壮年の幸村氏を訪ねると、自宅の下に広がる傾斜した地下洞窟へと案内される。地下水の流れる沢を、K氏は岸から削り出したわずかな足場を伝って器用に進むが、僕にはどうしても渡れない狭い場所がある。洞窟のあちこちにラジカセや物置などが無造作に放置されているのは、子供のころからここが自分の家の庭だからだ、とK氏は主張する。
ところどころ地上に空いた穴から、光が差し込んでいる。傾斜のいちばん高い所に開いた穴は、駅からここに来る途中の道で見たマンホールほどの穴に違いない。上から覗き込むと、岩場に水が流れて見えた。
K氏は物置から自作のヒラメを出してくる。ヒラメの体を触ると、位置によってさまざまなだみ声を発する。抵抗を計る方式では精度が出ないから、教授の助言で無数のスイッチに作り変えた。声は世話になったその教授の声だ、とK氏が言う。しゃがれたテナーサックスが吹く「四季・十月」が、だみ声と混じりながら洞窟に響き渡る。こんな場末の酒場のようなこてこてのチャイコフスキーは聴いたことがない。
rhizome: 傾斜
裏山の円卓
会田くんは自分のビルの階段を駆け上がり、階段と地続きになった裏山の坂を登り始めた。人がぎりぎり登攀できる急峻な坂で、狭いトンネルをくぐりながら会田くんはズボンを脱いでしまう。Rは「パンツも脱いじゃえ」と囃したてる。この会田は、何人かの知っている会田が混ざっている。坂を登りつめると、視界に広がるグラウンドに向かって歓喜の雄叫びをあげ、われわれ3人はぬかるみの中に放置された円卓を囲み、会田くんの友人たちと狭苦しい現代美術の話などをした。
牛落とし
押すように雨の降る安達太良山中で、竹の姿をした二頭の牛を導き、いっきに駆け下りようとする途中、一頭は脱落して見失い、もう一頭は急な段差に怖気づき固まってしまう。もう先頭を争うこともないから、と優しく肩を貸してやると、竹は肩に足をかけて奮い立ち、阿武隈川を目指して駆け下りていった。
白砂ケーキ
崖を見上げると、斜面の岩を切り出した巨大な時計が見える。時計の側面には、子供のころ寝床から見上げた真鍮製の置時計と同じレリーフが彫ってある。あの丘の上の店を目指して歩いていけばいいのだ。店にはNTTの大和田さんがすでに到着している。テーブルには、シフォンケーキ型で抜かれた濡れた白砂がきっちり形をとどめている。ソフトバンクの犬のCMの演劇性について語りあいながら、白い砂を少しずつ掻き出す。こんな無駄な砂を入れていたからいつも鞄が重たかったのだ、と大和田さんが言う。
瓦落多の馬場
自動改札を詰まらせてしまった子連れの女の傍らに、改札装置の内部に詰まった瓦落多を駅員が次々と取り出しては積んでいくので、見る見るうちに背丈より高い山になってしまう。申し訳なさげなその女と、僕は目を合わせないように隣の改札を通過し、エスカレーターで高架のホームへ向かった。しかしあの百円玉や針金細工や半濁音や冠詞の混じった瓦落多は、写真に撮っておくべきだった。
高田馬場のホームはミルク色に沈殿した霞に浮いていて、毎日の利用者でありながら異様な標高に足がすくむ。ミルク色に沈殿した雲海から突き出す建物の影はそれぞれでたらめに傾斜しているので、垂直に立っていることができない。タイル貼りのベンチの背に手をついて恐る恐る移動していると、改札の女が軽やかに行く手をよぎり、彼女のふくらはぎに躓いてしまう。
仁王炎上
文京区の神社仏閣を巡るバスツアーから、一人だけはぐれてしまった。文京区は山麓のゆるい斜面にあり、立体イラストマップにはたくさんの寺や神社が重なり合うように描かれている。いちばん手前に描かれた麓の大きな寺で待っていれば、必ずまたツアーに合流できるはずだ。
境内の参拝者に混じって、洋服を着た猿が潜んでいる。布で顔を覆っても、異様に鮮やかな顔色から猿だということはすぐにわかる。狡猾な猿は人の命を狙っているので、僕は猿を静かに威嚇しながら本堂にたどり着く。説明書通りの回数だけ拍手を打ち、干し草で作られた線香に火を点ける。
山門の柱の中に、草で作られた仁王が立っている。僧が供養の念仏を唱えはじめると、仁王の草は煙を上げて燃え始めた。乾いた草は瞬く間に閃光電球のようなまばゆい光球となって燃え尽き、仁王の頭部は草の支えを失い、鉄の骨格と化してごろんと地面に転がり落ちた。
