居酒屋の二階で、新田君はブルドッグのようにたっぷりとした顎を床板に乗せ、体を冷やしている。彼が結婚したことを母から聞いていたので、新居はどこか尋ねると、城北高校の近くだと言う。その場所はよく知っているよ。
新しい家のいちばん奥の部屋には、壁に塗りこめられた螺旋階段があり、それは各階につながっているので、ときおり上下の住人が行き来するのが見え、部屋に紛れこんでくることさえあると言う。設計者はプライバシー感覚の革新を狙っているのだが、思想が壁に塗りこんである家に住むのはごめんだね、と新田君が言う。
selection: すべての夢
バイク炎上
アルミ製キューブをボルトで組み合わせたバイクが、自動車とガスを交換している。それは非常に危険な行為だからやめたほうがいい、と実家の二階の窓から乗り出して忠告するのだが、案の定バイクは玄関までふらふらと移動し炎上しはじめる。この番号を押すのは生まれて初めてだと思いながら119番に電話をかけるのだが、電話回線が燃えてしまったのか、音がしない。到着した警察官は、これは日常的な出来事だからと笑顔で帰ってしまう。巨大なクレーンをあやつる業者がバイクの撤去費用を請求してくるので、彼の頬を軽くたたいて「それはまるでこうやって殴られたうえに殴られ代をとられるようなものじゃないか」と言うのだか、この男には複雑すぎる比喩だったかと後悔する。母親はそんなごたごたのなか、黙々と一階の障子を張り替えている。
池袋高原
泥まみれの絨毯のように重なりあった何頭かの牛が、地面に貼りついた頬を動かして何かを食んでいる。池袋に三か所しかない眺望の開けた高地のひとつにたどり着いたものの、この古い民家の中に入らないと遮られた絶景を見ることはできない。
屋敷の玄関に向かって進んでいくと、意図に反する何かが軌道をずらし、床下に紛れ込んでしまった。湿った縁の下に住んでいる老婆が僕と連れの女に呪文をかけたので、僕らはブランクーシの抱擁の形で一体となり、床下の地べたに投げ出されたままぐるぐる回りはじめた。どうあがいても、ふたつの不随意筋の絡み合いがほどけることはない。
老婆が不意に靴下を脱いで、農作業で変形した足と、そこに貼った木片を見せた。大工の墨書きがそのまま残る粗末な板が痛々しく、同情をこめて痛くないのか尋ねると、木は木に貼ってあるだけなので痛くないと言う。
僕らはそろそろ退散しようと、散乱した自分の持ち物を、木のリコーダーは木のリコーダー同士、同類のものをまとめはじめると、ころころと落ちた何か小さい持ち物を女の子が持ち去ってしまう。机の下を覗きこむと、小さな動物になった女の子が、赤地に白い水玉模様の菓子をラッコのように胸の上に乗せ、舐めている。
有機物ネットワーク
東京の地下鉄網が東の果てで途絶える駅を出ると、景色があちこち錆びている。使っていない工場の壁に、操車場の電車の窓にあたった西陽が、ゆがんだ四角い反射を落としている。この奇妙な一瞬を写真に撮ろうとRにカメラを借りるが、電池あるいはメモリに問題があるため画像が保存できません、と表示される。
空に突き出す何本もの塔の中、町はずれにあるひときわ巨大な煙突を目指して歩いていく。しかし、どんな光景に出合っても写真が撮れない。せっかくだからカメラを持って次に来るときのために歩ききらないでおこうよ、と言うのを聞いていないのか彼女はどんどん地下通路に潜り、突き出した土管から顔を出すと、広大な更地をブルドーザーが這っている。
巨大な煙突は、地域の有機物を人間の死体も含めてすべて空中に返し、世界中の空気から有機物を回収するネットワークで、そのための工事をしているのだと言う。鉄パイプ製の車に乗ると、地域の王子らしき裸の子供が、煙突の熱は使い放題だけれど絞れない=制御できない、と言う。しかし余った熱は、車のフレームであるパイプにつなぐと車全体に行き渡るのだ、と言う。
悪い機械
散乱するマットに何度も飛び込むうちに、ふと落下寸前で飛行に転じる力の入れ方を習得した。ぐいぐいと高度を稼いで、体育館の天井までたどりつく。体育館の屋根裏に住み着いて仕事をするnishinoさんらしき男と机を並べ、僕は自作のラジオを聞いている。男が作ったアルミ製の節足動物型多関節ロボットを訪ねてきた小林龍生が目ざとくみつけ、なかば冗談でリンゴを与えると、多関節ロボットは頭部の触角で幾度か対象物を探索する動作をしたあと、いっきに体ごとリンゴ内部に侵入し、果実を液化して吸い尽くしてしまう。その邪悪な光景に興奮した小林は、ロボットの腹をぐいとつかみアルミ製の頭を壁に打ち付けると、火花が飛び散り燃え始めた。
北朝鮮の列車
列車に乗って北朝鮮を旅しているのだが、中国語で話しかけてくる男や、日本語は通じないと油断して会話している日本人などばかりで、ようやく見つけた地元の女の子にカメラを向けると、アナログのダイアルのついたカメラを、彼女もまた僕のペンタックスに向け、写真機で写真機を撮り合うことになる。北朝鮮の列車は、末端まで歩くと列車の床とホームがシームレスにつながっていて、しかもホームと駅の外も継ぎ目がない。意識せずに歩いていると危うく列車から離れ、道に出てしまう。再入場を咎める駅員に切符を見せて説明するが、言葉が通じない。
