水路に面した懐かしい家にたどり着き、木の階段を二階に上ると、勾玉の形をした七世さんの分身が何体も横たわっている。大きさが一様でないのは、胚から魚になり、魚から尻尾が取れるまでの系統発生図の各段階が何かの弾みでばらばらになってしまったからだ。
一階で芝居が始まろうとしている。桟敷の隅に腰を下ろし、あたりの喧騒をぼんやり眺めている。背後から包み込むように七世さんの匂いが近づいてくる。懐かしい感情が鼻腔を満たす。
selection: 選集
大根の実
市原さんが女の子の皮を剥いてほしいと大根のようなものを差し出すので、僕は台所から皮むき器を持ってくると、彼女は「いやそういうことじゃなくて」と落胆しながら蜜柑のような皮の下に指を差し入れ、つるりとあらわになった大根の柔らかい実を頬張った。
Kの地下工房
壮年の幸村氏を訪ねると、自宅の下に広がる傾斜した地下洞窟へと案内される。地下水の流れる沢を、K氏は岸から削り出したわずかな足場を伝って器用に進むが、僕にはどうしても渡れない狭い場所がある。洞窟のあちこちにラジカセや物置などが無造作に放置されているのは、子供のころからここが自分の家の庭だからだ、とK氏は主張する。
ところどころ地上に空いた穴から、光が差し込んでいる。傾斜のいちばん高い所に開いた穴は、駅からここに来る途中の道で見たマンホールほどの穴に違いない。上から覗き込むと、岩場に水が流れて見えた。
K氏は物置から自作のヒラメを出してくる。ヒラメの体を触ると、位置によってさまざまなだみ声を発する。抵抗を計る方式では精度が出ないから、教授の助言で無数のスイッチに作り変えた。声は世話になったその教授の声だ、とK氏が言う。しゃがれたテナーサックスが吹く「四季・十月」が、だみ声と混じりながら洞窟に響き渡る。こんな場末の酒場のようなこてこてのチャイコフスキーは聴いたことがない。
大正時代の恋文
部屋にあった持ち物が、公園に晒されている。見慣れた書架に値札がついている。なにかの手順のような抽象的な概念も、滑らかな黄色いプラスチックの塊で売られている。所有物を売るときにいつも陥るあの逆説的な思い、この机が一万円なら自分で買うかもしれない、というあの後悔が湧いてくる。
ポジフィルムを透かすライトボックスに目をつけた客を、それはもう使いみちがないから、と追い払う。古い木箱を開けて整理を始めた野知さんは、書類に挟まって死んだ虫とそれに群がる赤い蟻を払いながら、大正時代の女が書いた熱烈な恋文の束を読みふけっている。それぞれの返信がどうしても読みたいが、返信はこの女の骨董市まで行かないと読めない、と野知さんが言う。
食物連鎖ワークショップ
最上階まで吹き抜けになったコンクリートの内壁に、ところどころ抉られた窪みがあり、人が嵌って本を読んでいる。よく知っているはずの建物なのに、この眺めに見覚えがない。水越さんに電話してみると、そこは同じ情報学環でもドメインが違うと言われる。自由落下式のエレベーターで地下まで降り、そのままJの字を描いて隣の吹き抜けに飛び出る。
床いっぱいに広げたロール紙に、何人かボールペンで絵を描く人がいる。それぞれ自然界の何かになり、紙の中にそれを描いていく。それぞれの役割に入出力があり、他のインプットに向かって矢印をつないでいくのだと鳥海さんが言う。僕はイワシであることを宣言し、群がるイワシをいくつも描いた。それぞれのイワシから出る矢印をクジラの目につなぐと、鳥海さんが意外そうに「目なんだ」と言う。
魂脱落
川べりの学校で、小学生の根岸兄弟が鉄棒をしている。蹴上がりができるか、と聞かれ「できたとしても体中痛くなるからやらないよ」と答えると、根岸弟は小学生の身体でするりと蹴上がり、そのまま前に回る拍子に肛門から魂を落としてしまう。根岸兄がそれを拾い、売店のおばさんになんとかしてもらおうと言って二人で駆けて行った。
川岸の断崖に、緑色の雲母でできた足場が飛び飛びに突き刺さっていて、そのうちのひとつがたわみきれずに折れている。抜けた足場をひとつ飛び越えるときだけ、対岸の学校が一瞬目に入る。
CG学会の宴会
竹内君が持ってきたその作品は直径20cmほどの魚眼レンズで、覗き込むと中に黄色い草原があり、黒い老学者がくるくる回りながらそこを渡って行く。作品にはカタカナのエキゾチックな名前がついていたが、思い出せない。
温泉宿で行われているCG学会の宴会はところどころ強いライトがあたっていて、人間が干物のように乾いてしまう。みな口ぐちにこんな照明の設定はやめるべきだと言っている。しかし光が弱いと魚眼レンズの暗闇に沈んでしまうのではないか、と反論する男もいる。
