自宅裏手の深く切り込んだ崖に、珪藻土の小片を落としてしまう。強力なライトで崖底を照らすと、老婆がまぶしそうに見上げながら珪藻土をこちらに差しだしてくれる。老婆からはライトを持っている人間は眩しくて見えない。駅前の人の流れを分ける小高い中洲で、飯田くんと水越さんが宴をひろげている。歩道橋に陣取った放送ブースの男が、中洲呑みはメディアか、などとめんどくさいことを聞いてくるのでシカトする。遠方に見える自宅の照明が灯台のビームを出しているのを見て、照明は照らされる側にとって暴力だと飯田君がいう。操車場の貨物列車に乗った数百体の彫刻が、シルエットの行列をなしていま動き出したところ。
rhizome: 崖
血液交換場
土の露出した断崖に、人ひとりやっと通れる穴があり、くり貫かれた土の中に酒場があり、好きな酒を好きなだけ呑み好きなだけ金を置いていく仕組み。鈴木健が、自分は蚊に刺されても放置するという。好きなだけ血を吸わせて、そのうち自分の血が蚊と交換されて別ものになってもそれはそれでいいというので、いやだめな蚊もいるだろと反論する。
身体空間ペイントシステム
久しぶりに作っているペイントシステムは、画素が立方体で、身長より高い。画素の段差の谷間を歩くと、そこここで画素が自律的に反応し、形が生まれる。沢を登り、選択したツールを使って切り立った画素の崖を削り始める。1画素を加工するのに半日はかかるな、と思う。
生物教室放出品
古いコンクリート造りの校舎で、生物学教室の廃棄品を放出している。染色液が漏れたプレパラートや、青く変色した児童文学全集がある。各病院から二人までと言われているが、無関係の自分や女子高校生が紛れ込んでいても咎められることはない。根元から折れた水晶の柱は、断面がつるつるになるまで磨滅している。道に埋められていたからだろうか。女子高校生が手にとると、水晶の下から顕微鏡のXYステージが現われる。女子高校生とじゃんけんをして手に入れる。ただ、彼女はじゃんけんの原理がわかっていなかったかもしれず、腑に落ちない顔をしていた。ツマミを回すと驚くほど滑らかに上台が滑る。先端に穴のあいた彫金用スクレイパーをポケットに入れる。
何枚もある素描を見ていると、老いた女が「この絵は息が詰まる」という。これは死んだ画家とその弟子が描いたものだが、どちらの絵がそうなのか尋ねると、女は黙ってしまう。彼女自身、山下という画家のゴーストペインターだったと言う。
地下室に陽が当たるのは、地上から掘られた深い崖底に出るガラス戸があるからで、外に出ると地上に続く坂がある。大和田さんが、地上までの坂道をバギーに乗せてくれる。
戦争博物館の血模様
木も人も家もなにもないイラン高原を歩いていると、突然眼下に崖が切り込み、おいしそうな食べ物の匂いが立ち上ってくる。崖の中腹に嵌め込まれた金魚鉢の内側で、久米姉妹が浴衣を着て日常生活を営んでいる。僕は彼女たちとともにガラスの内側にいて、外の男たちを軽蔑している。崖の底では小さいカラフルな象たちが、泥まみれになって遊んでいる。学ランを着た長身の男が池のほとりに倒れこみ、そのまま平面化する。
中国の戦争博物館では、血でぬられた壁がいくつも展示されてるという。しかし、匂いに気をつけたほうがいいと久米(姉)からアドバイスを受ける。展示室のひとつに入ると、水墨で描かれた葉に血で塗られた赤い花を敷き詰めた美しい模様が一面に描かれていて、息ができないほど血なまぐさい。
屋上が一階
谷通りに面した建物の一階から、螺旋階段を昇り、階ごとに色の違う店(黄色い泥を壁に塗った店、青い粉を詰めたタッパーを無数に積み上げた少年の店、白いブランクの店)を覗きながら最上階にたどり着くと、再び一階の表示がある。崖に沿って建つビルの最上階が、ちょうど高台の地上の高さだからだ。
山の一階から再び谷の一階に降りるために、建物の屋上へ戻ろうとするが、崖と屋上の隙間が広すぎて、谷底を見ながら跨ぐことができない。
白滝と巨人
