rhizome: 死にゆく女

キソさんの胸元

玄関の鍵をかけ忘れたまま眠ってしまったので、女たちが何人も入ってきて台所に溜まっている。部屋の隅で眠っている祖母のキソさんが起きてしまわないようにキソさんに覆いかぶさると、ニッキの匂いがする。正面から抱き合ったキソさんは、明るい白地に花柄の空間を胸元に抱いている。これから死に行く人の内部はこのように明るいのだ。

(2015年9月16日)

屋敷の壊れもの

その女とは、広い田舎屋敷のどこかでたまたま席を隣り合わせただけだが、それからずっと女のことが気になっている。広間でうたた寝をしている時も、薄く開けた目に玄関から入ってくる女の姿を感じ、薄掛け布団を上にずらして気付かれないように身を隠した。
奥の狭い部屋に女と女の友人の気配を感じ、引き戸の前を何度か行きつ戻りつ、意を決して偶然を装い部屋に入ると、布団のほかは何もない。布団をめくると、彼女の顔は試合後のボクサーのように腫れて膿が出ている。大事なものは壊れる。そう思いながら、何をすればこの人を癒せるのか、それがわからず途方に暮れる。

(2010年12月1日)

ミルク色の死者

斜面にめり込んだ家々の屋根より、坂道のほうが高いところにあるので、道から注意深く足を伸ばして天窓に入ることができる。天窓から壁を伝って部屋まで降りる途中で、いままでいっしょにいたnanayoが居なくなっていることに気づく。
どこではぐれたのかまったく思い出せない。僕は彼女が死んでしまったことを感じ取っていて、せめて彼女が部屋のどこに残っているか考えはじめる。
銀色のスプレー缶の噴出口と、点火したガスバーナーの噴出口を向かい合わせると、スプレー缶の先は次第にオレンジ色に光り始める。炎が尽きると、印刷された取扱説明の文字の上に、濃いミルク色の物質がわずかに残る。その物質を指で掬い取り舐めてみるとnanayoの味がする。彼女はやはりここに居て、缶の中にとどまっていてくれた。

(2007年10月3日)

輪読会の犬

土の露出したグラウンドで、マグカップに書かれた文庫本を輪読するゼミに出席している。青土社から出ているこの陶製の本は、注釈の小さい文字が円筒の表面にびっちり書かれている。輪読に参加している華奢な体の女が、小型犬に頭から飲まれてしまう。胸まで引き込まれた身体をやっとのことで引きずり出すと、苦しそうな女は透明な粘液にくるまれていて、このままでは窒息してしまうだろう。服をはだけた女の胸は子供のようで、やや膨らんだ乳首をぬぐうと、掌にあばら骨を感じる。

(2006年2月23日)

迷路の情事

コンクリート迷路の深い行き詰まりに、自分の部屋がある。そこから迷路をはるか逆にたどった出口に、玄関がある。遠い玄関の鍵を掛け忘れていないか、Sは気がかりで落ち着かない。しかし玄関まで行く気力が湧いてこないので、僕はSの気を逸らそうとしている。屋外迷路には天井がないので、容赦のない日差しが唇にあたってひりひりする。Sの切れ込んだ股は襞が濡れて光っているのに、顔の唇はかさぶたのようにごわごわしている。そう易々と気を紛らわせてくれないSは「私はキスが嫌いだったんだ」と言う。Sの腹部は半透明の乳白色で、左脇から管が痛々しく挿入されている。右脇の管は外れて、ミルクチョコレート色の液体が漏れ、くぼんだ腹に溜まりかけている。

(2004年7月3日)

石棺の女

駒込の交差点は、車両を通行止めにしているせいかいつもより広々と感じられる。そこに儀式めいた黒い車や、霊柩車、テレビの中継車などがゆっくりと横切っていく。人の歩く速度の車列についていくように歩いているのだが、道筋はまるで廃品回収の車のようにあてどもない。テレビのモニターに映る自分の服装は、性器のあたりだけうっすら黒々と透けていて、作者の意図を重んじてそのまま放映しています、というテロップが重なっている。死んだ女性は何とか皇子といった名だが、そんな名前だったのか、もっと普通の名前ではなかったのか、と混乱しながら、一足先に彼女の家に行ってみることにする。彼女がいったい誰だったかはっきり思い出せないのは、自分の脳の連続性がおかしくなっているのだと思う。しかも目の前の女は生きていて、よしよしどうした、何しよう、まずご飯を食べようか、などと狼狽する僕をなだめてくれる。僕は平静を装いながらも、いま一番したいのは食事ではなく体をぴったりくっつけることだと言うのだが、相手の体は視界になく、体と体の組み合わせ方をいくら考えても、対象が四角い石棺になってしまい、頭の中で形が組み合わないのは自分の脳のせいだと思う。つい口にしてしまう「死ぬのって時間かかった?」という問いに「そうねぇそんなでもなかったよ」と答えた女は、死んだことが確定したとたんに顔がSamになり、涙と苦しさがとめどなくこみあげてきてどうにも止まらなくなってしまう。

(2003年7月9日)

黄色い彫刻に身を隠す

ニューヨークがまだいたるところ森林だったころ、私は小型の蒸気機関車にまたがり、運転士をしている。森を走り抜ける蒸気機関車は、時に脱線しては線路に復帰するほどラフな走りで、客車にはポッキーを食べている女子高校生の群れが見えた。

線路沿いに、マッチ箱を立てたようなギャラリーの長屋がある。ギャラリーの向こうには、広い坂道がある。その坂道を、高速で走る車がごろごろ転げ落ちる。ギャラリーの女性オーナーは、大きなガラス窓ごしに事故の光景を眺めながら、なぜ人は蒸気機関車のようにゆっくり走らないのか、なぜ死に急ぐのか、と演劇風に嘆いている。

私の名はモー(というらしい)。事故で死んだ女(私のかつての恋人パトリシアらしい)を抱えた組織の男が、ギャラリー界隈でモー(私)を探している。私は、もう面倒はゴメンだ。

私は、崖っぷちに林立する黄色い鉄骨の彫刻群に向かって歩きはじめた。胸のポケットに挿したレンタル万年筆が壊れないように気づかいながら、巨人彫刻の肩によじ登り、私は私を探している男と死んだパトリシアの人影を見ている。

(2001年1月4日)

変な葬式

S子が死んで、僕は葬式に駆けつけたのだが、どうやらこの世界は普段僕らが慣れ親しんでいる世界とは違うようだ。たくさんの友人に混じって、S子自身もいるのだ。S子は、これから死ぬのだと言っている。「もう時間がないけど、もうちょっとみんなといっしょに居たいから…」
僕は、林耕馬とインターネットの話などをしている。そんなことをしていていいのだろうか。僕はS子と話がしたい。「でもね、ほかにもS子と居たい友人はたくさんいるんだから、ここはひとつ遠慮しておくべきじゃないの?」と耕馬が言う。それもそうだ、その通りだ。
いよいよS子は死んでしまうのだ。僕は彼女と手をつないで、彼女が入ろうとしている壊れかけた木戸の方に向かって歩きはじめる。いたたまれない気持になっている。こんな悲しいことがあるものか。友人への遠慮なんてどうでもいいじゃないかと思い、S子を抱きすくめてキスをすると、S子はいきなり舌を入れてくる。S子とは長い付き合いになるが、キスをするのはこれがはじめてだ。もうセックスする時間もないのに、どうしてこんな土壇場になってこうなってしまうのだ。これから死ぬ女と、舌を絡ませたりしていていいのだろうか。

(1997年1月7日)