実家のお向かいのノブちゃんを誘って選挙に行く。ノブちゃんと会うのは子供のころ以来だが、そのころ中学生だったノブちゃんは、僕との身長比率のまま大きくなっているので、2mを超す巨人が相変わらずにこにこ見下ろしている。自転車の荷台に彼を乗せて中学校までの坂道をいっきに降りるが、重くてブレーキが効かない。選挙会場になっている大学にある中村さんの研究室で、ノブちゃんの仕事の話を聞く。
rhizome: 自転車
死者と宴会
ともに仕事をしていた会社側のプロジェクトリーダーが突然亡くなり、死んだ彼と飲みにいくことになる。道すがら彼は、コンクリートの角材を線路沿いの鉄柱に持ち上げる作業など、生前にやりかけた仕事をしている。彼はなぜか終始にこやかだ。広い宴会場で、僕は母親の膝の間に身を沈めている。Hが家族とともに来ている。彼も、もうすぐ死ぬのだと言う。僕は死に意味がないことを説くために、世界は数であり、あらかじめ計算ができる数に時間はない、などと言っている。Hは、気休めはいいから、と笑う。Hの二人の娘に、近所だからこれからも仲良くしようと言う。鉄道の操車場を自転車で走る男がいて、いっしょに駆けまわるHの二匹の犬たちの黒毛はびっしょりと汗に濡れ、冷えたあばらを触ると激しく呼吸している。神保町にある彼の図書館から、布ザックいっぱいの廃棄本を回収する。琳派の豪華本やガロのカタログなどがある。図書館から隣の工務店にするりと入ってしまうが、工務店から図書館へは壁があって戻れない。大きいザックを自転車の籠に入れて運ぼうとするが、膨大な積荷を自転車で運ぶ力学を解説した本があり、そこには家一軒もある大きさの荷物を引く自転車が、神保町の交差点を巧みに曲がる動画が付属している。大きな荷物に張り付いた何人かの男が、倒れそうな方向と反対側に重心を傾け、バランスを保っている。
象の木
今日は部屋にこもって先生の遺品を整理するつもりだ、と彼女に伝える。彼女はメッシュのバッグにケータイを入れて、外出の準備はすっかり整っているのに、なかなか出かけようとしない。僕は薄紙に書かれた手紙をスキャンするために、スキャンスナップを探している。古いタイプライターなど、紙を吸い込む機械はいくつもあるのに、スキャナだけみつからない。何日かけてもこの部屋が整理しきれるとは思えないのだ、と女に言う。もしかすると、これは自分の遺品なのかもしれない、とも。
薄い化繊は重ねて着ると肌触りがいい、と女が言うので、僕は確認のために両方の掌を彼女の表面にこすり合わせ、いつのまにか女の体つきや匂いをまさぐりはじめたところに、この部屋を買いたいという一行がやってきて、ひどくがっかりする。
街はずれにある矩形の空き地まで、日暮れ方向に延びる道へ自転車で漕ぎ出し、例の不動産見学ご一行を追い越し、彼らより先に広場にたどり着くことができた。広大なその区画だけ白い光に満ちていて、野球少年たちがスローモーション撮影のようにボールを投げあっている。
巨木の切り株の形をした動物が何頭も、あちこち揺れながら佇んでいる。空き地に柵がないのは、彼らがおとなしい動物だからだろう。そのうちのひとつが、切り株上部の茂みの奥から象の小さな目をこちらに向けると、四つ足らしき下部の枝分かれを轟かせながら駆け寄ってくる。野球少年たちは動じず投球を続けている。僕は動物の駆け足の遅さと、そこからわかる動物の大きさにたじろいでしまう。
爆走レース
財布をいつも身に着けていないからなくすのだ、と木村拓哉がなじるので、それならお前が財布になれと言うと、彼は憤慨して運転席から去ってしまう。彼には僕の落胆は理解できない。やむなく僕は隣を走る車の運転を真似てボタン操作をすると、車は渋滞する車列の屋根の上を走りだし、大暴走の果てに火花をあげて大破する。
車を処分するときには右翼を使えという教訓があるので、イタリアマフィアのいるガラス張りのブティックの前に車は捨て置くことにする。彼の手下がダイナマイトを車の下に仕込むのを見とどけ、僕は安堵して土手を登り、自転車レースに紛れ込むことにした。門にいるエントリー担当の女が、靴ひもの穴の数が違反しているのでこのままではレースに出られないと言う。どうにかできると思いますが、と言いかけたところで、靴の鳩目がぼろぼろと彼女の病気の皮膚にこぼれ、ブルドッグのように小さくなった彼女は、赤黒く襞の寄った裸の身体を掻きはじめた。