忌まわしいことだ、お祓いをせねば、と、合流したツアーの友人たちと相談するが、僧は携帯電話を肩にはさんで宮司と話している最中で、それどころではない。
参道の階段を下りながら、寺門孝之、うるま、中村理恵子と僕の四人で、リアルとはなんだろうという話になる。寺門さんは、自分にとってリアリティとは、毎年2月11日にニューヨークに行き愛を確かめることだと言う。3.11でも9.11でもなく2.11だからリアルなのだ、とうるまが言う。
松庵寿
下赤塚から北の崖線へ至る途中、急峻な岬状の丘を分けるY字路があり、そこに松庵寿というコンクリート製の地蔵がある。素人が趣味で作ったらしき地蔵は、ときどき思いつきで悪趣味な姿に変わるし、ご利益などなにひとつなさそうだ。にもかかわらず、コンクリートの斜面をよじ登っていくほどに、なかなかたどり着けない地蔵への思いが募る。
砂のゲレンデ
一面砂の斜面は、一度降り始めたら止まらないほど急峻なゲレンデで、先に降りてしまった相方がどこにいるのかもわからず、怖気づいて滑り出すことができない。しかも、スタートラインより前は広告ページになっていて、どのページまでが広告なのかは、見る人によって判断が異なる。また「しまぶくろの理論」と称する解説ページも挿入されていて、斜面を滑るときの意識の集中ゾーンがおでこのあたりにあることが示されている。ページをさかのぼって屋上には、白いコンクリートにローラーを転がして、亀裂に雑草を植えている男がいる。
扇階段
扇状の階段は上に行くにしたがって傾斜が急になり、そのうえ階段は徐々に角がとれて丸くなるので、いつ階段が段のない滑らかな大理石になってしまったのか、低温やけどのように気づくことができない。
この厄介な壁を登りつめないと、次のステージに行けない。前を行くハイヒールの女は、危うく滑りそうになりながらもなんとか小さい出口から姿を消した。ところが僕は、何度やっても滑り落ちてしまう。サポートの友人たちが、腕や足にマジックテープを巻いてくれたが効果はない。おそらく僕には無理だ、越えられない、と項垂れた頭をもちあげると、そこは扇の外だった。
そう、何も考えないほうがうまくいくことがあるのだ。腰をかがめてそこを出ると、驚くほど何もない広大な地面が広がっている。
火力船
不思議な動力で動く船を、図書館で手に入れた。甲板上に設置された生簀には海水がなみなみと蓄えられ、その水面に浮いた四角い木枠が、火のついた石油を囲い込んでいる。この火が、船を動かしているのだろう。
操舵に不慣れなうえ、ついぼうっと湖水を眺めてしまうので、船はあらぬ方角を目指してしまう。あわてて舵をとり、なんとか軌道修正するが、たくさんの釣り人の垂らす糸の中にあやうく突っ込みそうになる。大きく舵をきると、今度は砂浜に乗り上げてしまう。
横倒しになった船を見捨て、パルテノン多摩に続く傾斜を登っていく。重力の少ないこの地域では、軽いジャンプで数メートルの段差を登り降りできる。なんだ、船よりも格段に便利じゃないか。
船を積み重ねたレストラン
川の中州にある高層レストランは、船が堆積してできている。船は積み重ねるのに適した形をしていないために不安定で、階を上がるごとに傾斜が蓄積して揺れも大きくなる。河合奈保子さんといっしょに登りながら、ここまで登って来られたのは彼女がみんなにたくさん笑顔をふりまいてくれたからだ、と感謝の気持ちが沸いてくる。最上階の船までたどり着くと、はるか地上の川面がきらきら輝いている。平らであるはずの甲板は、揺らぐたびに曲面に見える。波打つ斜面を滑り台のように滑るのが楽しくて、せっかく登った高度をすっかり無駄にしてしまった。
劇場地獄
赤いフェルト貼りの階段を、太った中年女がゆっくりと上っていく。ちょうど目の高さに女の白いふくらはぎが来る間隔を保って、僕も階段を上っている。指定席を探しているのだが、どこまで行っても目指す座席番号に到達できない。女は座席を見つけたのか、いつの間にか消えている。ついに劇場の最も高い壁の淵に一人で立っているのだが、ここはもう座席ではない。壁にはやっと乗るほどの足場があるものの、壁自体が斜めにせり出しているので、縁に指をかけないと落ちてしまう。恐怖心を振り切りいっきに渡りきると、同じようにしてたどり着いた人たちが落葉のように吹き溜まる場所がある。床板の傾斜に堪えながら、番台の男の出すクイズに答えないとここから帰ることができないルールは、テレビを見てよく知っているのだが、滑り落ちないように手足をつっぱるばかりでクイズどころではない。
