東京の環状電車外回り線は、都心から葛飾区へ至る区間に十数本の東京タワーをくぐり抜ける。塗装のない剥き出しの鉄骨は暗闇のように深く錆びつき、乗客は車窓から手を伸ばして鉄錆を擦り取ろうとするので、タワーが近づくたびに無数の指の骨がかたかたと音をたてて鉄骨に当たる。
勇気を試そうというのか、ご利益があるのか、どうしてこんなに危険な習慣が根付いたのか由来がわからないまま、次のタワーが近づいてくると、自分の掌も自ずと錆を欲して奮い立っている。
rhizome: 錆
有機物ネットワーク
東京の地下鉄網が東の果てで途絶える駅を出ると、景色があちこち錆びている。使っていない工場の壁に、操車場の電車の窓にあたった西陽が、ゆがんだ四角い反射を落としている。この奇妙な一瞬を写真に撮ろうとRにカメラを借りるが、電池あるいはメモリに問題があるため画像が保存できません、と表示される。
空に突き出す何本もの塔の中、町はずれにあるひときわ巨大な煙突を目指して歩いていく。しかし、どんな光景に出合っても写真が撮れない。せっかくだからカメラを持って次に来るときのために歩ききらないでおこうよ、と言うのを聞いていないのか彼女はどんどん地下通路に潜り、突き出した土管から顔を出すと、広大な更地をブルドーザーが這っている。
巨大な煙突は、地域の有機物を人間の死体も含めてすべて空中に返し、世界中の空気から有機物を回収するネットワークで、そのための工事をしているのだと言う。鉄パイプ製の車に乗ると、地域の王子らしき裸の子供が、煙突の熱は使い放題だけれど絞れない=制御できない、と言う。しかし余った熱は、車のフレームであるパイプにつなぐと車全体に行き渡るのだ、と言う。
星座作用マンション
星座作用の埋め込まれたマンションに、吉川ひなのと暮らしている。茫茫と草の生す湿った中庭が建物の二階の高さにあり、それをとりまく各部屋は、自分の部屋以外はすでに廃屋となって誰も住んでいない。一階エントランスの壁には、割れた土管や趣味の悪い額縁、錆びた機械など、意味のないものが埋め込まれている。吉川ひなのと、マンションに付属したレストランで飯を食いながら、星座を埋め込むために住みやすさをどこまで犠牲にしてもいいものか、議論している。
瓦礫の音楽
「音の風景を楽しむ旅」のパンフには、人の背丈ほどの低木に、ぎっしりとたかったヒグラシゼミの写真。低木の葉脈も、蝉の羽も、レースの下着のように黒く透けている。パンフを持ってきた泉は行きたい様子だが、僕は乗り気でない。こんなおしきせの観光地に行くより、壊滅した自分の家の周囲のほうがよほど珍しい音風景だから。
瓦礫の中からコイル状の円盤を見つける。青い鉄でできたコイルの一端を持ってヨーヨーのように上下運動すると、円盤はほどけたり絡まったりしながらシャーンと鳴る。崩れた建物の表面にぶつけると、コイルは彩度の高い虹色の音を放つ。このあたりの人々は夕刻になると、それぞれ見つけた楽器を手にして、錆びた瓦礫の町を鳴らしながら歩く。
とるとるとる
客である僕をまるで身内のように扱ってくれるその店で、乾杯のために出されたビールジョッキには粉状の青海苔が並々と注がれていた。粉体を飲み干すのがこんなにつらいことだとは思いもよらず、しかし特別な乾杯を飲み残すわけにはいかないので、店を出てからずいぶんたつのにまだ自分の内側に乾いた海苔の香りが貼りついている。
潮の香るこの町で、巻き針金を鉄道の操車場に届けるのが僕の仕事だ。作業服の男たちに、差し渡しが身長より大きい針金ロールを届けると、線路端の木の机になかば破棄された、あるいは不器用に展示された動物や人形などの工芸品群を見つける。青錆色に光を反射するこれらを、持って帰っていいものか、いやそれはことによると盗みになっていまうかもしれないから、やはりこれは写真で撮って帰るのが妥当だろうと、デジカメを向けてあれこれ構図を考えていると、背後に順番待ちのおばさんたちが撮影準備をはじめている。彼女らは写真を撮るにつけてもずうずうしく、さっきまで空に広がっていた綺麗な雲がほしいと一人が言うと、でもその雲はあなたがカメラで吸い取ってしまったんじゃないの、ともう一人。特売品を確保するごとく聞こえるこの人たちの言語には、撮る盗る取るの使い分けがない。
青錆色の書物
僕とその女は、それぞれ自転車に乗って長い坂道を降りている。僕たちは、ある使命を帯びているために、こうやって急な坂道を猛スピードで下っているのだ。
坂道の終わりに、土をうずたかく積み上げた本屋がある。ここで扱う本はすべて青錆色の砂鉄で、注意深く掌の中央に集めていかないと、吹き飛ばされてしまう。「知識とはほんの一握りの青い磁性を帯びた砂粒にすぎない」と砂鉄製の本に書いてある。
われわれは何冊かの本を汗ばんだ掌にくっつけたまま、さらに自転車に乗って、広大な公園に到着する。地面から半ばあらわになった半径数十メートルの赤い陶板をコースにして、彼女の自転車は巡回軌道に入った。それが、彼女のみつけた使命なのだ。僕もまた、そのような色つきのコースを発見すべく公園を走り回っているのだが、なかなか見つからない。公園を監視する正装の男が見かねて、僕を青い陶板の在り処に連れていこうと手招きしている。