selection: 選集

花火とトンボ

七世さんが歯の治療のためにあの世から帰ってきていると、歯医者の草間先生から伝え聞く。実家にやってきた七世さんを、晩御飯を食べていかないか、泊まっていけばいい、と母が引きとめている。神戸の家の地下でやった小さい芝居の話など、積もる話は尽きない。窓越しに垣間見える花火を見て、親戚の男の子と七世さんがはしゃぎながら坂を登って花火大会に駆けていく。先に帰ってきた男の子が、あの人は変だ、花火が上がるとトンボの目をして空に舞いあがろうとする、と言う。

(2016年8月1日)

ニューラル計算尺

齊藤さんが人造コットンから紙を作る会社を作った。どろどろに溶けた綿の液体から、紙を引き上げる。いろいろな計算はこれでやっている、と見せてくれたのは旧式の汚れた計算尺で、ニューラルネットワーク制御のロボットハンドが高速に竹尺を操作している。これが正しい答えを導くいちばんいい方法なんです、と齊藤さんが自慢げに言い、僕は大きく首肯する。

(2016年7月24日)

ステルス蛾

寺尾さんが金属製の蛾を捕まえてきて、日本軍はこうやってゆっくりと気づかないうちに戦争を容認させるのですよ、と言う。8階のバルコニーに出てみると、白いステルス機がひらひらと舞っている。向かいの棟の壁面にとまると、大きな三角形のステルス機はひたと動かなくなる。

(2016年6月8日)

四面楚菓

ミジンコの透き通った体に葛きりを詰めた四面楚歌という菓子を売り出す計画を友人たちと練っている。

(2016年5月8日)

解釈船

ショッピングモールで「業務連絡、解釈船が到着しました」という館内放送が流れる。なにかの符牒か、客には意味がわからない。解釈船は座席の背と背の間にも人を詰め込み、田舎駅に着いたとたんにぱっかりと開く船の側面から人がどっと広い改札へなだれ込む。広い改札をトラックまで通ろうとする。いくら田舎でもそれは無理だと駅員が制する悶着を写真に撮ろうとカメラを向けると、トラックの運転手がVサインを送ってくる。改札のあまりの広さに画角が足りず、パノラマ撮影で流し撮りするがうまく写らない。緑生す駅の谷に降り、一面の植物群に向けてパノラマの試し撮りを始めると、この最新カメラは空間を縦横無尽に舐めるだけで風景を勝手に読み取り、重複した空間は襞を寄せて畳み込んでくれることがわかった。

(2016年2月29日)

クラウドテレビ

H氏は小学館ビルの細長い洞窟上のフロアで、泥絵を描いている。H氏(ひぐち、ひがき、ひうらなど「ひ」のつく名だ)は僕のことを知っているし僕もH氏のことを知っているが、これが初対面だ。H氏の掌には少なくとも5色の土があり、それを巧みに切り替えて壁に泥を塗っている。中村さんがH氏に、テレビ神奈川が見たいと要求する。小学館のフロアの端にはラウンジがあり、そこのテレビは屋上のUHFアンテナにつながっているから、きっと過去の番組が映るはずだとH氏が言う。いやそんなことはないだろうと僕が反論すると、H氏は空にまだキャッシュが残っていると言う。

(2016年2月8日)

最期を看取る人

高層の建物の非常階段に隣接した角部屋で深く眠っている。自分の寝息が聞こえる。柳子さんとhapiraさんがそばにいる感覚がある。hapiraさんの手が僕の顔を触っているが、死人のように冷たい。その冷たい腕をつかみたいのだが体が動かない。そうか僕はhapiraさんに看取られるのか、それは意外だった、と思う。

(2016年1月11日)

間接生殖

Mが身籠った、とNが言う。Nは、父親は私自身だと言う。しかし君は女じゃないか。するとNは、間接的にあなたが父親だ。だからMと一緒になれと言う。
ほとんど初対面のMと、どうしてやって暮らしていけるのか自信がない。Mとぎこちなく校庭を歩く。競技場の真ん中にあいた小さいオーケストラピットから指揮棒を空に繰り出すが、穴が深すぎて誰の目にもとまらない。

(2016年1月3日)

