rhizome: 投影

蘇生しそうな機械

駅前に廃棄されていたといって3本の黒い柱を勇樹がもってきたので、柱の中に顔をつっこんでみると、いろいろ配線が外れているものの、赤いボタンを押すとプリンタが動き始めたり、弛緩していた織機が糸を張ったりするが、何ができて何をしようとしているのかわからない。

勇樹は、ブロアで舞い上げた彼の息子の衣服をコンクリートの壁面に投影している。赤ん坊が宙で遊んでいるように見える。

(2018年6月24日)

ソラリスノート

ノートに列挙された名前の最後に、渡邊真理子と書かれてある。名を書かれた人の記憶によって部屋の内部構造が勝手に変わるソラリスノートなので、自分の家にもかかわらずどんどん変更されつづけ、馴染みきることができない。客人たちは持ち込んだプロジェクタで動画を投影しようとしているが、部屋の灯りを消すスイッチがどこにあるかすらわからない。ようやく見つけたスイッチは、工場の主電源のように大げさで、いままで一度も触れた記憶がない。住み込みのお手伝いさん(そんな人がいたのか)の部屋からまだ少しだけ灯りが漏れているが、就労時間後の私生活に干渉するわけにもいかず、我慢することにする。奥にいるKが「客はサピエンスネットの人たちか」と聞くので、「早稲田のゼミ生だ」と答える。家族たちは蝋引きの紙で作られた生簀に活きの良い魚を投げ込んでいる。魚はとたんに自然発火し、ローストされた魚の良い香りを放ちはじめる。

(2012年10月20日)

画素格子

絵を拡大していくと画素の中に絵がありその画素の中にも絵がありさらにその中にも絵がある映像を投影して、世界はこのように無限の細部があるのになんで単層のつまらない絵など描くのか、と口走ってしまう。講堂を歩き回りながら、こんなふうに煽るつもりはなかった、連画について話しているのに、このままでは収拾の見込みがない、と思い始めたところで高野明彦さんがマイクを取り、持参した試料にガイガーカウンターらしき装置をあてたので、僕はこの窮地を切り抜けることができた。装置はあちこち光りはじめるが、しかし装置がα線源に反応しないのを僕は知っている。

講堂の灯りが揺れはじめた。次第に振幅が大きくなる。僕は外に出て財布やノートを置いてきた山岳地帯のガレージをめざして走った。地すべりも始まり、ここで自分の命を優先するか荷物を優先するか、迷いながらも崖をくりぬいたガレージに来てしまう。崩落した画素の格子に閉じ込められた男がいるのを見て、荷物はもうあきらめるしかないことを悟る。

(2012年8月20日その2)

不意の舞台

公園の傍らの小高い丘の上で、われわれは待ち合わせている。しかし、隠れなければならない。丘の上に洞穴があり、そこに寝そべっている。穴のなかから見ると、出口はほんの数十センチメートルの横に伸びたスリットで、そこから出られるのか、そこから発見してもらえるのか、不安になっている。
棟をならべた向かいの校舎に、火が見える。火事だと思ってみんな騒ぎはじめるが、それは巧妙に作られた舞台の大道具で、風を含んで波打っている巨大な布と、投影機のようなもので作られていることが判明する。これはすばらしい、と言って拍手を送る。
舞台稽古が始まる。僕は主役の王様であるのに、まったく練習をしていない。そんなに台詞は多くないから大丈夫だろう。
舞台に立っている。咳払いをして、狂言風に「誰かある」「侍従はおらぬか。台本をもて」「タコクジラ、ブタゴリラはおらぬか」
うまくいったようだ。これで台本を持つ口実ができた。召し使いが台本をもってくる。あとはこれを読めばいい。
しかし、台本には細かい字で、ぎっちり台詞が書いてある。意味がわからない。つっかかって読めない。マイクロソフトなんていう単語も入っている。ここ、もう一回やらせてください。焦る。稽古を見ている観客のどよめきが聞こえる。

(1996年6月21日)