rhizome: 泥

泥天麩羅

美術館でもらったきらきら光るお菓子を頬張るRの背中を追って、写真美術館の脇を道なりに進み深い坂を自転車でいっきに下ると、高速道路の縁の下に入ることを知った。めったに人も車もこないし、ぬかるんだ泥がたまっている。都市の地下にはまだまだこんなとんでもなく悲惨でおいしい被写体エリアがある。ときおり迷い込んだ車が、坂を降りて登るV字運動の底で、泥水のてんぷら衣をたっぷりつけて去っていく。

(2017年6月1日)

クラウドテレビ

H氏は小学館ビルの細長い洞窟上のフロアで、泥絵を描いている。H氏(ひぐち、ひがき、ひうらなど「ひ」のつく名だ)は僕のことを知っているし僕もH氏のことを知っているが、これが初対面だ。H氏の掌には少なくとも5色の土があり、それを巧みに切り替えて壁に泥を塗っている。中村さんがH氏に、テレビ神奈川が見たいと要求する。小学館のフロアの端にはラウンジがあり、そこのテレビは屋上のUHFアンテナにつながっているから、きっと過去の番組が映るはずだとH氏が言う。いやそんなことはないだろうと僕が反論すると、H氏は空にまだキャッシュが残っていると言う。

(2016年2月8日)

戦争博物館の血模様

木も人も家もなにもないイラン高原を歩いていると、突然眼下に崖が切り込み、おいしそうな食べ物の匂いが立ち上ってくる。崖の中腹に嵌め込まれた金魚鉢の内側で、久米姉妹が浴衣を着て日常生活を営んでいる。僕は彼女たちとともにガラスの内側にいて、外の男たちを軽蔑している。崖の底では小さいカラフルな象たちが、泥まみれになって遊んでいる。学ランを着た長身の男が池のほとりに倒れこみ、そのまま平面化する。
中国の戦争博物館では、血でぬられた壁がいくつも展示されてるという。しかし、匂いに気をつけたほうがいいと久米(姉)からアドバイスを受ける。展示室のひとつに入ると、水墨で描かれた葉に血で塗られた赤い花を敷き詰めた美しい模様が一面に描かれていて、息ができないほど血なまぐさい。

(2015年8月26日)

屋上が一階

谷通りに面した建物の一階から、螺旋階段を昇り、階ごとに色の違う店(黄色い泥を壁に塗った店、青い粉を詰めたタッパーを無数に積み上げた少年の店、白いブランクの店)を覗きながら最上階にたどり着くと、再び一階の表示がある。崖に沿って建つビルの最上階が、ちょうど高台の地上の高さだからだ。
山の一階から再び谷の一階に降りるために、建物の屋上へ戻ろうとするが、崖と屋上の隙間が広すぎて、谷底を見ながら跨ぐことができない。

(2015年3月16日)

アリ塚分娩

アリ塚のような団地は、外は晴れていても中は雨が降り続いている。無計画に増築してしまったので、塞ぎようのない亀裂から入りこんだ水が建物のあちこちに溜まっている。液状化した泥のベッドに浸かっている女が、こうしていると自然分娩できると言って、泥水の中でスカートのようにひらいた膣を水母のようにふわふわさせると、ふわふわごとに赤ん坊の卵が下におりてくる。

(2013年11月30日)

極彩色の泥屋根

街道と旧街道に挟まれたベルト地帯に、泥濘んだ土地が広がっている。街道に面したガレージに入り、裏口を抜けて泥濘の土地に足を踏み入れる。ベルトの中ほどまで歩いたところで、全身に泥を塗った裸部族に出会う。裸族の少年たちはもつれあい、一人の少年の顔をめり込むまで殴っている。僕は、彼らの風習に口出ししないと心に決めている。それは文化人類学の掟だから。
旧街道までたどり着くと、泥と油絵具の二色ソフトクリーム状の尖塔が見える。この城をスケッチした覚えがある。ノートを捲り当てると、尖塔に「非常識な配色」と注記があり、ページの隅には「4日5日引っ越し予定」という走り書きもある。業者との約束が二日後に迫っていることに気づく。

(2013年11月6日)

池袋高原

泥まみれの絨毯のように重なりあった何頭かの牛が、地面に貼りついた頬を動かして何かを食んでいる。池袋に三か所しかない眺望の開けた高地のひとつにたどり着いたものの、この古い民家の中に入らないと遮られた絶景を見ることはできない。
屋敷の玄関に向かって進んでいくと、意図に反する何かが軌道をずらし、床下に紛れ込んでしまった。湿った縁の下に住んでいる老婆が僕と連れの女に呪文をかけたので、僕らはブランクーシの抱擁の形で一体となり、床下の地べたに投げ出されたままぐるぐる回りはじめた。どうあがいても、ふたつの不随意筋の絡み合いがほどけることはない。

老婆が不意に靴下を脱いで、農作業で変形した足と、そこに貼った木片を見せた。大工の墨書きがそのまま残る粗末な板が痛々しく、同情をこめて痛くないのか尋ねると、木は木に貼ってあるだけなので痛くないと言う。
僕らはそろそろ退散しようと、散乱した自分の持ち物を、木のリコーダーは木のリコーダー同士、同類のものをまとめはじめると、ころころと落ちた何か小さい持ち物を女の子が持ち去ってしまう。机の下を覗きこむと、小さな動物になった女の子が、赤地に白い水玉模様の菓子をラッコのように胸の上に乗せ、舐めている。

(2012年8月7日)

蛾で封印

高架駅への近道だ、と思って細い階段を昇りきると、もう一度降りないと駅にたどりつけない「徒労の階段」であった。あきらめて階段を下り、次の上り階段にさしかかる谷に、風呂桶ほどの水溜りがあり、顔色の悪い裸の女子高校生が泥水に漬かっている。早く帰宅するようにたしなめながら死体のような女を引き揚げると、意外に体温は高く、声も快活なので安心する。狡猾な男の腕のようなものが女の性器から外れ、泥水に浮いている。女を捕らえていた邪悪な男性器のようなものの周囲に、ぐるぐると蛾の吐き出した糸を巻きつけておいた。

(2007年8月15日)