ベートーヴェン交響曲7番ピアノ独奏版を弾く永井さんを指揮しようと棒を振り上げると天窓越しに高いクレーンの先端から人が落下するのが見え、遠くでどすんと音がする。ここのひとびとは一様に顔まで覆うスウェットスーツを着て、人間であることを隠しながら暮らしている。人間の子供たちは、点在する砂場ごとに裸で埋まって身を潜めている。しかし、スーツの中を満たしている人間でないひとびとのための音楽は、人間にはまったく音楽として聞こえない。
高層マンションは大規模修繕のため、四階から上の階が分解撤去されている。天井を這う四階のパイプ群が軍艦のように空に向かって露出していて、複雑な構造が白一色に塗られたところだ。ハッチを開けて部屋のひとつに下りていくと岩間さんがいる。普通に暮らしているんだね、というと、僕の言語が理解できないという顔をする。
rhizome: マンション
不動産見学バス
大スクリーンのあるレストランで中村さん郁恵さんと食事をしていると、不意にスクリーンが観音開きになり、吸いこまれようとする郁恵さんの両足首を手で握れば、郁恵さんは浮いたままタイムトンネルの中を泳ぐそぶりで、ほぼマンガの光景になる。突如、音をたてて建物全体が移動しはじめ、バスの車窓と化したスクリーンはトンネルを抜け、建設工事中のマンションの敷地内にたどり着く。レストラン自体が売り出しマンションの販促ステルス宣伝であったとは気づかなかった。他の客たちが扉をくぐってモデルルームに向かうなか、われわれ3人はむき出しのコンクリートや鉄筋や配管など、そこいら中に潜むカンブリアンゲームのネタを撮影しはじめる。
ジンジャーと樹の思い出
管理人のじいさんの名前が思い出せないので、とりあえずジンジャーと呼ぶと振り向いた。彼と話しながら、中庭にあった巨木のことを懐かしく思い出した。白いコンクリートの擁壁に登って巨木を見たことがある、と僕が言うと、切り倒してしまった巨木を中庭の見取り図に丁寧に書き加えれば、木が再生するかもしれない、と彼が言う。「樹皮も丁寧に描く必要があるだろう」そう言って、ジンジャーは鉛筆を丁寧に削ってくれた。
中庭のサスペンス
マンションの中庭はあまりに広いため、中庭の中に入れ子のようにマンションが建ち、鳥海さんがそこに引っ越してきた。四階建ての壁面全体がスライド式のドアで、ゆっくり音をたてて開くと、エントランスから彼女が出てきた。どんな様式も行き着くところまで行くのよ、と鳥海さんが言う。今夜はゆっくり積もる話をしようと約束したきり、彼女もマンションも見失ってしまう。谷のような中庭はその特性を生かして最新の放逐型刑務所になっている。ここで囚人は、閉鎖した谷の中にいる限り自由にふるまえる。看守と少女が雪かきをしている。その様子を仲間と見ていると、少女が看守に雪をかぶせ、密かに殺害してしまった。
掌の建築
建築プランが書かれた紙を、西田さんはマンションの屋上まで運び、堆積したさまざまなものの中に埋めてしまおうとしている。そのプランとは、まず両の掌を宙にかざし、しだいに顔に近づけるとそれは見えにくくなり、しまいにすっぽり頭部を包囲すると掌ごと完全に見えなくなる、という建築作品。
播種装置
いつもきみたちのところで飲んでいるのは申し訳ないからと、杉山先生が鶴川にある自分のマンションに招待してくれると言う。僕はそれを、相模なんとかという駅で聞き、さてどうしようか迷っていると、着替えなどは以前ロッカーに置いたままだから、とRがキオスクの従業員用の扉を開ける。そこには見覚えのある靴やシャツやバッグがかかっている。そういえばここ何年か見なかったのは、ここに置いてあったからか。
相模なんとかという駅は終着駅で、やけに巨大な先頭車両が、線路終端のコの字ホームに入り込んできたところだ。黒人の運転手が声をかけてきて、この機械のわかりやすさを実証するために、いくつかインタビューしたいと申し出る。僕は彼の説明を聞きながら実際に鉄の塊を操作してみるが、回転数の設定はレコードプレーヤーとほぼ同じ目盛に、特殊な速度を上書きしただけなのがバレバレだ。この鉄の塊は、実は種まき装置なのだ、と黒人がこっそり告白する。
星座作用マンション
星座作用の埋め込まれたマンションに、吉川ひなのと暮らしている。茫茫と草の生す湿った中庭が建物の二階の高さにあり、それをとりまく各部屋は、自分の部屋以外はすでに廃屋となって誰も住んでいない。一階エントランスの壁には、割れた土管や趣味の悪い額縁、錆びた機械など、意味のないものが埋め込まれている。吉川ひなのと、マンションに付属したレストランで飯を食いながら、星座を埋め込むために住みやすさをどこまで犠牲にしてもいいものか、議論している。
乳首の転移
イスラム様式の長い回廊をもつマンションから、発泡スチロール製の生首がいくつも飛び出し、道に転がってはトラックにはねられ、生々しい血液の代わりに白いスチロールの泡が無残に飛び散る。
