rhizome: トイレ

知識の個室

トイレの壁に平凡社世界大百科事典を敷き詰めている。壁面に固定された各巻は、それぞれ任意のページが開いたままになっている。遊びにきた内田洋平がしばらくこもっていたせいで、四方の壁のどのページにもめくった痕跡がある。スグキで作った和菓子や、ケインズの項目が開いている。

(2015年4月27日)

半透明ホテル

ホテルの高層フロアは、回の字に一周する廊下から外が一望できる。廊下の内側に面した各部屋は、壁が半透明のガラスで、内部がぼんやり透けていることを承知している客たちが、裸を巧みに隠しながら交尾をしている。ときおり、平板な女の胸が見える。
僕は、谷を挟んで向こうにある高層ビルの一室に、書類を納品しなくてはならない。おそらくトイレにいる連れを探して、水族館の魚のように廊下を何度も周回している。そろそろここを出なくてはならない。重要なのは書類そのものではなく、時間までに机の上に書類を乗せることである。

(2008年4月11日)

砂のなかの糞

砂の入った紙袋をさげ、僕は西に行こうか東に行こうか迷っている。砂は、乾いた犬の糞を包んでいる。間違って排泄してしまった瞬間の気まずさや、誰かに見られていないかしきりに振り返ったこと、すとんと紙袋に入ってしまった偶然に驚いたことなどが生生しい記憶にあるのは、これは犬のものではなく自分のものだったからかもしれないし、自分が犬だったのかもしれない。
忽然と思い出したのは、昔がっちゃんという中学の同級生と住んでいた部屋がそのまま残っていることで、西に歩いていくとそこにたどりつけるはずだ。しかし、それが自分のことだという確信がもてないのは、がっちゃんと過ごした記憶がまったくないからだ。すでに廃屋になってしまっているかもしれない怖さもあって、西に西に歩いてもなかなかたどり着こうとしない。
この際、紙袋はトイレに廃棄したほうがよいと思い直して、駅ビルの電気店に入るが、階段の上から俯瞰する迷路のようなトイレの区画には、それぞれ人の頭が見えて空きがない。
しかたなく東に歩く。海岸に出ると、砂に埋まった男の腿の付け根を踏みつけてしまい、平謝りして事なきを得る。塩分濃度の高さのあまり、ほとんど樹脂のようになっている海の中に歩いて入っていく人に連なり、目の高さが海面になったときに、口の中のあまりの塩気に驚きながら、手に提げていた紙袋がいつのまにかなくなっていることに気づいた。これでよかったのだと、心の底から安堵する。

(2004年3月9日)

白いタイルの口

久しぶりに訪れた実家の外壁が、白い総タイル張りになっている。強いスポット照明のあたる一枚だけ、人間の口と鼻のレリーフになっている。ぽっかり開いた口の中から外に向かって、強い筆勢で黄色い釉薬が塗ってあり、なかなかすばらしいタイルを見つけたものだと感心していると、コートを着た背の高い女が玄関の前に立っていて、いきなり接吻してくるその女の口も同じ黄色に染まっている。
実家に入ると、襖の向こうの明るい部屋で、従姉の婚約者が大仰に話をしているのが垣間見える。小便をしたくなって便所の戸を開けると、そこに便器はなく、母親が溜め込んだ紙の手提げ袋がぎっちり詰めこまれている。トイレはこっちに移ったのよ、と開けられた襖の小部屋は、四方の襖がどれも完全に重なりきらないので、相変わらず大仰な男の背中やテレビの画面が見える。落ち着かないまま部屋の真中の便器に小便を始めようとするのだが、半分勃起したペニスはなかなか小便を開始できない。

(2003年2月18日)

イクラのありか

コンクリートの地下にある埃っぽい部室で、秘密結社めいたサークルの連中がそれぞれの行為に没頭している。天井から吊った針金でスルスルと自在に上がり下がりを繰り返す男が、そろそろ健康診断が始まると言っている。半田ごてを握った男は、どんな大出力でも壊れないスピーカーに、百ボルトの電灯線を直につないで「なかなか頑丈だね」と感心する。僕は男子生徒女子生徒が混じるトイレで、検査の尿を採取するように言われる。こんな健康診断は、どうせ予算消化のためにやっているに違いない、役人の考えることといったら、と憤りながら、ふと自分がイクラを孕んでいることを思い出した。毛細管に危うくつなぎとめられたひと房のイクラを、ペニスの先の包皮で包んで、壊れないように注意深く抱え込んでいるのだった。こんなところにイクラを隠しているのがばれたら弁解が面倒だし、第一恥ずかしい。誰にも知られないことを願いながら、拭い取ったティッシュごと赤橙色の塊をごみ箱に投げ入れた。