苦しい下山
ほとんど崖っぷちを歩いているように見える桜日さんに、お願いだからもうちょっと真中を歩いてほしい、と無線連絡する。小高い丘の頂上か、高い建物の最上階か、僕は鳥瞰する位置からファインダー越しの桜日さんを見ている。心配になって、自分も彼女の位置までやってくると、そこは意外に安全なスロープのヌーディストビーチで、しかも照明もなく薄暗い屋内プールだ。僕は、この人と山を降りようとしている。
彼女は昨夜、空からたくさんの火球が降る中、家族連れの富士通の社員とこの山にやってきた。山を発つ前に一言挨拶がしたいと言うので、彼らの宿を訪ねると、案の定白髪交じりのその男は以前どこかで会ってどこかで飲んだことのある男だった。僕は、天候が不安定な山をどんどん彼女と降りてしまう。彼女は、LIFEの英語版と日本語版を持ってきて昨夜は一人で読み比べて過ごした、と言う。すると僕は、桜日さんへの甘い恋心が湧き上がると同時に、僕には連れがいて数時間後に山の上で大事な講演の予定があったことを思い出す。引き裂かれながら、言い出しかねて、山に戻るか降りるかの決心がつかないでいると、にわかに黒い雲が立ち込めてきて、これはやはり山に帰るしかない、桜日さんを落胆させるしかないのだろうと諦め、大事に取っておいた百五十二円玉をよけて小銭を出し、ケーブルカーの切符売りのおばさんから切符を手に入れた。
急勾配の隣人
家の南側に庭を造ったものの、腑甲斐ない父親は今になって隣人への挨拶をためらっている。工事してしまった後でなんて言ったらいいのか、などと口篭もっている。まったくしようがないから俺が行ってくる、と着替えをして出かけようとするが「半ズボンはやめなさい」と母親。脱ぎ捨ててあった作業服をとりあえずはくと、工事担当者に「性感帯に気をつけて」と言われる。気持の悪い男だ。
隣人宅の玄関は不自然な急勾配の上にあり、引き戸をあけると待ち構えていたようにおばさんが奥の座敷で「どれ、見に行くか」と立ちあがる。何か一言挨拶しようとするのだが、この家の床はちょうど僕の鼻あたりの高さで、しかも床から川のように水が流れてきて、口を開くと危うく水を飲みそうになる。いつのまにか我が家の庭に向かっているおばさんを追いかけようとするが、戻るのが困難なほど玄関の外は急傾斜で、しかも玄関のまわりにある棚につかまると、オロナインの白い瓶などがどんどん下に落ちて行く。こんな環境で育ったから、ここの娘は特殊な反射神経をもった運動選手になれたのだ、と思うが、しかしなんの競技だったか思い出せない。
故宮ゲーム
小高い丘の上に、北京の故宮を思わせる広大な建造物がある。なだらかなスロープを登る動く歩道の両サイドは、凸凸凸凸形の石ブロックでできている。凸凸の間の窪みにすっぽりとかがみ込むと、まるで昔乗ったお猿の電車のように、ゆっくりと宮殿に向かって進んでいくのが楽しい。
と、突然「そこに座ることが何を意味するのか、おまえはわかっているのか?」と言う声。「そこに座って編隊を組むことは、対岸の編隊に対する戦線布告を意味する。おまえがそこに座ったおかげで、仲間を集めなくてはならないじゃないか」
いかにも迷惑げな口調で非難されるが、彼の顔は嬉々として昂揚している。編隊は芋虫の形をしており、僕は最後尾、芋虫の鍬型の尻に移動するように指示される。そうしている間にも、対岸の凸凸凸には関西勢が刻々と集まってきて気勢を上げる。
窓から垣間見る宮殿の内部には、緑色のサターンや魑魅魍魎、さまざまなクリーチャーが蠢いている。これからわれわれは内部に入り、戦いが始まるのだ。しかし、僕はこのゲームのルールすら知らない。
暗い宮殿に入ったとたん、僕は芋虫本体から離脱してしまう。ジャンヌダルクとして胸も露に登場したRに「ったくよぉ、何も知らないでここまで来るか?」と非難される。「私に任せておけ」と言う言葉に安堵するもつかの間、邪悪なオレンジ色の蝶に後ろから抱きかかえられ、捕獲されてしまう。これで、僕はゲームオーバー。
宮殿の外には、故宮の荘厳さとは似つかわしくない寒々とした空地があり、一台のブルドーザーが放置されている。そこに<安斎>と自分の姓が書かれている。従兄の安斎某が、中国にまで事業を展開しているのだ。彼は気さくだがけっこうずる賢いから、気をつけなくてはならない。