rhizome: 線路

ドローン刺客

三つのドローン追いかけられ、鉛筆のように細い煉瓦造りの塔を登り7階の女の部屋に逃げ込む。音もなくドローンは7階の窓のまわりを行き来し始め、顔認証されないように窓に背を向けるが、もうここから逃げたほうがいいと女が言う。急ぎ塔を駆け降りて煉瓦色の貨物駅の線路沿いを行く仮装行列に紛れ込むが、仮装していない自分はかえって目立つ。

(2018年3月16日)

木箱戦争

中野坂中腹にある屋台では、受付窓から次々と食べ物が提供され、集う同志に食べ方を説明する必要がある。
男は3階建て木箱の3階に布団を敷いて住みつき、監視と戦っている。事情を知らない女が布団に入ってきては裸のまま外に出ようとするので、そのたびに監視に見つかると諭すのだが聞いてくれない。監視は機械群で人間の形すらしていない。突然地面に穴が開きテレビカメラ状の眼で睨んでくるので、飲みかけの炭酸飲料を詰め込んでやる。
最下階の図書館にたむろする中学生は、監禁されていることを知らない。中二階の階段に潜望鏡のモニターがあり、そこに棲みつく鼠がいる。鼠の遺伝子に感染を試みると、鼠は次々と病になり、病の鼠が機械の中枢まで至り、ついに機械の感染に成功する。
かくして木箱のあちこちが壊れはじめ、木箱を操る監視の人影の退却が始まる。監視の影は去り際に、監禁された人間の服をターゲットに色彩の弾を放つだろう。われらはみな服を脱ぎ棄て3階の隅に退避すると、3階建の木箱ははじめて線路上を走り出し、交番の前で止まった。

(2016年5月17日)

死者と宴会

ともに仕事をしていた会社側のプロジェクトリーダーが突然亡くなり、死んだ彼と飲みにいくことになる。道すがら彼は、コンクリートの角材を線路沿いの鉄柱に持ち上げる作業など、生前にやりかけた仕事をしている。彼はなぜか終始にこやかだ。広い宴会場で、僕は母親の膝の間に身を沈めている。Hが家族とともに来ている。彼も、もうすぐ死ぬのだと言う。僕は死に意味がないことを説くために、世界は数であり、あらかじめ計算ができる数に時間はない、などと言っている。Hは、気休めはいいから、と笑う。Hの二人の娘に、近所だからこれからも仲良くしようと言う。鉄道の操車場を自転車で走る男がいて、いっしょに駆けまわるHの二匹の犬たちの黒毛はびっしょりと汗に濡れ、冷えたあばらを触ると激しく呼吸している。神保町にある彼の図書館から、布ザックいっぱいの廃棄本を回収する。琳派の豪華本やガロのカタログなどがある。図書館から隣の工務店にするりと入ってしまうが、工務店から図書館へは壁があって戻れない。大きいザックを自転車の籠に入れて運ぼうとするが、膨大な積荷を自転車で運ぶ力学を解説した本があり、そこには家一軒もある大きさの荷物を引く自転車が、神保町の交差点を巧みに曲がる動画が付属している。大きな荷物に張り付いた何人かの男が、倒れそうな方向と反対側に重心を傾け、バランスを保っている。

(2015年3月19日)

ロケットランチ

東洋大学の学食はシステムが複雑すぎる。トレイに料理を載せ、お金を払うまでに何度も躓いてしまう。馴れている稲垣さんはとっくに食事を済ませ、休憩所で昼寝をしている。頭上を日立製作所の試験線路が走るベンチに陣取り、食事を始めると、ロケットエンジンで走る試作車両が豪速で走り抜け、そのたびに液体燃料タンクに付着した氷が解けて昼食トレイの上に冷たい水滴を落としていく。

(2012年12月22日)

多関節蛇列車

巨大な多関節蛇型列車が、竜のように形を変えながら高島平の発着場に降りてくるのを待ち受けようと気が急いている。北端の崖を走り降り、自転車を乗り捨て、線路脇に張られたピアノ線の縄梯子を注意深く踏み外さないように登りはじめる。

(2011年7月19日)

