rhizome: 死の宣告

水疱の花びら

裸の自分の皮膚に、暗い赤色の花びらが無数についている。それはよく見ると、変色した自分自身の水疱だ。いつもなら気持の悪い事態なのだが、花びらのすばらしく深い色彩が美しく、うっとりと眺めてしまう。
自分は死ぬのだ、その兆候なのだ、ということを知らされたばかりなのに、あまり衝撃がないのは、この色彩のせいだということはよくわかっている。しかし、このことは父親には知らせなくてはならないと思う。父親に電話をかけなくてはならないのだが、十五年前に死んだ父は携帯をもっていない。ダイアル式の電話を探すために、あちこちの乾いた地面を掘ってみるが、なかなか電話にあたらない。

(2004年3月3日)

死と学習

数ヶ月後の死を宣告され、川の上流のとある自転車修理工場で働いている。どうしてそんな暢気でいられるの、と工場の女に声をかけられる。平静は装っているだけで、今になって思えばあんなにビールをがぶ飲みするんじゃなかったと後悔もするさ。
旋盤のチャックの形をしたディスクブレーキの新技術に対応するための講習会があると言うので、出かけることにする。それを習いはじめても、数ヶ月で習得できなければ無駄になる。死を宣告されながら無駄を承知で新しいことをするのは、いずれ死ぬのに生きているすべて人々と同じことだ。そういう金言がどこかにあったか、あるいは今思いついたのか、どっちにしてもその通りだと思いながら、下流の講習会場へと自転車を走らせるのだった。

(2001年10月13日)