rhizome: 実家の建物

五十年目の雲

いままで聞いたことのない轟音が空に満ちている。小学校の坂を登って高畑君の部屋を訪ねると、50年間ずっとこの日を待っていたのだと言う。二人で僕の実家まで戻ると、近所の家は根こそぎなくなっていて、土台がむき出しになっている。かろうじて残った両隣のおかげで、実家は形をとどめている。玄関から入り、骨組みを登って二階にたどり着くと、夕焼け空一面に鱗雲が浮いている。鱗雲の一片がゆっくり降りてくるのを掴まえようとすると、それはあちこち擦れて磨滅した発泡スチロールで、白い粉を落としながら逃げてしまう。

(2015年9月28日)

水因説

実家の二階が光学迷彩の部屋になっているので、部屋の中から四方がすべて見渡せる。たかだか二階なのに地面との間に雲海が棚引いている。部屋の中から、言葉が通じない背の高い黒い人と、ジャンベルを使って意思疎通できるようになる。
地震が起きると水そのものが吸引する性質をもつようになり、地面から湧きだしている水が手に吸いついてくる。水が吸いつくので地震が起きる、という逆の因果関係かもしれない。この仮説はきっと新しい。

(2015年9月12日)

正多面体LED

家々が建て込んだ迷路のような実家裏手の空間をなめらかに渡り歩くには、熟練が要る。組木細工のどこに手をかけ足をどこに移すか計画的な手順が肝要で、間違えると行き詰ってしまうのはボルダリングと同じ。なんとか改築中の実家の玄関までたどりつき、広間にひしめく聴衆とともに技術発表を待っていると、それぞれの面を別の色に光らせることができる正多面体のLEDが宙に現れた。大日本印刷の友人たちが歓声を上げるが、なにが画期的なのか僕にはわからない。

(2015年8月10日その2)

切断された家

女の子が喜ぶので、ついついケーキとクリームをたっぷり切ってあげた。すると土地の所有権比率の関係で、実家の東面がケーキナイフで切り取られ、舞台装置のように片面だけ開いてしまった。気をつけて暮らさないと二階から落ちるから、業者に強化ガラスを嵌めてもらうと母親が言う。
早稲田の飲み屋で飲んでいる。帰ると言ったはずのヌクミズがこれから夕日の飲み屋に行くと言うので、友人といっしょにヌクミズの優柔不断を責めながら、夕日の坂を登ったところで白い根付を拾う。切断された家で霊気が体を通り抜けているからこういうものに出会うのだ、と酔ったヌクミズに説明する。

(2010年8月24日)

巨木化する実家

実家の一部が巨木に侵食されはじめている。ぴたりと隣接していた工場が更地になり、突然あらわになった家の側面には、黒い肌に白い瘤をつけた巨木がいつのまにかめり込み、木はひたすら高く伸びているのに枝葉がない。アスファルトの坂をホッピング(バネ式遊具)で飛びながら、その光景を見ている。慣れ親しんだ自分の内臓を見ることがあれば、きっとこんなふうに鳥肌が立つのだろう。家の中で、母親は昭和の昔と同じようにおどけたり転げまわったりしている。

(2008年7月6日)

白いタイルの口

久しぶりに訪れた実家の外壁が、白い総タイル張りになっている。強いスポット照明のあたる一枚だけ、人間の口と鼻のレリーフになっている。ぽっかり開いた口の中から外に向かって、強い筆勢で黄色い釉薬が塗ってあり、なかなかすばらしいタイルを見つけたものだと感心していると、コートを着た背の高い女が玄関の前に立っていて、いきなり接吻してくるその女の口も同じ黄色に染まっている。
実家に入ると、襖の向こうの明るい部屋で、従姉の婚約者が大仰に話をしているのが垣間見える。小便をしたくなって便所の戸を開けると、そこに便器はなく、母親が溜め込んだ紙の手提げ袋がぎっちり詰めこまれている。トイレはこっちに移ったのよ、と開けられた襖の小部屋は、四方の襖がどれも完全に重なりきらないので、相変わらず大仰な男の背中やテレビの画面が見える。落ち着かないまま部屋の真中の便器に小便を始めようとするのだが、半分勃起したペニスはなかなか小便を開始できない。

(2003年2月18日)

急勾配の隣人

家の南側に庭を造ったものの、腑甲斐ない父親は今になって隣人への挨拶をためらっている。工事してしまった後でなんて言ったらいいのか、などと口篭もっている。まったくしようがないから俺が行ってくる、と着替えをして出かけようとするが「半ズボンはやめなさい」と母親。脱ぎ捨ててあった作業服をとりあえずはくと、工事担当者に「性感帯に気をつけて」と言われる。気持の悪い男だ。
隣人宅の玄関は不自然な急勾配の上にあり、引き戸をあけると待ち構えていたようにおばさんが奥の座敷で「どれ、見に行くか」と立ちあがる。何か一言挨拶しようとするのだが、この家の床はちょうど僕の鼻あたりの高さで、しかも床から川のように水が流れてきて、口を開くと危うく水を飲みそうになる。いつのまにか我が家の庭に向かっているおばさんを追いかけようとするが、戻るのが困難なほど玄関の外は急傾斜で、しかも玄関のまわりにある棚につかまると、オロナインの白い瓶などがどんどん下に落ちて行く。こんな環境で育ったから、ここの娘は特殊な反射神経をもった運動選手になれたのだ、と思うが、しかしなんの競技だったか思い出せない。

(1999年11月15日)