rhizome: 廊下

老婆のいる廊下

部屋ほどの広さのある暗い廊下に、割烹着を着たおたふく顔の老婆があらわれる。薄く開いた戸から光が差し、顔だけ露出オーバーで白く抜けている。僕はぞっとして、老婆から逃れるために「あきらさんはいますか」とでたらめの名前を言った。人違いを装ったはずなのに、白い老婆は「あきら、あきら」と奥の部屋の実在のあきらを呼びはじめる。

ここまでが「あまちゃんの実家は忍者だった」にはじまる縦書き一段組の最後で、縦書き四段組みの後半は、ここから四つの物語に分岐する。

(2013年12月17日その1)

擬似記憶

河川敷に沿って建つ建物を、ひとつひとつ覗き込みながら上流に向かって歩いている。どれもみな僕の記憶からここに移築された建物なので、忘れているのに見慣れたものばかりだ。廊下に積まれた古書は自分の蔵書の記憶だが、aoikikuさんの撮った写真の記憶だったかもしれない。
ガラス越しに見えるこのフロアでは、かつて展覧会をした。空白の床と壁に展示した絵のイメージを配置するが、こう並べてもああ並べてもどちらも正しく思えるのは、これが回想のふりをしている擬似的な記憶だからだ。

(2012年11月26日)

クマカップル

幾重にもニスで塗り固められた古い校舎に、NHKの仕事で来ている。同じ仕事をしている和登さんとともに、クマの着ぐるみを纏って廊下を歩く。女グマの和登さんは、廊下の波型の壁にかたかたと爪を立てて機嫌が良い。「汗をかくのでお風呂に入りたいね」と女グマが言うので、「クマ同士二匹で入ろう」と誘いかける。ヒトとして誘ったつもりなのだが、クマとして着ぐるみのまま風呂に入ることになる。
透明なビニール風船でできた仮設ハウスの中で、子供たちは女グマともつれるように遊んでいる。空気穴からビニールの中に入ってみると、外見は同じクマなのに子供が寄ってこない。女グマはなぜかおねえさんと呼ばれ人気がある。首の継ぎ目や袖口など、着ぐるみのどこから内部情報が洩れるのかチェックするが、理由がわからない。

(2012年10月25日)

古書店の笑う猫

古書店店主の屋敷は板張りの廊下が迷路のようで、それが宗教団体としての威厳と財力を誇示している。僕は、古書店店頭の廉価本を十万円ほど買いあさり、その支払いのためにやってきた。これは果たして上手な買い物だったのだろうか、いくぶん悔いる気持も頭をもたげながら、なかなか店主のいる場所に行き着けない。黒光りする廊下の奥で、赤く充血した眼をかきむしりながら人間のように笑う猫が、こちらを見ている。

(2008年5月17日)

動物ボード

これが例のやつ、と季里ちゃんが見せてくれたのは、動物を形どった木の板で、それを尻にしいてスケートボードのように仰向けになると、ゆるゆると走り出した。曲がりたい方向に体を傾けるとそちらに曲がる。速度を思いのままにコントロールする力の入れ方もつかんだ。古いアパートの回り廊下で、床板の木目を軋ませながら試し乗りをしていると、季里ちゃんと布山君がラーメンを食べに行くと言うので、僕はこの新しい乗り物に乗ってついていくことにする。こんな遅い時間に食うわけにはいかないと、僕はいちはやく店を出て板を乗り回すが、鶴川の山の上にあるひと気のない繁華街から、さてどの坂道を下れば帰れるのか、見当がつかない。

(2008年5月13日)

半透明ホテル

ホテルの高層フロアは、回の字に一周する廊下から外が一望できる。廊下の内側に面した各部屋は、壁が半透明のガラスで、内部がぼんやり透けていることを承知している客たちが、裸を巧みに隠しながら交尾をしている。ときおり、平板な女の胸が見える。
僕は、谷を挟んで向こうにある高層ビルの一室に、書類を納品しなくてはならない。おそらくトイレにいる連れを探して、水族館の魚のように廊下を何度も周回している。そろそろここを出なくてはならない。重要なのは書類そのものではなく、時間までに机の上に書類を乗せることである。

(2008年4月11日)

乳首の転移

イスラム様式の長い回廊をもつマンションから、発泡スチロール製の生首がいくつも飛び出し、道に転がってはトラックにはねられ、生々しい血液の代わりに白いスチロールの泡が無残に飛び散る。

マンションの二階から引っ越してしまった佐々木の空室には、運び残した荷物がまだいくつか残っている。幼い女の子を迎えに来た若くてけばけばしい母親が、いきなり両方の巨大な胸を剥き出すと、女の子はそれにしゃぶりつき、あまりに激しく乳を吸うので顔が乳房にめりこんで頬と乳房の境界がわからなくなる。女の子が顔を離すと、女の子の顔に乳房が転移し、顔の真中にひとつ大きな乳首がついている。

(2002年1月30日)

異空間マンション

まさか友人の友人が同じマンションの住人であるとは、思ってもみなかった。自宅からほんの数十m先に見知らぬ小道があり、外からでもマンションの廊下伝いでも、彼女の部屋にたどりつくことができる。
高い天井に古い日本家屋から取り出した梁が嵌め込まれている。部屋の中に土間があり、ボランティアの人たちが好き勝手なことをしている。同じマンションとは思えない広さだ、という感想を彼女に告げると、彼女は「思ったほどは広くはないよ」と謙遜するのだが、どうもその受け答えが不自然なのは、彼女はこの部屋のオーナーではなく、僕が人違いをしている恥を際立たせないように気遣っているオーナーの友人であることを理解する。しまった、この部屋の主の顔が思い出せない。
すると、ボランティアの白人男性が近づいてきて、「それはまさにあなたの著書の通り」と演説をはじめた。そんな本は書いたことがない。この男も人違いをしている。この部屋は、どこもかしこも人違いで満ちている。

自分の部屋に戻ると、玄関に青いマットがしいてある。こんなマットをしいた覚えはない。勇樹が、ジュースを買うので千円ほしいと言うので、もう千円足してやろうかと言うと、嬉しいくせに嬉しそうでない顔をする。二人でマンションの外に出ると、僕は青いマットのことが気になってしかたない。あれは自分の部屋のようで、自分の部屋ではない。気がかりのあまり、マンションの中庭に戻ってみると、そこは人気のない廃屋で、そこここの部屋の窓は壊れ、蔦が這っている。

(2000年2月5日)