rhizome: 怖気づく

屋上が一階

谷通りに面した建物の一階から、螺旋階段を昇り、階ごとに色の違う店(黄色い泥を壁に塗った店、青い粉を詰めたタッパーを無数に積み上げた少年の店、白いブランクの店)を覗きながら最上階にたどり着くと、再び一階の表示がある。崖に沿って建つビルの最上階が、ちょうど高台の地上の高さだからだ。
山の一階から再び谷の一階に降りるために、建物の屋上へ戻ろうとするが、崖と屋上の隙間が広すぎて、谷底を見ながら跨ぐことができない。

(2015年3月16日)

牛落とし

押すように雨の降る安達太良山中で、竹の姿をした二頭の牛を導き、いっきに駆け下りようとする途中、一頭は脱落して見失い、もう一頭は急な段差に怖気づき固まってしまう。もう先頭を争うこともないから、と優しく肩を貸してやると、竹は肩に足をかけて奮い立ち、阿武隈川を目指して駆け下りていった。

(2013年9月5日)

象の木

今日は部屋にこもって先生の遺品を整理するつもりだ、と彼女に伝える。彼女はメッシュのバッグにケータイを入れて、外出の準備はすっかり整っているのに、なかなか出かけようとしない。僕は薄紙に書かれた手紙をスキャンするために、スキャンスナップを探している。古いタイプライターなど、紙を吸い込む機械はいくつもあるのに、スキャナだけみつからない。何日かけてもこの部屋が整理しきれるとは思えないのだ、と女に言う。もしかすると、これは自分の遺品なのかもしれない、とも。
薄い化繊は重ねて着ると肌触りがいい、と女が言うので、僕は確認のために両方の掌を彼女の表面にこすり合わせ、いつのまにか女の体つきや匂いをまさぐりはじめたところに、この部屋を買いたいという一行がやってきて、ひどくがっかりする。

街はずれにある矩形の空き地まで、日暮れ方向に延びる道へ自転車で漕ぎ出し、例の不動産見学ご一行を追い越し、彼らより先に広場にたどり着くことができた。広大なその区画だけ白い光に満ちていて、野球少年たちがスローモーション撮影のようにボールを投げあっている。
巨木の切り株の形をした動物が何頭も、あちこち揺れながら佇んでいる。空き地に柵がないのは、彼らがおとなしい動物だからだろう。そのうちのひとつが、切り株上部の茂みの奥から象の小さな目をこちらに向けると、四つ足らしき下部の枝分かれを轟かせながら駆け寄ってくる。野球少年たちは動じず投球を続けている。僕は動物の駆け足の遅さと、そこからわかる動物の大きさにたじろいでしまう。

(2013年2月13日)

グンゼビル

お堀端のこのビルは建物全体が回転しているので、窓からの風景がゆっくりと一方向に流れている。終電も過ぎ、曖昧になってしまった待ち合わせを諦めようか迷っていると、グンゼの広告撮影のため集められた少年少女たちが白いメリヤス下着に身を包み、階段の手すりあたりでたむろしはじめる。勃起がパンツを押し上げているのを見つけられてしまった少年を、少女たちは面白がって取り囲み、一人の少女が自分のパンツを下ろして見せる。
壁面がまるまる電子書籍になっている隣のビルに、ちょうど窓の方角が合うのはこれで三回目だ。本が巡ってくるまでの間に自動でめくられた数ページぶん、物語が抜け落ちてしまう。もう帰ろう、そう決心して一階の出口に降りてくると、回転する鉄製ステップの意外な速さに怖気づいて、なかなか外に出ることができない。

(2012年10月7日)

