rhizome: 地下

Kの地下工房

壮年の幸村氏を訪ねると、自宅の下に広がる傾斜した地下洞窟へと案内される。地下水の流れる沢を、K氏は岸から削り出したわずかな足場を伝って器用に進むが、僕にはどうしても渡れない狭い場所がある。洞窟のあちこちにラジカセや物置などが無造作に放置されているのは、子供のころからここが自分の家の庭だからだ、とK氏は主張する。
ところどころ地上に空いた穴から、光が差し込んでいる。傾斜のいちばん高い所に開いた穴は、駅からここに来る途中の道で見たマンホールほどの穴に違いない。上から覗き込むと、岩場に水が流れて見えた。
K氏は物置から自作のヒラメを出してくる。ヒラメの体を触ると、位置によってさまざまなだみ声を発する。抵抗を計る方式では精度が出ないから、教授の助言で無数のスイッチに作り変えた。声は世話になったその教授の声だ、とK氏が言う。しゃがれたテナーサックスが吹く「四季・十月」が、だみ声と混じりながら洞窟に響き渡る。こんな場末の酒場のようなこてこてのチャイコフスキーは聴いたことがない。

(2015年4月3日)

地下印刷工場

明日壊される家の荷物を、今日のうちに引き上げることになっている。不要なものはここに残しておけば、家とともにすっかり業者が消し去ってくれる。確認のために各階を回ると、勇樹の黒い鞄など、捨てたのか忘れたのかわからない物がまだいくつも残っている。あいつのモノに対する執着は、いつもあいまいだ。さゆちゃんに頼んで、鞄の中の黒い手帳の写真を撮り、廃棄していいか本人に確認するツイートを投稿してもらう。
地下室の奥の扉を開くと、四階分の高さが吹き抜けた広大な部屋が現れ、床に染みたインクや油の形状からここが印刷工場跡であることがわかる。なぜ今日まで、この連絡路に気づかなかったのか。
このことは工場関係者にも伝えておいたほうがいいだろう。なにしろ扉の向こうの空間は、明日すっかり自動消去されてしまうのだから。

(2012年8月22日)

イクラのありか

コンクリートの地下にある埃っぽい部室で、秘密結社めいたサークルの連中がそれぞれの行為に没頭している。天井から吊った針金でスルスルと自在に上がり下がりを繰り返す男が、そろそろ健康診断が始まると言っている。半田ごてを握った男は、どんな大出力でも壊れないスピーカーに、百ボルトの電灯線を直につないで「なかなか頑丈だね」と感心する。僕は男子生徒女子生徒が混じるトイレで、検査の尿を採取するように言われる。こんな健康診断は、どうせ予算消化のためにやっているに違いない、役人の考えることといったら、と憤りながら、ふと自分がイクラを孕んでいることを思い出した。毛細管に危うくつなぎとめられたひと房のイクラを、ペニスの先の包皮で包んで、壊れないように注意深く抱え込んでいるのだった。こんなところにイクラを隠しているのがばれたら弁解が面倒だし、第一恥ずかしい。誰にも知られないことを願いながら、拭い取ったティッシュごと赤橙色の塊をごみ箱に投げ入れた。

(2002年4月4日)

突然のプール

昼休みのサラリーマンは、光が溢れる地下のフロアで、ゆったりと椅子に体をしずめ午睡を楽しんでいる。ふと気づくと水が溢れ出し、フロア全体が水を貯え、昼休みのサラリーマンたちは仰向けのまま浮き始めた。その一瞬のとまどいがおさまると、今度はお互いの顔を見合いながら一様に照れ笑いを浮かべ、背面泳ぎで体を浮かべ、平静を装うゆとりの速度でゆるりゆるりと岸まで泳ぎ着いた。

(2000年9月26日その1)

粉の鍵

要塞のように入り組んだ地下の一室で、髪を丁寧にオールバックにした石井裕、その娘、僕の三人でテーブルを囲んでいる。
隣接した電算室には中国人の技術者が一人、別の部屋には何人かの乳児と保母。機密が漏れてはならないと、石井は声を潜めて新しい認証システムについて説明し始めた。
「この鍵は、粉でできている」彼はガラスの小瓶を示した。
「この粉の瓶を金庫に挿入し、しかも粉の組成を正確に言い当てないと、鍵は開かないのです。たとえば草、花、木、というように」
娘が弁当箱大の容器に入った白い顆粒に液体をかけると、一瞬青白い光を放ち、液の中で草や花や木の記号の形をした小さいゼリーが浮遊しはじめる。これがパスワードなのだ。
娘が「ねるねるねるね」と言いながら混合物をかき混ぜると、形は壊れて糊状の塊になった。
「この糊を乾燥させると、……粉になるわけです」
僕はこの卓越したアイデアに感動しながら、しかし心のどこかで「何かが冗長だ」と思っている。

(1997年2月15日)

海外に通じる階段

草原真知子さんが「いい道をみつけた」と言うので、彼女に案内されるまま地下へ続く階段までやって来た。地下へ降りる階段にしては、底の方が妙に明るい。

階段は表面の木がほとんど見えないくらい一面に本が積み上げられていて、それが草原さんの収集した本であることはすぐにわかる。
「これじゃ通れないわね」と、彼女が積まれた本を押し倒すと、本の山は別の山を崩しながらどどっと地下のほうに崩れ落ちていく。

ほとんど本でできたその階段を這いつくばって降りていくと、北欧のとある集会所にたどり着く。こんな方法で簡単に来られでもしないと、しょっちゅう海外に出るお金もないわよ、と草原さんが言う。

北欧の集会所で、僕らは何人かの知り合いと話している。まったく言葉の通じない初老の男(彼はエルキ・フータモのように睫毛が白く瞳の色が薄い)が、まったくこちらの目を見ないで話しかけてくる。彼は、僕のことをよく知っているらしい。

わかりやすい英語をしゃべる若い男が差し出す本を開くと、中に日本語がまじっている。しかし、その日本語らしきものが解読できない。「チンプンカンプン」と僕はおどけて叫ぶと、その若い男はさも意味が通じたかのように高らかに笑う。チンプンカンプンの意味もチンプンカンプンであるはずなのに。

同じ階段を昇って、帰ろうとする。しかし本はますます雑然と増殖していて、ほとんど頭が通るか通らないかほどに狭まっている。無理矢理通ろうとすると、体のあちこちを擦りむいてひりひりする。

やむなく僕は、ドイツをめざして階段を降りはじめる。それは果てしない螺旋階段。僕は急がねばならないので、もう足をつかって駆け下りる時間はない。階段の手摺を滑り降り、ついにはお尻も離し、両方の掌だけで滑り落ちていく。途中、何人かの男を蹴落としてしまったかもしれない。

階段の果てには、座敷に膳が用意された薄暗い店がある。そこはまだドイツではない。しかしそこで食事をしないと、先に進むことができない。急ぎながら喉に流し込んだ液体が、信じられないくらい旨い。

(1995年1月16日)