生物教室放出品

古いコンクリート造りの校舎で、生物学教室の廃棄品を放出している。染色液が漏れたプレパラートや、青く変色した児童文学全集がある。各病院から二人までと言われているが、無関係の自分や女子高校生が紛れ込んでいても咎められることはない。根元から折れた水晶の柱は、断面がつるつるになるまで磨滅している。道に埋められていたからだろうか。女子高校生が手にとると、水晶の下から顕微鏡のXYステージが現われる。女子高校生とじゃんけんをして手に入れる。ただ、彼女はじゃんけんの原理がわかっていなかったかもしれず、腑に落ちない顔をしていた。ツマミを回すと驚くほど滑らかに上台が滑る。先端に穴のあいた彫金用スクレイパーをポケットに入れる。
何枚もある素描を見ていると、老いた女が「この絵は息が詰まる」という。これは死んだ画家とその弟子が描いたものだが、どちらの絵がそうなのか尋ねると、女は黙ってしまう。彼女自身、山下という画家のゴーストペインターだったと言う。
地下室に陽が当たるのは、地上から掘られた深い崖底に出るガラス戸があるからで、外に出ると地上に続く坂がある。大和田さんが、地上までの坂道をバギーに乗せてくれる。

(2015年12月15日)

屑鉄回収AR

成城学園の大戸屋を探して、森の中で二人の女子大生に尋ねるが、彼女たちの言う通り歩いてもたどりつけない。駅前の路地に見つけた廃屋を画角いっぱい撮影しようと後ずさりすると、屑鉄回収業者の敷地に入ってしまう。地面に敷いた鉄板が油で滑る。業者のおじさんに写真を撮ってもよいかたずねると「いくらでも撮りな、写らないから」と言う。カメラの液晶を覗くと、確かにおじさんの姿がない。「そのかわり」と言っておじさんが指を鳴らすと、ファインダーの中のあちこちに化け物が現われるが、被写体のほうに実体はなにもない。

(2015年10月15日)

五十年目の雲

いままで聞いたことのない轟音が空に満ちている。小学校の坂を登って高畑君の部屋を訪ねると、50年間ずっとこの日を待っていたのだと言う。二人で僕の実家まで戻ると、近所の家は根こそぎなくなっていて、土台がむき出しになっている。かろうじて残った両隣のおかげで、実家は形をとどめている。玄関から入り、骨組みを登って二階にたどり着くと、夕焼け空一面に鱗雲が浮いている。鱗雲の一片がゆっくり降りてくるのを掴まえようとすると、それはあちこち擦れて磨滅した発泡スチロールで、白い粉を落としながら逃げてしまう。

(2015年9月28日)

宇宙洗濯機

幸村さんが、宇宙エレベーターより簡単に宇宙へ行く道を見つけたと言って、大型ドラム式洗濯機の蓋を開け、江渡さんといっしょに宇宙へ旅立った。しかしあまりに普段着なので、世の中の反応がいまいちなのだという。東大の博物館で待ち合わせた木原さんとあれこれ広報戦略を練るが、結局このままでいいと言う結論に至る。

(2015年9月25日)

戦争博物館の血模様

木も人も家もなにもないイラン高原を歩いていると、突然眼下に崖が切り込み、おいしそうな食べ物の匂いが立ち上ってくる。崖の中腹に嵌め込まれた金魚鉢の内側で、久米姉妹が浴衣を着て日常生活を営んでいる。僕は彼女たちとともにガラスの内側にいて、外の男たちを軽蔑している。崖の底では小さいカラフルな象たちが、泥まみれになって遊んでいる。学ランを着た長身の男が池のほとりに倒れこみ、そのまま平面化する。
中国の戦争博物館では、血でぬられた壁がいくつも展示されてるという。しかし、匂いに気をつけたほうがいいと久米(姉)からアドバイスを受ける。展示室のひとつに入ると、水墨で描かれた葉に血で塗られた赤い花を敷き詰めた美しい模様が一面に描かれていて、息ができないほど血なまぐさい。

(2015年8月26日)

実体のない猫

真理子さんが猫を入れてきたといって差し出す布袋を逆さにすると、猫の粉がテーブルの上にふわりと広がったが、猫の実体はない。粉の中には三色の綿毛や柔らかい肉球なども混じっている。

(2015年8月10日その1)

ムラヴィンスキー全集

体のある部分に力を入れると浮遊が始まる。空中に留まりながら力の入れ方を工夫すると少しづつ高度を上げ、天井に触れるとそのまま張り付いていることができるようになった。(体育館の登り縄を最後まで登ったときの眺めも、こんなふうだった)
シャンデリアのあるホールの天井から見下ろすと、石造りの階段に木箱が置いてあり、人が群がっている。木箱には、対位法について書かれた冊子が何冊も無造作に詰まっている。本を手にとるとムラヴィンスキー全集の一部で、箱の底には和声法、指揮法などの巻もある。欲しい本を積み上げて階段に座って読み始めると、哲学と題された巻だけはただの箱で、小石や大きな黒い蟻や布切れなどがガラガラと入っている。ほかの巻をふたたび開くと、同じようながらくた箱に変わっている。箱を覗いている女に「これが本に見えますか」と尋ねるが、日本語も英語も通じない。

(2015年7月21日)