部屋にあった持ち物が、公園に晒されている。見慣れた書架に値札がついている。なにかの手順のような抽象的な概念も、滑らかな黄色いプラスチックの塊で売られている。所有物を売るときにいつも陥るあの逆説的な思い、この机が一万円なら自分で買うかもしれない、というあの後悔が湧いてくる。
ポジフィルムを透かすライトボックスに目をつけた客を、それはもう使いみちがないから、と追い払う。古い木箱を開けて整理を始めた野知さんは、書類に挟まって死んだ虫とそれに群がる赤い蟻を払いながら、大正時代の女が書いた熱烈な恋文の束を読みふけっている。それぞれの返信がどうしても読みたいが、返信はこの女の骨董市まで行かないと読めない、と野知さんが言う。
rhizome: 自分の部屋
五線譜の川
河口付近の三角州地帯に住んでいると、ラッパ形の噴出機が絶えず砂を撒いているので、自分の敷地と他人の敷地の境界線はいつも砂に覆われしまう。いつのまにか部屋に紛れ込んできたルームサービスが、冷蔵庫をあけて「ビールはいかがですか」などと言うが、それは僕の私物だ。靴底でベランダの砂を払うと黄色い地面があらわになり、そこには小節の区切り線があらかじめ引かれた五線譜がある。
ソラリスノート
ノートに列挙された名前の最後に、渡邊真理子と書かれてある。名を書かれた人の記憶によって部屋の内部構造が勝手に変わるソラリスノートなので、自分の家にもかかわらずどんどん変更されつづけ、馴染みきることができない。客人たちは持ち込んだプロジェクタで動画を投影しようとしているが、部屋の灯りを消すスイッチがどこにあるかすらわからない。ようやく見つけたスイッチは、工場の主電源のように大げさで、いままで一度も触れた記憶がない。住み込みのお手伝いさん(そんな人がいたのか)の部屋からまだ少しだけ灯りが漏れているが、就労時間後の私生活に干渉するわけにもいかず、我慢することにする。奥にいるKが「客はサピエンスネットの人たちか」と聞くので、「早稲田のゼミ生だ」と答える。家族たちは蝋引きの紙で作られた生簀に活きの良い魚を投げ込んでいる。魚はとたんに自然発火し、ローストされた魚の良い香りを放ちはじめる。
断捨離工房
鉄板を貼った作業台、木工旋盤で削りだされる丸柱、壁にかかった鉄製の道具、漆塗りのための刷毛など、階下にある木工作業場の夥しい物に圧倒される。Rはもう工房の職人たちと仲良くなって、木の杖に穴をあける相談をはじめている。
引っ越しを前にしてほとんど物がなくなった二階に来ると、最近塗られた分厚い塗装のせいでロッカーの扉が開かない。このまま開かなくても別段困ることもないな、と思う。
星座作用マンション
星座作用の埋め込まれたマンションに、吉川ひなのと暮らしている。茫茫と草の生す湿った中庭が建物の二階の高さにあり、それをとりまく各部屋は、自分の部屋以外はすでに廃屋となって誰も住んでいない。一階エントランスの壁には、割れた土管や趣味の悪い額縁、錆びた機械など、意味のないものが埋め込まれている。吉川ひなのと、マンションに付属したレストランで飯を食いながら、星座を埋め込むために住みやすさをどこまで犠牲にしてもいいものか、議論している。
迷路の情事
コンクリート迷路の深い行き詰まりに、自分の部屋がある。そこから迷路をはるか逆にたどった出口に、玄関がある。遠い玄関の鍵を掛け忘れていないか、Sは気がかりで落ち着かない。しかし玄関まで行く気力が湧いてこないので、僕はSの気を逸らそうとしている。屋外迷路には天井がないので、容赦のない日差しが唇にあたってひりひりする。Sの切れ込んだ股は襞が濡れて光っているのに、顔の唇はかさぶたのようにごわごわしている。そう易々と気を紛らわせてくれないSは「私はキスが嫌いだったんだ」と言う。Sの腹部は半透明の乳白色で、左脇から管が痛々しく挿入されている。右脇の管は外れて、ミルクチョコレート色の液体が漏れ、くぼんだ腹に溜まりかけている。
海を臨むマンション
まさか住み慣れたマンションに地下があり、しかもそこにRが住んでいるとは思いもよらなかった。プールの底がガラス張りで、そこを天窓とする地下にもうひとつプールのある部屋がある。光がこぼれ落ちる二重底プールが隠されていたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど」と、彼女が開けた窓から海が垣間見える。ああ、海沿いの崖を登ったときに見えた窓はここだったのか、と納得する。
