rhizome: 言葉が通じない

人間でないもののための音楽

ベートーヴェン交響曲7番ピアノ独奏版を弾く永井さんを指揮しようと棒を振り上げると天窓越しに高いクレーンの先端から人が落下するのが見え、遠くでどすんと音がする。ここのひとびとは一様に顔まで覆うスウェットスーツを着て、人間であることを隠しながら暮らしている。人間の子供たちは、点在する砂場ごとに裸で埋まって身を潜めている。しかし、スーツの中を満たしている人間でないひとびとのための音楽は、人間にはまったく音楽として聞こえない。
高層マンションは大規模修繕のため、四階から上の階が分解撤去されている。天井を這う四階のパイプ群が軍艦のように空に向かって露出していて、複雑な構造が白一色に塗られたところだ。ハッチを開けて部屋のひとつに下りていくと岩間さんがいる。普通に暮らしているんだね、というと、僕の言語が理解できないという顔をする。

(2017年7月20日)

ポーンたちの現場

新井田さんが外国人に何かを訊ねられ、わからないので僕に「Where is pawn?」と訊く。いや、そこは日本語でいいんじゃないか。するとpawnと呼ばれている制服の男たちがやってくる。彼らはフジテレビの人だとばかり思っていた。名刺入れを覗くと、中には草の葉の屑など名刺の試作ばかりで、ともかく何かを手渡すとpawnは嬉しそうにしている。
体育館にPCやらディスプレイを並べ、イベントのさなかにコーディングしなくてはならない。PCと自分が離れているので長いマウスケーブルを使う。CRTディスプレイは舞台の近くにある。それぞれがあまりにばらばらで心もとないというと「サーバー上で開発する時代ですから」とpawnが生意気な口をきく。
体育館のバックヤードは、グニャグニャ波打つ木の床に青い仕切り壁でできている。倉庫やトイレの入り口に、大きな番号が振ってある。撮影隊が女子レポーターを撮っている。使いづらいがときどきこのグニャグニャは利用できるとカメラマンがいう。

(2016年9月29日)

水因説

実家の二階が光学迷彩の部屋になっているので、部屋の中から四方がすべて見渡せる。たかだか二階なのに地面との間に雲海が棚引いている。部屋の中から、言葉が通じない背の高い黒い人と、ジャンベルを使って意思疎通できるようになる。
地震が起きると水そのものが吸引する性質をもつようになり、地面から湧きだしている水が手に吸いついてくる。水が吸いつくので地震が起きる、という逆の因果関係かもしれない。この仮説はきっと新しい。

(2015年9月12日)

ムラヴィンスキー全集

体のある部分に力を入れると浮遊が始まる。空中に留まりながら力の入れ方を工夫すると少しづつ高度を上げ、天井に触れるとそのまま張り付いていることができるようになった。(体育館の登り縄を最後まで登ったときの眺めも、こんなふうだった)
シャンデリアのあるホールの天井から見下ろすと、石造りの階段に木箱が置いてあり、人が群がっている。木箱には、対位法について書かれた冊子が何冊も無造作に詰まっている。本を手にとるとムラヴィンスキー全集の一部で、箱の底には和声法、指揮法などの巻もある。欲しい本を積み上げて階段に座って読み始めると、哲学と題された巻だけはただの箱で、小石や大きな黒い蟻や布切れなどがガラガラと入っている。ほかの巻をふたたび開くと、同じようながらくた箱に変わっている。箱を覗いている女に「これが本に見えますか」と尋ねるが、日本語も英語も通じない。

(2015年7月21日)

北朝鮮の列車

列車に乗って北朝鮮を旅しているのだが、中国語で話しかけてくる男や、日本語は通じないと油断して会話している日本人などばかりで、ようやく見つけた地元の女の子にカメラを向けると、アナログのダイアルのついたカメラを、彼女もまた僕のペンタックスに向け、写真機で写真機を撮り合うことになる。北朝鮮の列車は、末端まで歩くと列車の床とホームがシームレスにつながっていて、しかもホームと駅の外も継ぎ目がない。意識せずに歩いていると危うく列車から離れ、道に出てしまう。再入場を咎める駅員に切符を見せて説明するが、言葉が通じない。

(2012年7月4日)

海外に通じる階段

草原真知子さんが「いい道をみつけた」と言うので、彼女に案内されるまま地下へ続く階段までやって来た。地下へ降りる階段にしては、底の方が妙に明るい。

階段は表面の木がほとんど見えないくらい一面に本が積み上げられていて、それが草原さんの収集した本であることはすぐにわかる。
「これじゃ通れないわね」と、彼女が積まれた本を押し倒すと、本の山は別の山を崩しながらどどっと地下のほうに崩れ落ちていく。

ほとんど本でできたその階段を這いつくばって降りていくと、北欧のとある集会所にたどり着く。こんな方法で簡単に来られでもしないと、しょっちゅう海外に出るお金もないわよ、と草原さんが言う。

北欧の集会所で、僕らは何人かの知り合いと話している。まったく言葉の通じない初老の男(彼はエルキ・フータモのように睫毛が白く瞳の色が薄い)が、まったくこちらの目を見ないで話しかけてくる。彼は、僕のことをよく知っているらしい。

わかりやすい英語をしゃべる若い男が差し出す本を開くと、中に日本語がまじっている。しかし、その日本語らしきものが解読できない。「チンプンカンプン」と僕はおどけて叫ぶと、その若い男はさも意味が通じたかのように高らかに笑う。チンプンカンプンの意味もチンプンカンプンであるはずなのに。

同じ階段を昇って、帰ろうとする。しかし本はますます雑然と増殖していて、ほとんど頭が通るか通らないかほどに狭まっている。無理矢理通ろうとすると、体のあちこちを擦りむいてひりひりする。

やむなく僕は、ドイツをめざして階段を降りはじめる。それは果てしない螺旋階段。僕は急がねばならないので、もう足をつかって駆け下りる時間はない。階段の手摺を滑り降り、ついにはお尻も離し、両方の掌だけで滑り落ちていく。途中、何人かの男を蹴落としてしまったかもしれない。

階段の果てには、座敷に膳が用意された薄暗い店がある。そこはまだドイツではない。しかしそこで食事をしないと、先に進むことができない。急ぎながら喉に流し込んだ液体が、信じられないくらい旨い。

(1995年1月16日)