rhizome: 俯瞰

火薬庫の清流

戦時中に火薬庫だったといわれる場所はいつも大きな赤門に閉ざされているが、通用門が開いているのを初めて見る驚きのあまり、つい中に入ってしまった。これだけ広い土地を遊ばせておけるのは、管理しているのが東大だからだろうか。地面は乾いているのに、目の高さからは浅い清流が流れているように見え、ときどき鮮やかな何かが魚のように素早く逃げていく。この場所にこっそりトラックを停め続けている業者に、これはいったい何なのかと訊ねるが、体を後屈しなければ大丈夫なのだ、と質問の答になっていない。これだけの空き地の存在を周囲から気づけないのが不思議で、門から外に出てぐるりと一周切り取るように道を歩きはじめると、火薬庫をとりまく家々は暗い飲食店ばかりで、どこもあまり客が入っていない。テーブルも椅子も置かない餡蜜屋に入り、店の奥に行こうとするが拒まれる。流しで手を洗うふりをして勝手口から裏に出ると、思った通りあの空き地に面していて、どの店も水のような幻覚のようなものを筒で吸い出している。ためしに体を思い切り後ろに反らすと、ふっと体が浮いて、このあたり一帯の地図が俯瞰できた。

(2013年8月18日)

溶岩で描く絵

ラブホテルで部屋を探している。ショーケースに並んだ張り紙には、一か月十万円などと書かれてあり、ホテルと不動産屋の兼業はなかなかうまい商売だと感心する。連れが誰なのか、よくわからない。その後ろめたさの反動で、相手はしだいにくっきりと「あだちゆみ」と確信される。選んだ部屋に入り、わずかに開いた窓の外には溶岩が流れている。迫る溶岩は、のしかかるように見えるのが通常の遠近法だが、この窓からは鳥瞰したマグマの模様がしだいに領域を増やしていくように見える。このように見えるのは、真上からのビューを得るシステムが溶岩のマテリアルに組み込まれているためで、これを使えば絵を描くプログラムが作れるのだ、ということをあだちゆみに説明するのだが、パソコンでないのにプログラム?というあたりから理解してもらえず、埋まらない溝にいらだちながらあだちゆみが「さようなら」と言うので、僕はなぜこの部屋でずっといっしょに暮らせないのか、とひどくと感傷的になり、こみ上げてくる涙がばれないように、いっそ早くこの場を去るよう促すのだった。

(2006年9月17日)

砂のなかの糞

砂の入った紙袋をさげ、僕は西に行こうか東に行こうか迷っている。砂は、乾いた犬の糞を包んでいる。間違って排泄してしまった瞬間の気まずさや、誰かに見られていないかしきりに振り返ったこと、すとんと紙袋に入ってしまった偶然に驚いたことなどが生生しい記憶にあるのは、これは犬のものではなく自分のものだったからかもしれないし、自分が犬だったのかもしれない。
忽然と思い出したのは、昔がっちゃんという中学の同級生と住んでいた部屋がそのまま残っていることで、西に歩いていくとそこにたどりつけるはずだ。しかし、それが自分のことだという確信がもてないのは、がっちゃんと過ごした記憶がまったくないからだ。すでに廃屋になってしまっているかもしれない怖さもあって、西に西に歩いてもなかなかたどり着こうとしない。
この際、紙袋はトイレに廃棄したほうがよいと思い直して、駅ビルの電気店に入るが、階段の上から俯瞰する迷路のようなトイレの区画には、それぞれ人の頭が見えて空きがない。
しかたなく東に歩く。海岸に出ると、砂に埋まった男の腿の付け根を踏みつけてしまい、平謝りして事なきを得る。塩分濃度の高さのあまり、ほとんど樹脂のようになっている海の中に歩いて入っていく人に連なり、目の高さが海面になったときに、口の中のあまりの塩気に驚きながら、手に提げていた紙袋がいつのまにかなくなっていることに気づいた。これでよかったのだと、心の底から安堵する。

(2004年3月9日)

苦しい下山

ほとんど崖っぷちを歩いているように見える桜日さんに、お願いだからもうちょっと真中を歩いてほしい、と無線連絡する。小高い丘の頂上か、高い建物の最上階か、僕は鳥瞰する位置からファインダー越しの桜日さんを見ている。心配になって、自分も彼女の位置までやってくると、そこは意外に安全なスロープのヌーディストビーチで、しかも照明もなく薄暗い屋内プールだ。僕は、この人と山を降りようとしている。
彼女は昨夜、空からたくさんの火球が降る中、家族連れの富士通の社員とこの山にやってきた。山を発つ前に一言挨拶がしたいと言うので、彼らの宿を訪ねると、案の定白髪交じりのその男は以前どこかで会ってどこかで飲んだことのある男だった。僕は、天候が不安定な山をどんどん彼女と降りてしまう。彼女は、LIFEの英語版と日本語版を持ってきて昨夜は一人で読み比べて過ごした、と言う。すると僕は、桜日さんへの甘い恋心が湧き上がると同時に、僕には連れがいて数時間後に山の上で大事な講演の予定があったことを思い出す。引き裂かれながら、言い出しかねて、山に戻るか降りるかの決心がつかないでいると、にわかに黒い雲が立ち込めてきて、これはやはり山に帰るしかない、桜日さんを落胆させるしかないのだろうと諦め、大事に取っておいた百五十二円玉をよけて小銭を出し、ケーブルカーの切符売りのおばさんから切符を手に入れた。

(2002年2月21日)