなんとか話しながら、さてどういうポーズで型を抜くか思案をめぐらしている。座って両腕を両腿に挟もうか、思いきり立ちあがって股間を手で隠そうか、などなど。

(1999年5月31日)

見ながら出る映画

鎌田恭彦監督による作品の撮影が進行している。舞台上で、名前の思い出せない男優と女優がセックスしているのを、われわれは高い客席から眺めているのだが、どうも男と女の性器が入れ替わっているように僕には見える。誰もそのことに気づかない。
ドキュメントとフィクションの新しい融合を目指しているのだ、と鎌田監督が意気込みを語りはじめた。しかも編集とライブが交錯していて、撮影しながら編集し、それを観客に見せながら観客自身を登場させるのだと言う。

すると、なるほど僕がスクリーンに出てきた。石原裕次郎の歌を歌いながら、パステルで絵を描いているシーン。絵はまるで早回しのビデオのように、高速に仕上がっていく。この歌を歌った覚えがないし、この絵を描いた覚えもない。が、それはあきらかに僕の声と絵なので、とても恥ずかしい。隣でスクリーンを見ているRが「ああいう色の入れ方はタブーだ」と言う。自分の絵ではないが、余計なお世話だと思う。

次はRがビルの谷間の池で泳いでいるシーン。全裸なのにCGなので乳首や陰毛がない。鎌田さんが、もう1テイクこのシーンを撮りたいと言う。寒いからいやだとRが拒む。

次のシーンで僕は、宇宙連合軍に囲まれた敵役の総統になり、しゃべりながら顔の部分部分が自分になったりほかのものになったりする巧みなモーフィングに組み込まれる。雪の降りしきる現代の桜田門駅のあたりで、僕は殺られてしまい、よろめきながらさまよい、ついに力尽きて倒れると、半ば融けかかった雪の中で大根おろしに漬かった餅のように自分が見える。

確かに撮影済みの過去と撮影中の現在に切れ目がなく、これはすごい作品だ、と思いはじめたところで、先月若くして亡くなった日本画家某の葬儀会場にここを使いたいという人たちが雪崩れ込んできて、やむなくわれわれは撤収にとりかかった。

(1997年3月16日)

いやな釣人

パイナップルの山だ。異国の女たちが群がっている。そこには、何種類かのパイナップルがある。「端的にどれを選べばいいのか教えて欲しいんだ」と言う僕の問いに快く答えてくれた女に、あやうく惚れそうになった。
そこいら中の人が、祭りに沸いている。目の前をビュンと音をたてて、釣り糸が飛び交い、ファンファーレが鳴る。裸の少年たちが並んで、ペニスをラッパの角度に勃起させている。いちばん右側の一人だけは、いっこうに立たない。彼はあきらめたのか、ひゅるひゅると音をたててペニスを体の中に格納してしまった。
釣針は、かなり遠方にいる犬の口から、犬のくわえていた食い物を奪い取る。食い物は僕の目の前をよぎって、釣人の手元まで引き寄せられる。釣人は得意げだが、それに飽き足らないのか、犬のかわりに小学校の教室にいる一人の女の子の口から何かを釣り上げたいと言う。いやな奴だ。僕は彼に、ウイリアムテルかロビンフッドを例にあげて抗議する。その両者の区別が、ときどき危うくなる。息子の頭に載せたリンゴを射抜くにしても、そこにはかなりの信頼関係がないといけないわけで、見ず知らずのおじさんに、女の子がそんなことを許すわけないじゃないか!
いつのまにか、釣人は白いあご髭をたくわえている。彼は片手の親指と人差し指を使って、髭の輪郭に波形を描いてみせる。すると、髭のエッジが青く染まる。手のしぐさだけでそうやって幻覚を引き起こそうっていうのなら、僕だってこうしてやろう。僕は、髪をおもいきり前から後ろに振り上げると、歌舞伎役者の隈取りの幻覚を引き起こすことができたようだ。こいつにだけは、負けるわけにはいかないのだ。ともかく、いやなやつなのだ。

(1996年11月15日)

裸の町

サマンサという名前の女とふたりで、なぜか素裸で町を歩いている。
「こんな格好で、いいの?」と言うとSamは、
「平気。だってこういうの流行ってるんだから」
だけど、どこにも裸で歩いてる人なんかいないじゃないか。
ふと遠方の土産物屋に目をやると、妙に子供っぽい女が裸で買い物をしているのが見え、心底ほっとする。

(1996年1月21日)