rhizome: 火事

未来火災予知

自分の家が火事になる未来が予知できたので、荷物をあらかじめまとめて外に出し終わったところだ。隣の駄菓子屋はヒノキの匂いのする木造で、かすがいのない構造のため、軽く押しただけで平行四辺形にひしゃげてしまう。これはあらかじめ畳んでしまったほうがいいかもしれない。119番に通報するが、未来の火事については受け付けないと言われ、憤慨するうちに遠方の自宅から火の手があがり、それみたことかと電話を切る。

(2018年5月12日)

マゼラン雲銀座

上板橋の南口銀座からは、南半球でしか見えないマゼラン雲が見える。南口銀座の中ほど、おでん種の店で売られているゆで卵は、見た目よりやや青白くデジカメに写る。スペクトルの青方偏移を見るためにフィルムを装填したいのだが、デジタルカメラの裏蓋を開ける機構がどこに隠れているのかわからない。古書店の廉価本コーナーに座っている釣り堀のおやじは夕焼けを眺めながら、いつものおかしな息継ぎもなしに「マーラーはこの曲がり角でときどき火事に出会う」とつぶやく。

(2012年10月18日)

仁王炎上

文京区の神社仏閣を巡るバスツアーから、一人だけはぐれてしまった。文京区は山麓のゆるい斜面にあり、立体イラストマップにはたくさんの寺や神社が重なり合うように描かれている。いちばん手前に描かれた麓の大きな寺で待っていれば、必ずまたツアーに合流できるはずだ。
境内の参拝者に混じって、洋服を着た猿が潜んでいる。布で顔を覆っても、異様に鮮やかな顔色から猿だということはすぐにわかる。狡猾な猿は人の命を狙っているので、僕は猿を静かに威嚇しながら本堂にたどり着く。説明書通りの回数だけ拍手を打ち、干し草で作られた線香に火を点ける。
山門の柱の中に、草で作られた仁王が立っている。僧が供養の念仏を唱えはじめると、仁王の草は煙を上げて燃え始めた。乾いた草は瞬く間に閃光電球のようなまばゆい光球となって燃え尽き、仁王の頭部は草の支えを失い、鉄の骨格と化してごろんと地面に転がり落ちた。
忌まわしいことだ、お祓いをせねば、と、合流したツアーの友人たちと相談するが、僧は携帯電話を肩にはさんで宮司と話している最中で、それどころではない。
参道の階段を下りながら、寺門孝之、うるま、中村理恵子と僕の四人で、リアルとはなんだろうという話になる。寺門さんは、自分にとってリアリティとは、毎年2月11日にニューヨークに行き愛を確かめることだと言う。3.11でも9.11でもなく2.11だからリアルなのだ、とうるまが言う。

(2012年9月12日)

火山岩に埋もれた古本屋

坂道のたもとで、美大生がガラス板に山火事の絵を写生している。しかし山火事はどこにも見当たらない。見渡す限り青いガラス質の火山岩が、ただごろごろところがっているだけだ。
坂道を登りつめたところに、古本屋がある。人がやっとくぐり抜けるほどの木枠の出入り口が五つあり、そのうちのひとつに靴を脱ぎ、中に入った。黒く燻された古民家の本棚を一通り漁り、そろそろ出ようとするが靴がない。ここは入った口とは違う敷居だ。靴を脱いだ出入口がどこにあるのか、迷路のような内側からは見当もつかない。ガラス窓の外を見ると、美大生の描いた山火事がどんどん迫っている。

(2008年11月27日)

廃屋火事

地面を這うように自生した金木犀の草には、橙色をした拳大の巨大な花がびっちりついている。薔薇の花を育てている小学生たちや、金木犀の写真を撮っている青年など、路地裏の人々がゆっくり時間を過ごすなか、観光客のように歩いている僕とRは異質なよそ者だ。しかもRが薔薇の花を一輪手折ってしまうので、僕は小学生たちの視線が気が気でない。
広場の縁にある二階建ての廃屋から火が出ている。上手に焼けてしまえば解体する費用が浮くので、持ち主にとっては好都合なのだろうと思いながら眺めていると、二階部分に溜まった大量の水がいっきに溢れ出して火を消してしまう。二階の窓から覗いている人形のなまめかしい首を撮りに行こうとRが言う。火事があった部屋とは思えないまっさらな畳の部屋に寝転びながら写真を撮っていると、僕のカメラはメカ部分が壊れてしまう。Rが自分のデジタルカメラから不要のカットを一枚取り出して捨てると、ポジフィルムには人形の全身が写っている。

(2006年10月6日)

不意の舞台

公園の傍らの小高い丘の上で、われわれは待ち合わせている。しかし、隠れなければならない。丘の上に洞穴があり、そこに寝そべっている。穴のなかから見ると、出口はほんの数十センチメートルの横に伸びたスリットで、そこから出られるのか、そこから発見してもらえるのか、不安になっている。
棟をならべた向かいの校舎に、火が見える。火事だと思ってみんな騒ぎはじめるが、それは巧妙に作られた舞台の大道具で、風を含んで波打っている巨大な布と、投影機のようなもので作られていることが判明する。これはすばらしい、と言って拍手を送る。
舞台稽古が始まる。僕は主役の王様であるのに、まったく練習をしていない。そんなに台詞は多くないから大丈夫だろう。
舞台に立っている。咳払いをして、狂言風に「誰かある」「侍従はおらぬか。台本をもて」「タコクジラ、ブタゴリラはおらぬか」
うまくいったようだ。これで台本を持つ口実ができた。召し使いが台本をもってくる。あとはこれを読めばいい。
しかし、台本には細かい字で、ぎっちり台詞が書いてある。意味がわからない。つっかかって読めない。マイクロソフトなんていう単語も入っている。ここ、もう一回やらせてください。焦る。稽古を見ている観客のどよめきが聞こえる。

(1996年6月21日)