エレベーターの隙間
女たちは病院の患者のように決められた服を着せられ、見え隠れする恥部や乳房を隠そうともせず、エレベーターAから別系列のエレベーターBへと乗り移っていく。
エレベーターの箱の奥にあるもうひとつのドアから、このビルのオーナーと思しき車椅子の女が、ほとんど人間の体をなさない崩れた塊として現れる。その箱の天井の上に紛れ込んだ僕は、ふわりと金属ワイヤをあやつり、なんとか建物の外に出ることができた。
ビルの傍らを流れる川には、夥しい都市の残滓が流れている。この風景はすでに何度もリプレイされているし、これからも繰り返されることがわかっている。
掌の建築
建築プランが書かれた紙を、西田さんはマンションの屋上まで運び、堆積したさまざまなものの中に埋めてしまおうとしている。そのプランとは、まず両の掌を宙にかざし、しだいに顔に近づけるとそれは見えにくくなり、しまいにすっぽり頭部を包囲すると掌ごと完全に見えなくなる、という建築作品。
多関節蛇列車
巨大な多関節蛇型列車が、竜のように形を変えながら高島平の発着場に降りてくるのを待ち受けようと気が急いている。北端の崖を走り降り、自転車を乗り捨て、線路脇に張られたピアノ線の縄梯子を注意深く踏み外さないように登りはじめる。
ダチョウパイロット
広いグラウンドのフェンスの縁に体を押し付けて寝ている。突如、巨大な鳥の形をした飛行機の長い首が空に現れ、ゆっくりと倒れかかってくる。これは訓練かなにか通常のことなのだとわかっているのだが、逃げようかどうか体が迷っているうちに、その乗り物は思いきり頭を地面に叩きつけた。人は乗っているのか、これが訓練なら命がけだ。ダチョウの頭にある操縦席を見やると、ヘルメットをつけた二人のパイロットの片方が、一瞬こちらを見て合図を送ってきたような気がする。
やんばダム
高い橋脚のまだ上が乗っていない平面に、熊田曜子と空を見上げながら寝ている。女の横顔、コンクリート、空。ほかには何もない。
屋敷の壊れもの
その女とは、広い田舎屋敷のどこかでたまたま席を隣り合わせただけだが、それからずっと女のことが気になっている。広間でうたた寝をしている時も、薄く開けた目に玄関から入ってくる女の姿を感じ、薄掛け布団を上にずらして気付かれないように身を隠した。
奥の狭い部屋に女と女の友人の気配を感じ、引き戸の前を何度か行きつ戻りつ、意を決して偶然を装い部屋に入ると、布団のほかは何もない。布団をめくると、彼女の顔は試合後のボクサーのように腫れて膿が出ている。大事なものは壊れる。そう思いながら、何をすればこの人を癒せるのか、それがわからず途方に暮れる。
機械仕掛けの写真展
高速道路沿いに建つ高い換気塔の内部に入り、吹き抜けの最上階まで登る螺旋階段に展示された、おそらく今まで誰一人鑑賞したことのない写真をひとつひとつ見ている。作品を収集した日焼けした服部桂さんに名刺を差し出そうとするが、財布の中から見つかる紙片はどれも名刺のようで名刺ではない。服部さんはすべて理解しているからその必要はないと言うが、彼の浮かべる表情から、彼が実は理解を模倣した機械であることがわかる。額の中のプリントに焼かれた宙を落ちる人間の像は、コントラストや彩度が画像処理ソフトのように刻々変化する。この写真も機械の一部であることを僕は見抜いている。
坂道の祝典
本当は行きたくない気分を押して式典にやって来た。しかしそこに会場はなく、朱色の橋の上、石垣の前、細く蛇行した坂道など、来賓が思い思いの場所に陣取って挨拶をしている。これはいい。うまいやり方だ。この形式なら知事の演説をパスできて都合がよい。
坂を登りきったところで、居眠りが襲ってくる。犬を連れた女が、いつの間にか添い寝をしている。犬は僕によくなついている。飼い主の女が誰で、女になついてよいものか、それがよくわからない。
長い縦の坂道に短い横路が渡されたあみだくじ状の坂道を、高速に駆け抜ける一団がある。走ること自体を目的にしたこのゲームの首謀者に、商売のじゃまだからやめろと店の主人がケータイで抗議している。しかし路地の隙間を走り抜けるぶれた人影ははっとするほど美しいので、むしろ観光資源になるはずだ。この町に集う人たちは、荷物をそこここに投げ出して走り回っている。志を同じくする人たちは、互いに信頼し合っている。ここはそういう美しい町だ。
無造作に累積した荷物の中から、自分の古びた鞄を探し出すと、中にカメラがない。よくなくすね、と小林龍生さんに言われる。「いやなくしたことはない、捨てたことがあるだけだ」と悔しまぎれに反論する。
イスラムの讃美歌
走りながらどんどん壊れていく自転車に乗って遠出をしている。ついに外れた前輪を前籠の中に投げ込んでしまったのに、まだなめらかに走ることができる。高円寺の巨大イスラム寺院に来たところで、アカペラの讃美歌とスーフィーの混合音楽が聴こえてくる。この建物の屋上に幽閉された女を連れ出し、寺院からの脱出を試みるが、女だけ軽々と壁面伝い斜めに駆け降り、寺院は女が蹴り抜けた壁の煉瓦から次々と崩れていく。