rhizome: 山

穂高の見える道

実家の界隈には、道に白い盛り土をする習慣があった。久しぶりに帰ってみると、道がどこもかしこも屋根より高くなっている。こんなになるまで長いこと帰ってなかったのか。高い白土を歩きながらふと遠方に目をやると、紫色に山肌のえぐれた穂高が見える。

(2013年11月24日)

牛落とし

押すように雨の降る安達太良山中で、竹の姿をした二頭の牛を導き、いっきに駆け下りようとする途中、一頭は脱落して見失い、もう一頭は急な段差に怖気づき固まってしまう。もう先頭を争うこともないから、と優しく肩を貸してやると、竹は肩に足をかけて奮い立ち、阿武隈川を目指して駆け下りていった。

(2013年9月5日)

バス紛失

噴火をはじめた富士山を見に行くために、地学好きの田中秀幸は革の鞄を飛脚のように棒でかつぎ、中学校から真南に歩きだした。富士山は山頂がどんどん尖り、絵に描いた富士山のようになってきたのはなぜなのか、いっしょに探りに行こうと言うのだが、僕は頸動脈に貼った貼り薬の作用でめまいが止まらない。

平衡感覚を失うと、バスが進んでいるのかバックしているのか、バスに乗る前なのか後なのか、バスの中にケータイを忘れたのか忘れる前なのかがわからない。ともかく失くした自分のケータイに電話をかけてみると、harinezumiさんが出て、いまどちらにいるのかと尋ねると富士山の見えるファミレスだと言う。それはいま僕がいるところではないですか、と喜びながら、しかしこの綺麗な結末ではバスに関する解が得られない。

(2013年8月31日)

木の魂を抜く

アルバイトに来た会社の長いソファで、社員の机にあったトランジスタ技術を読みながら、何を待たされているのかわからないし、担当の名前すら知らない。休憩に戻った作業服の社員たちが、「担当!」と叫んでくれたおかげで、革ジャンを着た長身の担当が、お約束のおどけた仕草で登場し、会社の奥へ導いてくれる。
製品陳列棚の奥には木工部門があり、資材置き場があり、駐車場があり、鉄門の裏口があり、山につながる小道がある。山を下ってきた作業員たちは、うっすら緑の土を被り、魂を亡くして表情がない。
僕は山を登りはじめたものの、なにか馴染めない。仕事をすると決めたわけではない、と自分に言い聞かせながらも、気づくとかなりの標高まで登ってしまった。「やすこが来た」という無線連絡が入り、谷あいの道にそれらしき人影を見たので、彼女がこの半端な状況を打開してくれるかもしれない、と思う。
石灯籠の断片に腰を下ろし、森の下草に紛れていると、前触れもなく儀式は始まった。向かいの山の数百メートルもある杉の巨木は、根本に入った切り込みが限界に達し、傾きはじめた。先端がこちらの山にかかると、木は大きくたわみ、その反動で向こうの山側に帰っていく。それらはことごとく予想をはるかに超えるスローモーションで、静止画を見ているようだ。しかし木がもう一度ゆっくり倒れこんでくるのがまさに自分の方角だと気づいたときには、逃げきれそうにないほど加速している。
伐り倒される木の内部から円筒形の「木の魂」を抜き出す男が、巨木の先端に跨っているのが見える。木の魂を括った縄のもう一端を自分自身に括り付け、木が山にぶつかる衝撃を使って魂を離脱させようというのだ。カプセル状の魂と紐づけられた男は、ハンマー投の着地のように地面を削りながら減速し、男の体もあちこちの岩に弾かれたが、彼は熟練した正社員なので死ぬことはない。

(2012年9月1日)

爆走レース

財布をいつも身に着けていないからなくすのだ、と木村拓哉がなじるので、それならお前が財布になれと言うと、彼は憤慨して運転席から去ってしまう。彼には僕の落胆は理解できない。やむなく僕は隣を走る車の運転を真似てボタン操作をすると、車は渋滞する車列の屋根の上を走りだし、大暴走の果てに火花をあげて大破する。

車を処分するときには右翼を使えという教訓があるので、イタリアマフィアのいるガラス張りのブティックの前に車は捨て置くことにする。彼の手下がダイナマイトを車の下に仕込むのを見とどけ、僕は安堵して土手を登り、自転車レースに紛れ込むことにした。門にいるエントリー担当の女が、靴ひもの穴の数が違反しているのでこのままではレースに出られないと言う。どうにかできると思いますが、と言いかけたところで、靴の鳩目がぼろぼろと彼女の病気の皮膚にこぼれ、ブルドッグのように小さくなった彼女は、赤黒く襞の寄った裸の身体を掻きはじめた。

(2012年8月20日その3)

画素格子

絵を拡大していくと画素の中に絵がありその画素の中にも絵がありさらにその中にも絵がある映像を投影して、世界はこのように無限の細部があるのになんで単層のつまらない絵など描くのか、と口走ってしまう。講堂を歩き回りながら、こんなふうに煽るつもりはなかった、連画について話しているのに、このままでは収拾の見込みがない、と思い始めたところで高野明彦さんがマイクを取り、持参した試料にガイガーカウンターらしき装置をあてたので、僕はこの窮地を切り抜けることができた。装置はあちこち光りはじめるが、しかし装置がα線源に反応しないのを僕は知っている。

講堂の灯りが揺れはじめた。次第に振幅が大きくなる。僕は外に出て財布やノートを置いてきた山岳地帯のガレージをめざして走った。地すべりも始まり、ここで自分の命を優先するか荷物を優先するか、迷いながらも崖をくりぬいたガレージに来てしまう。崩落した画素の格子に閉じ込められた男がいるのを見て、荷物はもうあきらめるしかないことを悟る。

(2012年8月20日その2)

動物ボード

これが例のやつ、と季里ちゃんが見せてくれたのは、動物を形どった木の板で、それを尻にしいてスケートボードのように仰向けになると、ゆるゆると走り出した。曲がりたい方向に体を傾けるとそちらに曲がる。速度を思いのままにコントロールする力の入れ方もつかんだ。古いアパートの回り廊下で、床板の木目を軋ませながら試し乗りをしていると、季里ちゃんと布山君がラーメンを食べに行くと言うので、僕はこの新しい乗り物に乗ってついていくことにする。こんな遅い時間に食うわけにはいかないと、僕はいちはやく店を出て板を乗り回すが、鶴川の山の上にあるひと気のない繁華街から、さてどの坂道を下れば帰れるのか、見当がつかない。

(2008年5月13日)

ネジ山の北朝鮮

険しい崖から削り出された山道を、佐々木俊尚さんと歩いている。神田川沿いを歩きはじめたのに、真下の断崖は深くえぐれてそこはもう北朝鮮だ。ブリューゲルのバベルの塔の構造を模しているので、こういう立体空間では平面上の国境は意味ないね、などと話しながら歩いている。しかも、ねじ山をひとつ間違えると簡単に北朝鮮に紛れ込み、いつのまにか夏の学生服を着て国家に服従する自分に幸福を感じる。問題は国家でも思想でもなく自分自身とねじの関係なんだ、と潜めたはずの声が、意外なほど長く洞窟に響いて消えない。

(2004年8月15日)