警察署の周囲に張り巡らされた有刺鉄線が、ことごとく糸こんにゃくと化し、余った針金は「しらたき」として束ねて結んである。遠く崖線に沿って走る高速道路の上を、捕縛を逃れた巨大な白い人がゆっくり歩いていくのが見える。
爆走レース
財布をいつも身に着けていないからなくすのだ、と木村拓哉がなじるので、それならお前が財布になれと言うと、彼は憤慨して運転席から去ってしまう。彼には僕の落胆は理解できない。やむなく僕は隣を走る車の運転を真似てボタン操作をすると、車は渋滞する車列の屋根の上を走りだし、大暴走の果てに火花をあげて大破する。
車を処分するときには右翼を使えという教訓があるので、イタリアマフィアのいるガラス張りのブティックの前に車は捨て置くことにする。彼の手下がダイナマイトを車の下に仕込むのを見とどけ、僕は安堵して土手を登り、自転車レースに紛れ込むことにした。門にいるエントリー担当の女が、靴ひもの穴の数が違反しているのでこのままではレースに出られないと言う。どうにかできると思いますが、と言いかけたところで、靴の鳩目がぼろぼろと彼女の病気の皮膚にこぼれ、ブルドッグのように小さくなった彼女は、赤黒く襞の寄った裸の身体を掻きはじめた。
画素格子
絵を拡大していくと画素の中に絵がありその画素の中にも絵がありさらにその中にも絵がある映像を投影して、世界はこのように無限の細部があるのになんで単層のつまらない絵など描くのか、と口走ってしまう。講堂を歩き回りながら、こんなふうに煽るつもりはなかった、連画について話しているのに、このままでは収拾の見込みがない、と思い始めたところで高野明彦さんがマイクを取り、持参した試料にガイガーカウンターらしき装置をあてたので、僕はこの窮地を切り抜けることができた。装置はあちこち光りはじめるが、しかし装置がα線源に反応しないのを僕は知っている。
講堂の灯りが揺れはじめた。次第に振幅が大きくなる。僕は外に出て財布やノートを置いてきた山岳地帯のガレージをめざして走った。地すべりも始まり、ここで自分の命を優先するか荷物を優先するか、迷いながらも崖をくりぬいたガレージに来てしまう。崩落した画素の格子に閉じ込められた男がいるのを見て、荷物はもうあきらめるしかないことを悟る。
多関節蛇列車
巨大な多関節蛇型列車が、竜のように形を変えながら高島平の発着場に降りてくるのを待ち受けようと気が急いている。北端の崖を走り降り、自転車を乗り捨て、線路脇に張られたピアノ線の縄梯子を注意深く踏み外さないように登りはじめる。
松庵寿
下赤塚から北の崖線へ至る途中、急峻な岬状の丘を分けるY字路があり、そこに松庵寿というコンクリート製の地蔵がある。素人が趣味で作ったらしき地蔵は、ときどき思いつきで悪趣味な姿に変わるし、ご利益などなにひとつなさそうだ。にもかかわらず、コンクリートの斜面をよじ登っていくほどに、なかなかたどり着けない地蔵への思いが募る。
ネジ山の北朝鮮
険しい崖から削り出された山道を、佐々木俊尚さんと歩いている。神田川沿いを歩きはじめたのに、真下の断崖は深くえぐれてそこはもう北朝鮮だ。ブリューゲルのバベルの塔の構造を模しているので、こういう立体空間では平面上の国境は意味ないね、などと話しながら歩いている。しかも、ねじ山をひとつ間違えると簡単に北朝鮮に紛れ込み、いつのまにか夏の学生服を着て国家に服従する自分に幸福を感じる。問題は国家でも思想でもなく自分自身とねじの関係なんだ、と潜めたはずの声が、意外なほど長く洞窟に響いて消えない。
苦しい下山
ほとんど崖っぷちを歩いているように見える桜日さんに、お願いだからもうちょっと真中を歩いてほしい、と無線連絡する。小高い丘の頂上か、高い建物の最上階か、僕は鳥瞰する位置からファインダー越しの桜日さんを見ている。心配になって、自分も彼女の位置までやってくると、そこは意外に安全なスロープのヌーディストビーチで、しかも照明もなく薄暗い屋内プールだ。僕は、この人と山を降りようとしている。
