rhizome: 駅前

カツオの身投げ

デパート屋上にある側溝を猛スピードで駆け廻っているカツオが、勢い余ってフェンスを乗り越えそうになる。網の上端で危うく堪えている魚を救出しようか迷っているうちに、カツオはしだいに外側へ傾き、駅前広場めがけて落下していく。

(2013年9月10日その2)

「か」の星座

駅の北口広場を飲み込むほどの湖に、船の丸窓と思しき部品が浮遊している。汚れたガラスにひらがなの「か」の文字が書かれているが、僕はそれを日本語の「か」として読むことを禁止されている。日本語を知らない異国人が「か」を形として見るように「か」を見なくてはならない。丸窓は浮き沈みしながら瓦礫とともに漂い、「か」は人の体になり、「か」はまた動物の顔にもなるが、気を緩めるとふとひらがなの「か」に落ちてしまう。

(2013年5月23日)

マゼラン雲銀座

上板橋の南口銀座からは、南半球でしか見えないマゼラン雲が見える。南口銀座の中ほど、おでん種の店で売られているゆで卵は、見た目よりやや青白くデジカメに写る。スペクトルの青方偏移を見るためにフィルムを装填したいのだが、デジタルカメラの裏蓋を開ける機構がどこに隠れているのかわからない。古書店の廉価本コーナーに座っている釣り堀のおやじは夕焼けを眺めながら、いつものおかしな息継ぎもなしに「マーラーはこの曲がり角でときどき火事に出会う」とつぶやく。

(2012年10月18日)

リアルグーグルマップ

常盤台駅のロータリーに、この町の広大なミニチュアがあり、朝焼けの斜めの日差の中、カメラのムビーモードでバーチャル空撮をする。日差しの角度が鋭く明暗を作る時間はわずかなので、焦ってカメラを動かしている。

(2010年8月9日)

色鉛筆の通路

駅前広場を出て道を左に折れると、機械油を吸い込んだ灰色の壁が延々と隣駅まで連なっている。この道は現在もあるが、こんな無彩色ではない。景色が単純で灰色なのは、今歩いている道が子供のころの道だからだ。
子供のころの道を歩きながら、ふと思い出した抜け道に分け入ると、そこは土砂や建築資材をうずたかく積み上げた場所で、登っていくと友達の父親が経営している工場の門があらわれる。
友達がくれた工場の見取り図には、坂の下までいっきに降りる土管が書かれている。子供のころは通り抜けるのがなんでもなかったその図面上の土管を、僕は白い色鉛筆を使って何度もなぞっている。こうしておけば、色鉛筆が蝋のように滑って体がつかえてしまうこともない。

(1999年1月15日)

探すために探す自転車

久しぶりに出会ったprotonとは話すべきことが限り無くあるのに、pは携帯電話で母親に九時に帰る約束をしてしまった。もう時間がない。家に送りながら夢中で話しているうちに、ふと西池袋界隈でpを見失ってしまう。
僕は夢中でpを探し始めるのだが、pを探すための自転車を探さなくてはならない。なかなか駅前の自転車置き場にたどり着けない。ガクランを着た大男が振り返りざま、この道を誰の許可を得て歩いているのかと凄む。そういえば昔、西口公園に自転車を乗り捨てたことがある。行ってみると、意外にも放置されたままの自転車を見つけ、試しに乗ってみると前輪がどこかに擦れて動かないのは昔のままだ。ボルトを外して組み立て直すと、見事に動きはじめた。
これに乗ってpを探しはじめることができる。達成感に満たされながら、人影も疎らな夜の街をあてどなくただ走っている。

(1997年3月3日)

葉脈状の樹

東武東上線の上板橋と常盤台の間に、教会がある。その教会の前に立って線路の方向を見ると、ポプラのように背の高い樹がある。その樹は葉脈の形をしていて、教会の方から見ると樹形だが、横から見ると薄くて樹には見えない。
その樹を見ようと、上板橋から常盤台に向かって歩くのだか、なぜか樹を発見する前に駅についてしまう。何度往復しても、樹が発見できない。ふと右の掌をみると、いままで黒子だと思っていたものが葉脈状に広がっている。ああここにあったのか、と納得する。

(1972年頃)