厨房の勝手口で、コックが「魚お造りしましょうか?」とRに声をかける。長年住んでいるが、このマンションに食堂があり、こんなサービスがあることを知らなかった。食堂で中庭のおしゃべり女たちに混じって食事をとる。ここで食事をとるのも、もちろん始めてだ。常連たちの視線がRと僕に注がれる。オマール海老を剥いていると「そろそろ出発の準備しないと」とRに促される。
着替えるために二階の自分の部屋に戻ると、新聞勧誘員の清水と名乗る男が待っている。清水は、これから階下で始まる出発の儀式のために正装を用意したと言う。これを着て「海ゆかば」を歌いながら出発してくださいと言う。僕は年齢的にも思想的にもそういうことはしないのだと言いながら海軍将校の軍服らしきものを手にとると、それはジャージで、背中にジャイアンツのマークが入っている。
一階の入り口にはたくさんの人が集まっていて、この事態に困惑するRの顔も見える。小学生たちが駆け寄ってきて、あんざいさんの生まれた家を知っている、と言って指さした指の先からジグザグの光線が描かれ、光線の先をたどると確かに中台の実家の勝手口に届いている。現在そこには、見知らぬアル中の主婦が住んでいる。アル中女は、おぼつかない手で握ったコップの酒をぶちまけてしまい、酒は窓に張り付いた野生の海老にかかる。遠赤外線ストーブの熱がガラス越しに海老に当たり、酒蒸しになった海老がしだいに良い匂いを放ちはじめた。
異空間マンション
まさか友人の友人が同じマンションの住人であるとは、思ってもみなかった。自宅からほんの数十m先に見知らぬ小道があり、外からでもマンションの廊下伝いでも、彼女の部屋にたどりつくことができる。
高い天井に古い日本家屋から取り出した梁が嵌め込まれている。部屋の中に土間があり、ボランティアの人たちが好き勝手なことをしている。同じマンションとは思えない広さだ、という感想を彼女に告げると、彼女は「思ったほどは広くはないよ」と謙遜するのだが、どうもその受け答えが不自然なのは、彼女はこの部屋のオーナーではなく、僕が人違いをしている恥を際立たせないように気遣っているオーナーの友人であることを理解する。しまった、この部屋の主の顔が思い出せない。
すると、ボランティアの白人男性が近づいてきて、「それはまさにあなたの著書の通り」と演説をはじめた。そんな本は書いたことがない。この男も人違いをしている。この部屋は、どこもかしこも人違いで満ちている。
自分の部屋に戻ると、玄関に青いマットがしいてある。こんなマットをしいた覚えはない。勇樹が、ジュースを買うので千円ほしいと言うので、もう千円足してやろうかと言うと、嬉しいくせに嬉しそうでない顔をする。二人でマンションの外に出ると、僕は青いマットのことが気になってしかたない。あれは自分の部屋のようで、自分の部屋ではない。気がかりのあまり、マンションの中庭に戻ってみると、そこは人気のない廃屋で、そこここの部屋の窓は壊れ、蔦が這っている。
時間を超えた同居人
僕の部屋に、二人の闖入者がいる。厄介なことに、自分自身が闖入者でないという自信がもてない。見知らぬ男が二人、そして自分の合計三人、このなかの誰か一人がここの持ち主で、あとの二人はウソをついている。困ったことに、誰一人ウソをついているようではない。
この中の二人は、タイムスリップで現在にやってきてしまったのではないか、と一人が言う。全員がここの主であるが、それぞれ別の時間を生きているなら説明がつく。きっとそうに違いない。では、今現在の持ち主が誰かはっきりさせるために、部屋の中にある物それぞれについて持ち主を割り出せば、間接的に部屋の持ち主がわかるのではないか。
しかし、床に並べた小物をひとつづつ検証していけばいくほど、三人それぞれの主張する所有物がほぼ均等に配分されてしまい、ますますそれぞれの浮遊感が増していくのだった。
飛行機事故
着陸したばかりの飛行機の中。どうやら飛行機事故に会ってしまったので、外に脱出しなくてはならない。この緊急事態に、なぜこんな呑気な雰囲気なのか不思議でならない。僕は女の手を引いてすんなりと外に脱出する。僕はその女に気があるのだ。
いきなり背後で爆発音がする。女は、僕が命の恩人だと言って感謝している。こんなことでありがたがられるならいつでもどうぞ。
原っぱのバラックの二階にある自分の部屋。僕は女と炬燵に入っている。炬燵の上のパソコンに突然テレビ電話が接続する。航空会社の担当が、ご無事でなによりでした、というようなことを言っている。こっちは今それどころではない、うるさい連中だ。
しかし、いったいいつテレビ電話のプラグインを入れたのだろう。こんななめらかな動画を再生できるはずないのに。これはActiveXだろうか。