マンションの二階から引っ越してしまった佐々木の空室には、運び残した荷物がまだいくつか残っている。幼い女の子を迎えに来た若くてけばけばしい母親が、いきなり両方の巨大な胸を剥き出すと、女の子はそれにしゃぶりつき、あまりに激しく乳を吸うので顔が乳房にめりこんで頬と乳房の境界がわからなくなる。女の子が顔を離すと、女の子の顔に乳房が転移し、顔の真中にひとつ大きな乳首がついている。
偶然の小冊子
とっておきのプレゼントを勿体ぶって手渡すにはあまりにも騒々しい集会場で、僕はなんとかこの本との偶然の出会いを感動的に伝えるべく演出するのだが、なかなかうまくいかない。近くの古本屋で偶然手にとった小冊子はあきらかに学生グループの手作りによる小品集で、葉書ほどのさまざまな紙にさまざまなスタイルの絵が描かれている。危うくばらけそうな本の造りに惹かれ、たまたまひらいたページに懐かしいスタイルを発見し、作者の名前を見ると中村理恵子と書かれている。二束三文の値段がつけられたこの本を買い、一刻も早く報告したい気持をおさえてここまできた。しかしこの喧噪のなかで、当の作者の反応はいまひとつで感動がない。自作品への嫌悪なのかたんなる照れなのか読み取れないまま、ともかくその古本屋へいっしょに行き、まだいくつか潜んでいるかもしれない同類の本を探すことになる。
マンション脇の坂を登っていくと、外壁に組まれた丸太の足場から黄色いロープがいくつも垂れていて、たくさんの子供たちがその危険な遊具に張り付いて遊んでいる。
海を臨むマンション
まさか住み慣れたマンションに地下があり、しかもそこにRが住んでいるとは思いもよらなかった。プールの底がガラス張りで、そこを天窓とする地下にもうひとつプールのある部屋がある。光がこぼれ落ちる二重底プールが隠されていたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど」と、彼女が開けた窓から海が垣間見える。ああ、海沿いの崖を登ったときに見えた窓はここだったのか、と納得する。
厨房の勝手口で、コックが「魚お造りしましょうか?」とRに声をかける。長年住んでいるが、このマンションに食堂があり、こんなサービスがあることを知らなかった。食堂で中庭のおしゃべり女たちに混じって食事をとる。ここで食事をとるのも、もちろん始めてだ。常連たちの視線がRと僕に注がれる。オマール海老を剥いていると「そろそろ出発の準備しないと」とRに促される。
着替えるために二階の自分の部屋に戻ると、新聞勧誘員の清水と名乗る男が待っている。清水は、これから階下で始まる出発の儀式のために正装を用意したと言う。これを着て「海ゆかば」を歌いながら出発してくださいと言う。僕は年齢的にも思想的にもそういうことはしないのだと言いながら海軍将校の軍服らしきものを手にとると、それはジャージで、背中にジャイアンツのマークが入っている。
一階の入り口にはたくさんの人が集まっていて、この事態に困惑するRの顔も見える。小学生たちが駆け寄ってきて、あんざいさんの生まれた家を知っている、と言って指さした指の先からジグザグの光線が描かれ、光線の先をたどると確かに中台の実家の勝手口に届いている。現在そこには、見知らぬアル中の主婦が住んでいる。アル中女は、おぼつかない手で握ったコップの酒をぶちまけてしまい、酒は窓に張り付いた野生の海老にかかる。遠赤外線ストーブの熱がガラス越しに海老に当たり、酒蒸しになった海老がしだいに良い匂いを放ちはじめた。
異空間マンション
まさか友人の友人が同じマンションの住人であるとは、思ってもみなかった。自宅からほんの数十m先に見知らぬ小道があり、外からでもマンションの廊下伝いでも、彼女の部屋にたどりつくことができる。
高い天井に古い日本家屋から取り出した梁が嵌め込まれている。部屋の中に土間があり、ボランティアの人たちが好き勝手なことをしている。同じマンションとは思えない広さだ、という感想を彼女に告げると、彼女は「思ったほどは広くはないよ」と謙遜するのだが、どうもその受け答えが不自然なのは、彼女はこの部屋のオーナーではなく、僕が人違いをしている恥を際立たせないように気遣っているオーナーの友人であることを理解する。しまった、この部屋の主の顔が思い出せない。
すると、ボランティアの白人男性が近づいてきて、「それはまさにあなたの著書の通り」と演説をはじめた。そんな本は書いたことがない。この男も人違いをしている。この部屋は、どこもかしこも人違いで満ちている。
自分の部屋に戻ると、玄関に青いマットがしいてある。こんなマットをしいた覚えはない。勇樹が、ジュースを買うので千円ほしいと言うので、もう千円足してやろうかと言うと、嬉しいくせに嬉しそうでない顔をする。二人でマンションの外に出ると、僕は青いマットのことが気になってしかたない。あれは自分の部屋のようで、自分の部屋ではない。気がかりのあまり、マンションの中庭に戻ってみると、そこは人気のない廃屋で、そこここの部屋の窓は壊れ、蔦が這っている。
白熊に錠剤
巨大な白熊に追われている。マンションの中庭を徘徊する様子を、最上階から見ている。僕は、食パンのような、練りゴムのようなものの中に、白い錠剤をたくさん詰め込む。これで安心だ。襲ってきたら、これを投げつければいい。