rhizome: 校舎

防疫凧

石造りの校舎の広い階段を白衣の男と降りている。男は自分の身長ほどもある乾燥ミジンコに糸を張った凧を抱え持っている。凧の帆にどんな生物種を使うかによって、予防できる感染症の種類が異なる、と白衣の男は力説するが、オカルトのようで僕は信じていない。彼はまた「NTTの番号案内には生前の番号を案内する別の入り口がある。ゲノム研究にとって大事なのはこっちのほうだ」と言う。

(2018年2月22日)

生物教室放出品

古いコンクリート造りの校舎で、生物学教室の廃棄品を放出している。染色液が漏れたプレパラートや、青く変色した児童文学全集がある。各病院から二人までと言われているが、無関係の自分や女子高校生が紛れ込んでいても咎められることはない。根元から折れた水晶の柱は、断面がつるつるになるまで磨滅している。道に埋められていたからだろうか。女子高校生が手にとると、水晶の下から顕微鏡のXYステージが現われる。女子高校生とじゃんけんをして手に入れる。ただ、彼女はじゃんけんの原理がわかっていなかったかもしれず、腑に落ちない顔をしていた。ツマミを回すと驚くほど滑らかに上台が滑る。先端に穴のあいた彫金用スクレイパーをポケットに入れる。
何枚もある素描を見ていると、老いた女が「この絵は息が詰まる」という。これは死んだ画家とその弟子が描いたものだが、どちらの絵がそうなのか尋ねると、女は黙ってしまう。彼女自身、山下という画家のゴーストペインターだったと言う。
地下室に陽が当たるのは、地上から掘られた深い崖底に出るガラス戸があるからで、外に出ると地上に続く坂がある。大和田さんが、地上までの坂道をバギーに乗せてくれる。

(2015年12月15日)

クマカップル

幾重にもニスで塗り固められた古い校舎に、NHKの仕事で来ている。同じ仕事をしている和登さんとともに、クマの着ぐるみを纏って廊下を歩く。女グマの和登さんは、廊下の波型の壁にかたかたと爪を立てて機嫌が良い。「汗をかくのでお風呂に入りたいね」と女グマが言うので、「クマ同士二匹で入ろう」と誘いかける。ヒトとして誘ったつもりなのだが、クマとして着ぐるみのまま風呂に入ることになる。
透明なビニール風船でできた仮設ハウスの中で、子供たちは女グマともつれるように遊んでいる。空気穴からビニールの中に入ってみると、外見は同じクマなのに子供が寄ってこない。女グマはなぜかおねえさんと呼ばれ人気がある。首の継ぎ目や袖口など、着ぐるみのどこから内部情報が洩れるのかチェックするが、理由がわからない。

(2012年10月25日)

不意の舞台

公園の傍らの小高い丘の上で、われわれは待ち合わせている。しかし、隠れなければならない。丘の上に洞穴があり、そこに寝そべっている。穴のなかから見ると、出口はほんの数十センチメートルの横に伸びたスリットで、そこから出られるのか、そこから発見してもらえるのか、不安になっている。
棟をならべた向かいの校舎に、火が見える。火事だと思ってみんな騒ぎはじめるが、それは巧妙に作られた舞台の大道具で、風を含んで波打っている巨大な布と、投影機のようなもので作られていることが判明する。これはすばらしい、と言って拍手を送る。
舞台稽古が始まる。僕は主役の王様であるのに、まったく練習をしていない。そんなに台詞は多くないから大丈夫だろう。
舞台に立っている。咳払いをして、狂言風に「誰かある」「侍従はおらぬか。台本をもて」「タコクジラ、ブタゴリラはおらぬか」
うまくいったようだ。これで台本を持つ口実ができた。召し使いが台本をもってくる。あとはこれを読めばいい。
しかし、台本には細かい字で、ぎっちり台詞が書いてある。意味がわからない。つっかかって読めない。マイクロソフトなんていう単語も入っている。ここ、もう一回やらせてください。焦る。稽古を見ている観客のどよめきが聞こえる。

(1996年6月21日)

乳首頭(ちくびあたま)の挨拶

姿形は土地の人間なのだが、自分はまったく違う世界(たとえばほかの星)からやってきたのだ。何度もそう自分に言い聞かせながら、だだっ広い校庭を歩いている。反復していないと、そのことを忘れてしまうので。
プレハブの建物がある。中には、同胞が集っている。彼らもやはり姿は普通の人間なので、お互いに確認し合うために集まっている。ドアを開け中に入ると、強力な換気扇が空気を外に排出しているため、気圧が低く息苦しい。それが同胞にとって快適な気圧なのだ。
校舎に入る。そこにいる同胞は、姿形は人間なのだが奇妙な着ぐるみを着ている。あるいは、その着ぐるみの形態がわれわれ本来の自然な姿なのかもしれない。着ぐるみの頭はねずみやリスのようで、尖った先端に茶色い鼻が無造作についている。鼻は乳首の先端のようにも見える。その鼻のような大きい乳首のような何かを、お互いに何度か口で吸いあうのがわれわれの挨拶だ。

(1996年6月19日)