ジンジャーと樹の思い出
管理人のじいさんの名前が思い出せないので、とりあえずジンジャーと呼ぶと振り向いた。彼と話しながら、中庭にあった巨木のことを懐かしく思い出した。白いコンクリートの擁壁に登って巨木を見たことがある、と僕が言うと、切り倒してしまった巨木を中庭の見取り図に丁寧に書き加えれば、木が再生するかもしれない、と彼が言う。「樹皮も丁寧に描く必要があるだろう」そう言って、ジンジャーは鉛筆を丁寧に削ってくれた。
ツバメの足
Sの家にいる。Sが飼っている極彩色のツバメがなついて、僕の人差し指と中指の甲に両足をしっかりからませている。灯りを点けるのを忘れたまま、いつのまにか暗くなってしまった部屋に、Sの妹が帰ってくる。ツバメは自分の足を再生し、古い足を僕の指に残したまま飛び立った。抜け殻のように残った両足を削って飲むと体にいい、とSが言う。二階から老婆が降りてくる。
ベンヤミン監督のリアルタイム映画
塔のバルコニーにたっぷり湯を溜めて、往年のIT業界のリーダーたちが浸かっている。IT誌の編集長だった男が「バルコニーごと落ちるかもな」と言って冷やかにそれを見ている。不自然に傾斜のある会場に椅子を並べ、パーティは始まろうとしている。サンドウィッチを作っているロシアのおばさんにあれこれ注文すると、面倒臭そうに「おまかせ、とだけ言えばいいの」と言われる。会場に設置されたディスプレイでは、ヴァルター・ベンヤミンの作った映画が始まり、バルコニーの風呂やサンドウィッチ屋のおばさんとのやりとりが、映画のイントロとして映っている。これどうやって作ってるんだ、どういう仕組みだ、と周囲に聞きまくっている自分が映画の中にもいる。
中庭のサスペンス
マンションの中庭はあまりに広いため、中庭の中に入れ子のようにマンションが建ち、鳥海さんがそこに引っ越してきた。四階建ての壁面全体がスライド式のドアで、ゆっくり音をたてて開くと、エントランスから彼女が出てきた。どんな様式も行き着くところまで行くのよ、と鳥海さんが言う。今夜はゆっくり積もる話をしようと約束したきり、彼女もマンションも見失ってしまう。谷のような中庭はその特性を生かして最新の放逐型刑務所になっている。ここで囚人は、閉鎖した谷の中にいる限り自由にふるまえる。看守と少女が雪かきをしている。その様子を仲間と見ていると、少女が看守に雪をかぶせ、密かに殺害してしまった。
波動式その場飛び
中央線中央駅の見晴のよいホームで、若い車掌が「オレンジ色の現車両より、黒い旧車両が好きな方は波動式その場飛びでご協力ください」と、車掌しゃべりで言う。小刻みに飛びつつ、これがはたして波動式その場飛びなのか疑問に思いながらも黒い旧車両に乗り込むと、木の床は泥水につかったままところどころ破れた座席に戦災孤児が眠っている。
水に弱い文明
家の中のあちこちに、水が溢れている。友人が、開いた本の上に熟したトマトを置いていった。そのせいで、本がどれもみな濡れている。僕はそのことを猛烈に怒っている。鈴木健が肩に手を置いて宥めるように「水を必要とする生物である人間が、なんで水に触れちゃいけない紙の本を発明したのか、それを考えるべきですよ」と言う。
トミーの土管音楽
広い空き地に地下鉄の駅とレストランだけがある。僕は図書館に住んでいて、ふらっとここにやってきた。散乱している土管は、片方の口で音を鳴らすと、もう片方から5度上か下の音が遅れて出てくる。ある口から笑い声を入れると、音は散乱した土管を巡って自律的に反復的な音楽になる。レストランにトミーという男がいて、かつて名を馳せた音楽家なのだそうだが、手元にWikipediaがないので調べることができない。僕はトミーのことを知らないのを気づかれないように、話を合わせている。自分を覆っている体毛は実はTシャツなのだ、と言いながら、トミーは娘と奥さんの肩を抱いて浮かれている。Tシャツの体毛は、映像のエコー効果によって滑らかに流れている。しかしTシャツの首から見える彼の胸元は、Tシャツと同じくらい毛深い。
グソクムシの崩壊
駒込の草原邸で浅野君たちと仕出し弁当を食べていると、盛られた砂の上に置かれたダイオウグソクムシのロボットが砂ごと崩れはじめる。草原さんは「自然のままにしておけばいいのよ」と言いながら、片足で砂を床の隙間に押しやる。砂は、床の隙間から床下へとこぼれ落ちていく。あとで困るだろうと、僕は隙間を目張りするために床下に潜りこむと、そこは畳の敷かれた明るい広間で、砂時計のように砂の三角山が成長していた。