rhizome: 中村理恵子

ケータイ旅行

FOMAのテレビ電話でパリの徳井naoさんと話していたら、ボタン操作を間違えて、パリへ自分を転送してしまった。突然入り込んでしまったアパートの部屋で、彼は女性と別れ話の最中で、こういうプライベートな空気にずかずか割り込んでしまうのはケータイの悪いところだなどと間抜けな弁解をしているのが情けない。途方に暮れて歩くパリの町並みは、ところどころ「常盤台行」などといった漢字もあり、なにしろケータイで来たために完全に来きっていないのだなと思う。しかし、パスポートなしでどうやって飛行機に乗って日本に帰ればいいのやら、暗澹たる気分のなか、ひらめくように、そうだFOMAで帰ればよいのだと気づく。電話帳の「中村理恵子」に電話すると、画面がカラーになったり白黒になったりしながらなんとかつながり、こんな状態で転送すると死んでしまうのではないかという不安をいだきつつボタンを押すと、中村理恵子と梅村高志さんが無数に穴のあいた植木鉢を逆さまにして香炉を作る相談をしている庭にたどりついた。

(2004年12月2日)

偶然の小冊子

とっておきのプレゼントを勿体ぶって手渡すにはあまりにも騒々しい集会場で、僕はなんとかこの本との偶然の出会いを感動的に伝えるべく演出するのだが、なかなかうまくいかない。近くの古本屋で偶然手にとった小冊子はあきらかに学生グループの手作りによる小品集で、葉書ほどのさまざまな紙にさまざまなスタイルの絵が描かれている。危うくばらけそうな本の造りに惹かれ、たまたまひらいたページに懐かしいスタイルを発見し、作者の名前を見ると中村理恵子と書かれている。二束三文の値段がつけられたこの本を買い、一刻も早く報告したい気持をおさえてここまできた。しかしこの喧噪のなかで、当の作者の反応はいまひとつで感動がない。自作品への嫌悪なのかたんなる照れなのか読み取れないまま、ともかくその古本屋へいっしょに行き、まだいくつか潜んでいるかもしれない同類の本を探すことになる。
マンション脇の坂を登っていくと、外壁に組まれた丸太の足場から黄色いロープがいくつも垂れていて、たくさんの子供たちがその危険な遊具に張り付いて遊んでいる。

(2001年7月15日)

液体駐輪場

自転車を走らせて高木の家に到着すると、自転車置き場に自転車を収納するように勧められる。マンホールのふたのようなものをあけると、乳白の液体が蓄えられていて、その中に自転車を浸しておくのだと言う。高木の娘が収納の仕方を説明してくれる。
しかし、自転車を完全に収める間もなく、再び自転車で家に戻らなければならなくなる。せっかくのパーティーに必須のなにかを、家に忘れてきてしまったからだ。謝って済まそうとすると、Rが執拗に「自転車で取ってきて欲しい」と言うので、彼女にとってそれが今日もっとも大事なこだわりだったのだと気付く。

遠方の自宅までどうやって帰れるのか、頭に地図が浮かばない。どこかわからないのに、坂をどんどん下りきってしまう。ここはどの駅の近くですか、とおばさんに尋ねると、中野、と言って遠方を指差す先に見えるのはまたもや坂で、ふたたび僕は坂を上り始める。
黒衣の黒人が、葬式の提灯の前に立っている。しかたなく店の裏口から入り、表から出ると、ふと自分がパンツをはいていないことに気づく。黒人があからさまにじろじろと股間を見ている。失礼な男だ。

(2000年9月25日その3)

うねり坂

激しい急勾配を含んだ波型の坂道が遠方に見える。造山運動の名残なのか、地面が小腸の断面図になっていて、部分的に上下が逆転している。このあたりに詳しくない僕は、目前に現れるランドマークをPHSのテレビ電話ごしのRに問い合わせ、それぞれの名称を答えてもらいながら自転車を走らせているのだが、しかしRは「そんな変な坂、知らない」と言う。

(2000年9月25日その1)

海を臨むマンション

まさか住み慣れたマンションに地下があり、しかもそこにRが住んでいるとは思いもよらなかった。プールの底がガラス張りで、そこを天窓とする地下にもうひとつプールのある部屋がある。光がこぼれ落ちる二重底プールが隠されていたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど」と、彼女が開けた窓から海が垣間見える。ああ、海沿いの崖を登ったときに見えた窓はここだったのか、と納得する。

厨房の勝手口で、コックが「魚お造りしましょうか?」とRに声をかける。長年住んでいるが、このマンションに食堂があり、こんなサービスがあることを知らなかった。食堂で中庭のおしゃべり女たちに混じって食事をとる。ここで食事をとるのも、もちろん始めてだ。常連たちの視線がRと僕に注がれる。オマール海老を剥いていると「そろそろ出発の準備しないと」とRに促される。