瓦落多の馬場

自動改札を詰まらせてしまった子連れの女の傍らに、改札装置の内部に詰まった瓦落多を駅員が次々と取り出しては積んでいくので、見る見るうちに背丈より高い山になってしまう。申し訳なさげなその女と、僕は目を合わせないように隣の改札を通過し、エスカレーターで高架のホームへ向かった。しかしあの百円玉や針金細工や半濁音や冠詞の混じった瓦落多は、写真に撮っておくべきだった。
高田馬場のホームはミルク色に沈殿した霞に浮いていて、毎日の利用者でありながら異様な標高に足がすくむ。ミルク色に沈殿した雲海から突き出す建物の影はそれぞれでたらめに傾斜しているので、垂直に立っていることができない。タイル貼りのベンチの背に手をついて恐る恐る移動していると、改札の女が軽やかに行く手をよぎり、彼女のふくらはぎに躓いてしまう。

(2012年9月23日)

木の魂を抜く

アルバイトに来た会社の長いソファで、社員の机にあったトランジスタ技術を読みながら、何を待たされているのかわからないし、担当の名前すら知らない。休憩に戻った作業服の社員たちが、「担当!」と叫んでくれたおかげで、革ジャンを着た長身の担当が、お約束のおどけた仕草で登場し、会社の奥へ導いてくれる。
製品陳列棚の奥には木工部門があり、資材置き場があり、駐車場があり、鉄門の裏口があり、山につながる小道がある。山を下ってきた作業員たちは、うっすら緑の土を被り、魂を亡くして表情がない。
僕は山を登りはじめたものの、なにか馴染めない。仕事をすると決めたわけではない、と自分に言い聞かせながらも、気づくとかなりの標高まで登ってしまった。「やすこが来た」という無線連絡が入り、谷あいの道にそれらしき人影を見たので、彼女がこの半端な状況を打開してくれるかもしれない、と思う。
石灯籠の断片に腰を下ろし、森の下草に紛れていると、前触れもなく儀式は始まった。向かいの山の数百メートルもある杉の巨木は、根本に入った切り込みが限界に達し、傾きはじめた。先端がこちらの山にかかると、木は大きくたわみ、その反動で向こうの山側に帰っていく。それらはことごとく予想をはるかに超えるスローモーションで、静止画を見ているようだ。しかし木がもう一度ゆっくり倒れこんでくるのがまさに自分の方角だと気づいたときには、逃げきれそうにないほど加速している。
伐り倒される木の内部から円筒形の「木の魂」を抜き出す男が、巨木の先端に跨っているのが見える。木の魂を括った縄のもう一端を自分自身に括り付け、木が山にぶつかる衝撃を使って魂を離脱させようというのだ。カプセル状の魂と紐づけられた男は、ハンマー投の着地のように地面を削りながら減速し、男の体もあちこちの岩に弾かれたが、彼は熟練した正社員なので死ぬことはない。

(2012年9月1日)

砂のゲレンデ

一面砂の斜面は、一度降り始めたら止まらないほど急峻なゲレンデで、先に降りてしまった相方がどこにいるのかもわからず、怖気づいて滑り出すことができない。しかも、スタートラインより前は広告ページになっていて、どのページまでが広告なのかは、見る人によって判断が異なる。また「しまぶくろの理論」と称する解説ページも挿入されていて、斜面を滑るときの意識の集中ゾーンがおでこのあたりにあることが示されている。ページをさかのぼって屋上には、白いコンクリートにローラーを転がして、亀裂に雑草を植えている男がいる。

(2008年7月28日)

劇場地獄

赤いフェルト貼りの階段を、太った中年女がゆっくりと上っていく。ちょうど目の高さに女の白いふくらはぎが来る間隔を保って、僕も階段を上っている。指定席を探しているのだが、どこまで行っても目指す座席番号に到達できない。女は座席を見つけたのか、いつの間にか消えている。ついに劇場の最も高い壁の淵に一人で立っているのだが、ここはもう座席ではない。壁にはやっと乗るほどの足場があるものの、壁自体が斜めにせり出しているので、縁に指をかけないと落ちてしまう。恐怖心を振り切りいっきに渡りきると、同じようにしてたどり着いた人たちが落葉のように吹き溜まる場所がある。床板の傾斜に堪えながら、番台の男の出すクイズに答えないとここから帰ることができないルールは、テレビを見てよく知っているのだが、滑り落ちないように手足をつっぱるばかりでクイズどころではない。

(2002年7月5日その2)