rhizome: 地下の空間

保護色の猫

スイッチを押すと何もない地面から正四角柱の玄関が生えてくる。柱の中からスイッチを押すと、柱とともに地面に入り、切り出し場を利用した明るい地下空間に到達する。開催中のバザールは買いたいものはないけれど撮りたいものだらけ。肩車に乗ったモナコ王室の子供も写真に収まってくれる。保護色の猫が狭い土のトンネルを行き来している。保護色といっても、ペン画調の猫の毛並みに合わせて変化するのは背景の土のほうだ。

(2018年2月7日)

生物教室放出品

古いコンクリート造りの校舎で、生物学教室の廃棄品を放出している。染色液が漏れたプレパラートや、青く変色した児童文学全集がある。各病院から二人までと言われているが、無関係の自分や女子高校生が紛れ込んでいても咎められることはない。根元から折れた水晶の柱は、断面がつるつるになるまで磨滅している。道に埋められていたからだろうか。女子高校生が手にとると、水晶の下から顕微鏡のXYステージが現われる。女子高校生とじゃんけんをして手に入れる。ただ、彼女はじゃんけんの原理がわかっていなかったかもしれず、腑に落ちない顔をしていた。ツマミを回すと驚くほど滑らかに上台が滑る。先端に穴のあいた彫金用スクレイパーをポケットに入れる。
何枚もある素描を見ていると、老いた女が「この絵は息が詰まる」という。これは死んだ画家とその弟子が描いたものだが、どちらの絵がそうなのか尋ねると、女は黙ってしまう。彼女自身、山下という画家のゴーストペインターだったと言う。
地下室に陽が当たるのは、地上から掘られた深い崖底に出るガラス戸があるからで、外に出ると地上に続く坂がある。大和田さんが、地上までの坂道をバギーに乗せてくれる。

(2015年12月15日)

Kの地下工房

壮年の幸村氏を訪ねると、自宅の下に広がる傾斜した地下洞窟へと案内される。地下水の流れる沢を、K氏は岸から削り出したわずかな足場を伝って器用に進むが、僕にはどうしても渡れない狭い場所がある。洞窟のあちこちにラジカセや物置などが無造作に放置されているのは、子供のころからここが自分の家の庭だからだ、とK氏は主張する。
ところどころ地上に空いた穴から、光が差し込んでいる。傾斜のいちばん高い所に開いた穴は、駅からここに来る途中の道で見たマンホールほどの穴に違いない。上から覗き込むと、岩場に水が流れて見えた。
K氏は物置から自作のヒラメを出してくる。ヒラメの体を触ると、位置によってさまざまなだみ声を発する。抵抗を計る方式では精度が出ないから、教授の助言で無数のスイッチに作り変えた。声は世話になったその教授の声だ、とK氏が言う。しゃがれたテナーサックスが吹く「四季・十月」が、だみ声と混じりながら洞窟に響き渡る。こんな場末の酒場のようなこてこてのチャイコフスキーは聴いたことがない。

(2015年4月3日)

ニュー狭山湖

赤羽線のガード下をコンクリートで固めて、防護服の男たちが白い塗装を猛烈に噴霧している。地下に抜ける鉄の蓋は、塗装が厚くなれば開かなくなってしまうだろう。この穴から地下の人たちに食事を投げ込まなくてはならない。貸本屋の女主人に、ビニールコートの背表紙に鉛筆の筆跡が裏移りしている、などとやかく言われ憤慨する。これを下敷きにした覚えはない。そう思いつつ、灯りの反射で照らし出した文字跡は、確かに自分が地下に宛てた手紙の一部だ。

赤羽駅のひとつ手前は山岳鉄道で、急な勾配を登るとニュー狭山湖が見える。万里の長城のような道の欄干から西日に光る湖面を眺めていると、勇樹に中台じいちゃんが死んだと伝えられる。だいぶ前から覚悟はしていたが、不意をつかれて涙が込み上げる。しかし、中台じいちゃんは30年前に死んだのではなかったか。

(2014年10月18日)

グソクムシの崩壊

駒込の草原邸で浅野君たちと仕出し弁当を食べていると、盛られた砂の上に置かれたダイオウグソクムシのロボットが砂ごと崩れはじめる。草原さんは「自然のままにしておけばいいのよ」と言いながら、片足で砂を床の隙間に押しやる。砂は、床の隙間から床下へとこぼれ落ちていく。あとで困るだろうと、僕は隙間を目張りするために床下に潜りこむと、そこは畳の敷かれた明るい広間で、砂時計のように砂の三角山が成長していた。

(2014年6月5日)