着替えるために二階の自分の部屋に戻ると、新聞勧誘員の清水と名乗る男が待っている。清水は、これから階下で始まる出発の儀式のために正装を用意したと言う。これを着て「海ゆかば」を歌いながら出発してくださいと言う。僕は年齢的にも思想的にもそういうことはしないのだと言いながら海軍将校の軍服らしきものを手にとると、それはジャージで、背中にジャイアンツのマークが入っている。

一階の入り口にはたくさんの人が集まっていて、この事態に困惑するRの顔も見える。小学生たちが駆け寄ってきて、あんざいさんの生まれた家を知っている、と言って指さした指の先からジグザグの光線が描かれ、光線の先をたどると確かに中台の実家の勝手口に届いている。現在そこには、見知らぬアル中の主婦が住んでいる。アル中女は、おぼつかない手で握ったコップの酒をぶちまけてしまい、酒は窓に張り付いた野生の海老にかかる。遠赤外線ストーブの熱がガラス越しに海老に当たり、酒蒸しになった海老がしだいに良い匂いを放ちはじめた。

(2000年6月19日)

見ながら出る映画

鎌田恭彦監督による作品の撮影が進行している。舞台上で、名前の思い出せない男優と女優がセックスしているのを、われわれは高い客席から眺めているのだが、どうも男と女の性器が入れ替わっているように僕には見える。誰もそのことに気づかない。
ドキュメントとフィクションの新しい融合を目指しているのだ、と鎌田監督が意気込みを語りはじめた。しかも編集とライブが交錯していて、撮影しながら編集し、それを観客に見せながら観客自身を登場させるのだと言う。

すると、なるほど僕がスクリーンに出てきた。石原裕次郎の歌を歌いながら、パステルで絵を描いているシーン。絵はまるで早回しのビデオのように、高速に仕上がっていく。この歌を歌った覚えがないし、この絵を描いた覚えもない。が、それはあきらかに僕の声と絵なので、とても恥ずかしい。隣でスクリーンを見ているRが「ああいう色の入れ方はタブーだ」と言う。自分の絵ではないが、余計なお世話だと思う。

次はRがビルの谷間の池で泳いでいるシーン。全裸なのにCGなので乳首や陰毛がない。鎌田さんが、もう1テイクこのシーンを撮りたいと言う。寒いからいやだとRが拒む。

次のシーンで僕は、宇宙連合軍に囲まれた敵役の総統になり、しゃべりながら顔の部分部分が自分になったりほかのものになったりする巧みなモーフィングに組み込まれる。雪の降りしきる現代の桜田門駅のあたりで、僕は殺られてしまい、よろめきながらさまよい、ついに力尽きて倒れると、半ば融けかかった雪の中で大根おろしに漬かった餅のように自分が見える。

確かに撮影済みの過去と撮影中の現在に切れ目がなく、これはすごい作品だ、と思いはじめたところで、先月若くして亡くなった日本画家某の葬儀会場にここを使いたいという人たちが雪崩れ込んできて、やむなくわれわれは撤収にとりかかった。

(1997年3月16日)

故宮ゲーム

小高い丘の上に、北京の故宮を思わせる広大な建造物がある。なだらかなスロープを登る動く歩道の両サイドは、凸凸凸凸形の石ブロックでできている。凸凸の間の窪みにすっぽりとかがみ込むと、まるで昔乗ったお猿の電車のように、ゆっくりと宮殿に向かって進んでいくのが楽しい。
と、突然「そこに座ることが何を意味するのか、おまえはわかっているのか?」と言う声。「そこに座って編隊を組むことは、対岸の編隊に対する戦線布告を意味する。おまえがそこに座ったおかげで、仲間を集めなくてはならないじゃないか」
いかにも迷惑げな口調で非難されるが、彼の顔は嬉々として昂揚している。編隊は芋虫の形をしており、僕は最後尾、芋虫の鍬型の尻に移動するように指示される。そうしている間にも、対岸の凸凸凸には関西勢が刻々と集まってきて気勢を上げる。
窓から垣間見る宮殿の内部には、緑色のサターンや魑魅魍魎、さまざまなクリーチャーが蠢いている。これからわれわれは内部に入り、戦いが始まるのだ。しかし、僕はこのゲームのルールすら知らない。
暗い宮殿に入ったとたん、僕は芋虫本体から離脱してしまう。ジャンヌダルクとして胸も露に登場したRに「ったくよぉ、何も知らないでここまで来るか?」と非難される。「私に任せておけ」と言う言葉に安堵するもつかの間、邪悪なオレンジ色の蝶に後ろから抱きかかえられ、捕獲されてしまう。これで、僕はゲームオーバー。
宮殿の外には、故宮の荘厳さとは似つかわしくない寒々とした空地があり、一台のブルドーザーが放置されている。そこに<安斎>と自分の姓が書かれている。従兄の安斎某が、中国にまで事業を展開しているのだ。彼は気さくだがけっこうずる賢いから、気をつけなくてはならない。

(1996年12月15日)