(2002年4月4日)

ピンクの小猿

修学旅行のバスは、休憩所に着くたびにみな揃って降りるのが面倒だ。このバスはしかも飛行機なのだから、トイレだってちゃんと機内にある。着陸時に目に入った色とりどりの小箱のような町並に心を引かれながら、しかし小箱に分け入って写真に収めてくる時間のゆとりもこの休憩にはないことだから、僕は降りずに機内から窓の外をぼんやり眺めていた。
窓のほぼ真下にある水溜りのような淀んだ小川に、ピンク色の猿の死体がいくつか、うつ伏せで浮いている。大きさは、おそらく掌に乗るほどだろう。ふと元気のよい生きた猿が、ファインダーの外から飛び込んできて、瞬く間にフレームの外へ過ぎ去った。

(1999年2月22日)

近森式便所

体育館のような展覧会場に、近森さんの作ったトイレがあるという。そういえば、ちょうど用を足したかったところだし、ちょうどいい。何人かの小学生が、話しながらトイレから出てきた。彼らは、これが作品だということを理解しただろうか。
男子用の便器が並び、その間仕切りにスピーカーが埋め込まれている。便器の中のアクリルの小箱をめがけておしっこをかけると、左右から痛快な低音に挟まれる。なるほどそういう作品ね、と、アクリルをめがけたおしっこの勢いが落ちて放物線がはずれた瞬間、目の前の壁がぐらぐらとゆらぎはじめ、驚きのあまりおしっこが止んでしまった。その壁が液晶ディスプレイで出来ていることにようやく気づくと、まんまと仮想風景にだまされて生理現象までコントロールされてしまったことが、悔しくてならない。

(1997年11月3日)

止まらない小便

中央線沿線のどこかの駅から、僕ら数名の仲間は、見知らぬ女のワゴンに乗って都心に戻ろうとしている。出発する前におしっこをしてくる、とナオコが席をたつ。まったくこんな時に、と、僕はいわれもなく腹を立てている。
戻ってきたナオコが、あなたも行っておいたほうがいい、絶対にそのほうがいい、としつこく言うので、僕はしぶしぶトイレに向かう。そこは、かつて病院か学校であったであろう廃屋で、不気味ながらなつかしい光線が差し込んでいる。奇妙な形の便器に向かって小便をはじめると、なかなか終わらない。遠くから「ほうら、あんなに溜まっていたのに」と、ナオコの非難がましい声がする。しかし、小便はなかなか止まらない。
いつのまにか背後に、車の女がぴったりと寄り添っていて「変なことをしたいわけじゃない」と言い訳しながら、僕の下腹を押しはじめる。「こうすると、おしっこが早く終わるから」
しかし、いっこうに小便は終わらない。女が「これは夢だから、本当はおしっこがしたいだけで、まだ本当には出ていないのよ。だからなかなか終わらないの」と説明してくれる。なるほどそういうことなら、早く目覚めてトイレに行かなくては、と思う。

(1997年1月6日)

異文化トイレ

異国の片田舎。道に迷って、とある集落にたどりつく。
小便をしたいのだが、トイレには壁とか穴とか、そういう対象物がない。しかもついたてのない共同便所で、目の前で女の子がお尻をめくりあげ、いきなり立ち小便をしはじめる。そのお尻をめがけておしっこをすればいい、と誰かが言う。「しかし文化が違うと、抵抗もあるだろう」とも言っている。狼狽しながら、僕はそのお尻をめがけて小便をしようとするが、なかなか尿路が開かない。

(1996年11月8日)

代筆女

いよいよ更衣室に入ると、風呂場のように「男」「女」と書いてある。木の床が黒光りしている。誰もいない。
着替えたあとで、小便をしようと立ち寄ったトイレの傍で、真面目そうな女が宛て名書きの代筆をやっている。文字に曲線がない。機械のように直線を組み合わせて文字を書いている。
「いつかお願いするかもしれない」と言うと彼女は、
「文字の中心がずれないように薄く鉛筆で線を書いてしまいますけど、いいですか?」
僕は一瞬迷いながら、
「今度是非お願いする」と言う。

(1996年1月8日その2)