彼女は昨夜、空からたくさんの火球が降る中、家族連れの富士通の社員とこの山にやってきた。山を発つ前に一言挨拶がしたいと言うので、彼らの宿を訪ねると、案の定白髪交じりのその男は以前どこかで会ってどこかで飲んだことのある男だった。僕は、天候が不安定な山をどんどん彼女と降りてしまう。彼女は、LIFEの英語版と日本語版を持ってきて昨夜は一人で読み比べて過ごした、と言う。すると僕は、桜日さんへの甘い恋心が湧き上がると同時に、僕には連れがいて数時間後に山の上で大事な講演の予定があったことを思い出す。引き裂かれながら、言い出しかねて、山に戻るか降りるかの決心がつかないでいると、にわかに黒い雲が立ち込めてきて、これはやはり山に帰るしかない、桜日さんを落胆させるしかないのだろうと諦め、大事に取っておいた百五十二円玉をよけて小銭を出し、ケーブルカーの切符売りのおばさんから切符を手に入れた。
黄色い彫刻に身を隠す
ニューヨークがまだいたるところ森林だったころ、私は小型の蒸気機関車にまたがり、運転士をしている。森を走り抜ける蒸気機関車は、時に脱線しては線路に復帰するほどラフな走りで、客車にはポッキーを食べている女子高校生の群れが見えた。
線路沿いに、マッチ箱を立てたようなギャラリーの長屋がある。ギャラリーの向こうには、広い坂道がある。その坂道を、高速で走る車がごろごろ転げ落ちる。ギャラリーの女性オーナーは、大きなガラス窓ごしに事故の光景を眺めながら、なぜ人は蒸気機関車のようにゆっくり走らないのか、なぜ死に急ぐのか、と演劇風に嘆いている。
私の名はモー(というらしい)。事故で死んだ女(私のかつての恋人パトリシアらしい)を抱えた組織の男が、ギャラリー界隈でモー(私)を探している。私は、もう面倒はゴメンだ。
私は、崖っぷちに林立する黄色い鉄骨の彫刻群に向かって歩きはじめた。胸のポケットに挿したレンタル万年筆が壊れないように気づかいながら、巨人彫刻の肩によじ登り、私は私を探している男と死んだパトリシアの人影を見ている。
海を臨むマンション
まさか住み慣れたマンションに地下があり、しかもそこにRが住んでいるとは思いもよらなかった。プールの底がガラス張りで、そこを天窓とする地下にもうひとつプールのある部屋がある。光がこぼれ落ちる二重底プールが隠されていたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど」と、彼女が開けた窓から海が垣間見える。ああ、海沿いの崖を登ったときに見えた窓はここだったのか、と納得する。
厨房の勝手口で、コックが「魚お造りしましょうか?」とRに声をかける。長年住んでいるが、このマンションに食堂があり、こんなサービスがあることを知らなかった。食堂で中庭のおしゃべり女たちに混じって食事をとる。ここで食事をとるのも、もちろん始めてだ。常連たちの視線がRと僕に注がれる。オマール海老を剥いていると「そろそろ出発の準備しないと」とRに促される。
着替えるために二階の自分の部屋に戻ると、新聞勧誘員の清水と名乗る男が待っている。清水は、これから階下で始まる出発の儀式のために正装を用意したと言う。これを着て「海ゆかば」を歌いながら出発してくださいと言う。僕は年齢的にも思想的にもそういうことはしないのだと言いながら海軍将校の軍服らしきものを手にとると、それはジャージで、背中にジャイアンツのマークが入っている。
一階の入り口にはたくさんの人が集まっていて、この事態に困惑するRの顔も見える。小学生たちが駆け寄ってきて、あんざいさんの生まれた家を知っている、と言って指さした指の先からジグザグの光線が描かれ、光線の先をたどると確かに中台の実家の勝手口に届いている。現在そこには、見知らぬアル中の主婦が住んでいる。アル中女は、おぼつかない手で握ったコップの酒をぶちまけてしまい、酒は窓に張り付いた野生の海老にかかる。遠赤外線ストーブの熱がガラス越しに海老に当たり、酒蒸しになった海老がしだいに良い匂いを放ちはじめた。