地下印刷工場

明日壊される家の荷物を、今日のうちに引き上げることになっている。不要なものはここに残しておけば、家とともにすっかり業者が消し去ってくれる。確認のために各階を回ると、勇樹の黒い鞄など、捨てたのか忘れたのかわからない物がまだいくつも残っている。あいつのモノに対する執着は、いつもあいまいだ。さゆちゃんに頼んで、鞄の中の黒い手帳の写真を撮り、廃棄していいか本人に確認するツイートを投稿してもらう。
地下室の奥の扉を開くと、四階分の高さが吹き抜けた広大な部屋が現れ、床に染みたインクや油の形状からここが印刷工場跡であることがわかる。なぜ今日まで、この連絡路に気づかなかったのか。
このことは工場関係者にも伝えておいたほうがいいだろう。なにしろ扉の向こうの空間は、明日すっかり自動消去されてしまうのだから。

(2012年8月22日)

操車場の樹林

暗い地下鉄の操車場に、針葉樹が整然と生えている。油と鉄粉で覆われた黒い地面から、はるか先端が見えないほどの木々が聳え、その先端を支えにして地上が乗っている。
nanayoは地上の屋台で買い物をしている。鍛冶屋が手で作った金物は、ひとつひとつ木箱に入っている。nanayoは紙のように薄く延ばした鉄のパレットナイフを選んで買ったそうだ。花火屋からは、茶巾に導火線のついた花火もいくつか買った。これから向かう先が華やぐから、そう言って僕もいくつか花火を買う。

(2008年3月12日)

突然のプール

昼休みのサラリーマンは、光が溢れる地下のフロアで、ゆったりと椅子に体をしずめ午睡を楽しんでいる。ふと気づくと水が溢れ出し、フロア全体が水を貯え、昼休みのサラリーマンたちは仰向けのまま浮き始めた。その一瞬のとまどいがおさまると、今度はお互いの顔を見合いながら一様に照れ笑いを浮かべ、背面泳ぎで体を浮かべ、平静を装うゆとりの速度でゆるりゆるりと岸まで泳ぎ着いた。

(2000年9月26日その1)

蛇は仲間だ

すっかり傷んだフローリングの床は、ところどころ体重を支えきれないほど危うくなっていて、うかつにたわんだ場所に足をかけると、すっぽり踏み抜いてしまう。床下には意外に深い空間があり、光が差し、冷ややかな空気が流れている。そこには真新しい床があるのだから、だったら一段降りて移り住んでもいいじゃないかと思う。
冷たい床下の床に、赤と白のまだらの蛇がいる。蛇を殺してはいけない。だから、ゴミ箱をそっとかぶせておくことにした。あとでゴミ箱の下に薄い板を差し入れ、そのまま板ごとずらして外に出せば、蛇に触れることなく蛇を逃がすことができる。
拳銃をもった男たちが雪崩れ込んできて、僕は拘束される。男がゴミ箱を持ち上げると、コブラのように頭をもたげた赤白の蛇が男を威嚇する。男がひるんだすきに拳銃を奪い、まんまと逃走に成功する。
蛇はやはり仲間なのだ。

(2000年9月25日その2)

海を臨むマンション

まさか住み慣れたマンションに地下があり、しかもそこにRが住んでいるとは思いもよらなかった。プールの底がガラス張りで、そこを天窓とする地下にもうひとつプールのある部屋がある。光がこぼれ落ちる二重底プールが隠されていたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど」と、彼女が開けた窓から海が垣間見える。ああ、海沿いの崖を登ったときに見えた窓はここだったのか、と納得する。

厨房の勝手口で、コックが「魚お造りしましょうか?」とRに声をかける。長年住んでいるが、このマンションに食堂があり、こんなサービスがあることを知らなかった。食堂で中庭のおしゃべり女たちに混じって食事をとる。ここで食事をとるのも、もちろん始めてだ。常連たちの視線がRと僕に注がれる。オマール海老を剥いていると「そろそろ出発の準備しないと」とRに促される。

着替えるために二階の自分の部屋に戻ると、新聞勧誘員の清水と名乗る男が待っている。清水は、これから階下で始まる出発の儀式のために正装を用意したと言う。これを着て「海ゆかば」を歌いながら出発してくださいと言う。僕は年齢的にも思想的にもそういうことはしないのだと言いながら海軍将校の軍服らしきものを手にとると、それはジャージで、背中にジャイアンツのマークが入っている。

一階の入り口にはたくさんの人が集まっていて、この事態に困惑するRの顔も見える。小学生たちが駆け寄ってきて、あんざいさんの生まれた家を知っている、と言って指さした指の先からジグザグの光線が描かれ、光線の先をたどると確かに中台の実家の勝手口に届いている。現在そこには、見知らぬアル中の主婦が住んでいる。アル中女は、おぼつかない手で握ったコップの酒をぶちまけてしまい、酒は窓に張り付いた野生の海老にかかる。遠赤外線ストーブの熱がガラス越しに海老に当たり、酒蒸しになった海老がしだいに良い匂いを放ちはじめた。

(2000年6月19日)