多関節蛇列車
巨大な多関節蛇型列車が、竜のように形を変えながら高島平の発着場に降りてくるのを待ち受けようと気が急いている。北端の崖を走り降り、自転車を乗り捨て、線路脇に張られたピアノ線の縄梯子を注意深く踏み外さないように登りはじめる。
イスラムの讃美歌
走りながらどんどん壊れていく自転車に乗って遠出をしている。ついに外れた前輪を前籠の中に投げ込んでしまったのに、まだなめらかに走ることができる。高円寺の巨大イスラム寺院に来たところで、アカペラの讃美歌とスーフィーの混合音楽が聴こえてくる。この建物の屋上に幽閉された女を連れ出し、寺院からの脱出を試みるが、女だけ軽々と壁面伝い斜めに駆け降り、寺院は女が蹴り抜けた壁の煉瓦から次々と崩れていく。
テテンドプロトス
風間が自宅の庭の百日紅(サルスベリ)の木を、素手で根こそぎ引き抜こうとしている。それは真上に引いてはだめで、根のツボをおさえて横に引かなくては、と教えると、驚くほど簡単に引き出せた根のあとに、図書室への入り口が開いた。
僕の自転車は、ハンドルの付け根がネジでなく、三本に枝分かれした細い鉄線で、しかもそのうち二本の溶接が外れかけている。もうこれは乗り捨ててしまおう。そう心に決めた。
寺子屋のような板敷の図書室で、机ひとつ隔てて本を読んでいる女は、顔半分にそばかすが多い。女は会話の糸口を探しているようだが、なかなか視線を合わせることができない。手慰みに這っているカメムシをボールペンの先でつつくので、虫は勢いよく羽ばたき、室外へ逃げていった。
夜も更けた家並みを縫って、家よりも大きな黒い魚が、庭に腹を擦るようにして空中を泳ぐのが見え、あれはなんだと尋ねると、女はそばかす側の明瞭な顔で「テテンドプロトス」と答える。あの魚を見るのは始めてなのにまたその名前か、と思う。
テラコッタの粉
自転車に身を任せると、羊水の中を漕ぐように気持良い。乗りながらだんだんうっとりと眠くなってくるのは、薄目をあけてひと漕ぎするだけでどこまでも進んでいくからだ。いつの間にかハンドルに絡んだ蔦は、茎がすっかり枯れているのに、葉だけはキャベツのように大きく青く瑞々しく、裸の太ももに触れると冷りとする。
団地わきの水溜りの中で、テラコッタの粉が自律的にハニカム構造になっていくのをうつらうつら見ているうちに、たくさんの人がみな同じところを目指して歩いている列からはぐれてしまう。さっきまで視界に入っていたRも見失う。
死と学習
数ヶ月後の死を宣告され、川の上流のとある自転車修理工場で働いている。どうしてそんな暢気でいられるの、と工場の女に声をかけられる。平静は装っているだけで、今になって思えばあんなにビールをがぶ飲みするんじゃなかったと後悔もするさ。
旋盤のチャックの形をしたディスクブレーキの新技術に対応するための講習会があると言うので、出かけることにする。それを習いはじめても、数ヶ月で習得できなければ無駄になる。死を宣告されながら無駄を承知で新しいことをするのは、いずれ死ぬのに生きているすべて人々と同じことだ。そういう金言がどこかにあったか、あるいは今思いついたのか、どっちにしてもその通りだと思いながら、下流の講習会場へと自転車を走らせるのだった。
高所のいさかい
自転車で地下から地上へ、さらに坂を登りどんどん高度を稼いで川を一望する長い橋の、さらに吊り橋を吊る柱の頂上まで来てしまった。一気に登ったものの、さてどうやってここから降りるのか、降りる怖さを知らないで登ってしまう山の初心者のように足をすくませながら考えあぐねていると、未成年の男女が高所で言い合いをしている。こんなくだらない話題でよくもそんなに真剣になれるものだ、と嘲笑しているつもりたっだが、うかつにも女の語調に巻き込まれ号泣している自分が照れくさい。
液体駐輪場
自転車を走らせて高木の家に到着すると、自転車置き場に自転車を収納するように勧められる。マンホールのふたのようなものをあけると、乳白の液体が蓄えられていて、その中に自転車を浸しておくのだと言う。高木の娘が収納の仕方を説明してくれる。
しかし、自転車を完全に収める間もなく、再び自転車で家に戻らなければならなくなる。せっかくのパーティーに必須のなにかを、家に忘れてきてしまったからだ。謝って済まそうとすると、Rが執拗に「自転車で取ってきて欲しい」と言うので、彼女にとってそれが今日もっとも大事なこだわりだったのだと気付く。