播種装置

いつもきみたちのところで飲んでいるのは申し訳ないからと、杉山先生が鶴川にある自分のマンションに招待してくれると言う。僕はそれを、相模なんとかという駅で聞き、さてどうしようか迷っていると、着替えなどは以前ロッカーに置いたままだから、とRがキオスクの従業員用の扉を開ける。そこには見覚えのある靴やシャツやバッグがかかっている。そういえばここ何年か見なかったのは、ここに置いてあったからか。
相模なんとかという駅は終着駅で、やけに巨大な先頭車両が、線路終端のコの字ホームに入り込んできたところだ。黒人の運転手が声をかけてきて、この機械のわかりやすさを実証するために、いくつかインタビューしたいと申し出る。僕は彼の説明を聞きながら実際に鉄の塊を操作してみるが、回転数の設定はレコードプレーヤーとほぼ同じ目盛に、特殊な速度を上書きしただけなのがバレバレだ。この鉄の塊は、実は種まき装置なのだ、と黒人がこっそり告白する。

(2007年7月2日)

とるとるとる

客である僕をまるで身内のように扱ってくれるその店で、乾杯のために出されたビールジョッキには粉状の青海苔が並々と注がれていた。粉体を飲み干すのがこんなにつらいことだとは思いもよらず、しかし特別な乾杯を飲み残すわけにはいかないので、店を出てからずいぶんたつのにまだ自分の内側に乾いた海苔の香りが貼りついている。

潮の香るこの町で、巻き針金を鉄道の操車場に届けるのが僕の仕事だ。作業服の男たちに、差し渡しが身長より大きい針金ロールを届けると、線路端の木の机になかば破棄された、あるいは不器用に展示された動物や人形などの工芸品群を見つける。青錆色に光を反射するこれらを、持って帰っていいものか、いやそれはことによると盗みになっていまうかもしれないから、やはりこれは写真で撮って帰るのが妥当だろうと、デジカメを向けてあれこれ構図を考えていると、背後に順番待ちのおばさんたちが撮影準備をはじめている。彼女らは写真を撮るにつけてもずうずうしく、さっきまで空に広がっていた綺麗な雲がほしいと一人が言うと、でもその雲はあなたがカメラで吸い取ってしまったんじゃないの、ともう一人。特売品を確保するごとく聞こえるこの人たちの言語には、撮る盗る取るの使い分けがない。

(2001年7月8日その1)

黄色い彫刻に身を隠す

ニューヨークがまだいたるところ森林だったころ、私は小型の蒸気機関車にまたがり、運転士をしている。森を走り抜ける蒸気機関車は、時に脱線しては線路に復帰するほどラフな走りで、客車にはポッキーを食べている女子高校生の群れが見えた。

線路沿いに、マッチ箱を立てたようなギャラリーの長屋がある。ギャラリーの向こうには、広い坂道がある。その坂道を、高速で走る車がごろごろ転げ落ちる。ギャラリーの女性オーナーは、大きなガラス窓ごしに事故の光景を眺めながら、なぜ人は蒸気機関車のようにゆっくり走らないのか、なぜ死に急ぐのか、と演劇風に嘆いている。

私の名はモー(というらしい)。事故で死んだ女(私のかつての恋人パトリシアらしい)を抱えた組織の男が、ギャラリー界隈でモー(私)を探している。私は、もう面倒はゴメンだ。

私は、崖っぷちに林立する黄色い鉄骨の彫刻群に向かって歩きはじめた。胸のポケットに挿したレンタル万年筆が壊れないように気づかいながら、巨人彫刻の肩によじ登り、私は私を探している男と死んだパトリシアの人影を見ている。

(2001年1月4日)

葉脈状の樹

東武東上線の上板橋と常盤台の間に、教会がある。その教会の前に立って線路の方向を見ると、ポプラのように背の高い樹がある。その樹は葉脈の形をしていて、教会の方から見ると樹形だが、横から見ると薄くて樹には見えない。
その樹を見ようと、上板橋から常盤台に向かって歩くのだか、なぜか樹を発見する前に駅についてしまう。何度往復しても、樹が発見できない。ふと右の掌をみると、いままで黒子だと思っていたものが葉脈状に広がっている。ああここにあったのか、と納得する。

(1972年頃)