遠方の自宅までどうやって帰れるのか、頭に地図が浮かばない。どこかわからないのに、坂をどんどん下りきってしまう。ここはどの駅の近くですか、とおばさんに尋ねると、中野、と言って遠方を指差す先に見えるのはまたもや坂で、ふたたび僕は坂を上り始める。
黒衣の黒人が、葬式の提灯の前に立っている。しかたなく店の裏口から入り、表から出ると、ふと自分がパンツをはいていないことに気づく。黒人があからさまにじろじろと股間を見ている。失礼な男だ。
うねり坂
激しい急勾配を含んだ波型の坂道が遠方に見える。造山運動の名残なのか、地面が小腸の断面図になっていて、部分的に上下が逆転している。このあたりに詳しくない僕は、目前に現れるランドマークをPHSのテレビ電話ごしのRに問い合わせ、それぞれの名称を答えてもらいながら自転車を走らせているのだが、しかしRは「そんな変な坂、知らない」と言う。
青錆色の書物
僕とその女は、それぞれ自転車に乗って長い坂道を降りている。僕たちは、ある使命を帯びているために、こうやって急な坂道を猛スピードで下っているのだ。
坂道の終わりに、土をうずたかく積み上げた本屋がある。ここで扱う本はすべて青錆色の砂鉄で、注意深く掌の中央に集めていかないと、吹き飛ばされてしまう。「知識とはほんの一握りの青い磁性を帯びた砂粒にすぎない」と砂鉄製の本に書いてある。
われわれは何冊かの本を汗ばんだ掌にくっつけたまま、さらに自転車に乗って、広大な公園に到着する。地面から半ばあらわになった半径数十メートルの赤い陶板をコースにして、彼女の自転車は巡回軌道に入った。それが、彼女のみつけた使命なのだ。僕もまた、そのような色つきのコースを発見すべく公園を走り回っているのだが、なかなか見つからない。公園を監視する正装の男が見かねて、僕を青い陶板の在り処に連れていこうと手招きしている。
探すために探す自転車
久しぶりに出会ったprotonとは話すべきことが限り無くあるのに、pは携帯電話で母親に九時に帰る約束をしてしまった。もう時間がない。家に送りながら夢中で話しているうちに、ふと西池袋界隈でpを見失ってしまう。
僕は夢中でpを探し始めるのだが、pを探すための自転車を探さなくてはならない。なかなか駅前の自転車置き場にたどり着けない。ガクランを着た大男が振り返りざま、この道を誰の許可を得て歩いているのかと凄む。そういえば昔、西口公園に自転車を乗り捨てたことがある。行ってみると、意外にも放置されたままの自転車を見つけ、試しに乗ってみると前輪がどこかに擦れて動かないのは昔のままだ。ボルトを外して組み立て直すと、見事に動きはじめた。
これに乗ってpを探しはじめることができる。達成感に満たされながら、人影も疎らな夜の街をあてどなくただ走っている。
林檎ぴいとお
陽が暮れかかっている。早く帰らなくてはならない。自転車でなだらかな斜面を降りながら、熱気球を50cmに縮小したような洋梨形の白い風船を探している。
あきらかに、その子供たちが風船を盗んだのだ。彼らの仲間同士の会話が、それを裏付けている。僕は大人げ無く凄みながら、彼らを問いつめている。彼らのひとりが、風船を返してもいいと言う。ただ、その風船がなくした風船かどうかは、わからない。たくさんあるから。
彼らといっしょに斜面を自転車で降りていくと、下に行けば行くほど、たしかに風船がそこここにある。白いものばかりかと思っていたら、赤いもの、青いもの、さらに大きなものまで、たくさんある。子供たちは、きっとこれがなくした風船だから、と言って一つを差し出した。それを受け取ろうと握った掌をすり抜け、風船はさらに坂を下ってしまった。
僕は風船を追いかけて、古い公民館らしき建物の中まで来てしまった。建物の床にはたくさんの風船がひしめいていて、広い畳敷きの部屋で女の子が風船遊びをしている。
この風船は、九州のとある地方のお祭りに使うもので、ある日たくさんの女の子が手をつなぎ、無数の風船を次々と隣の女の子に渡していくのだそうだ。そのたびに「林檎ぴいとお」と口ずさむので、まるでその日は、空全体が鈴が鳴るように声に満ちるのだと言う。
もうすっかり暗くなってきたので、早く帰らなくてはならない。まずは電話をかけよう。しかし、僕はなんとかこの建物の中から大人をみつけて、「林檎ぴいとお」の話の続きを聞き出そうと思っている。