旅の帰路、集団からはぐれてしまい、幾本も放射する道の中心に立っている。ひとつの道には緑生す谷がある。ひとつの道は深い堀に沿って階段で降り階段で上がるが、どちらの階段も踏み込んだとたん段が動き始める。ひとつの道は白い綿のクッションを積み上げた山で、頂上を踏むと山が崩れ、バザーに出す女ものの下着が山裾に散乱する。ひとつの道にはNHKの7時のラジオニューススタジオがあり、アナウンサーのまわりを怒号が飛び交っているが、怒号だけマイクが拾わない回路が働いている。
rhizome: 下着
無言タイプの妹
検査のため病院のベッドに横たわっていると、下半身の衣服をまとめて引きずり下ろされる。先端に太いネジのついたゴムサックを性器に被せ「このまま少しつけていると、沁みだした液体を解読して全部の検査が終わるから」と看護婦さんが言う。
しばらく病院のあちこちを歩きながら、ゴムの先端ネジをカメラの底にねじ込むとぴったり嵌る。思った通り、雲台と同じネジ規格だ。看護婦さんがサックを外しに来る。もったりと他人のような性器が現われ、濡れた薬の匂いを放っている。
一人乗りの小さい車で水路沿いのバラック小屋に帰ると、玄関の前で声をあげて争うふたりの子供がいる。仲裁のために近づくと、子供の姿はなく、水の入った二つのペットボトルの間に赤い蟻が行列を作っている。玄関から覗くと、妹が帰ってきている。お医者さんから検査結果を聞くのを忘れてうっかり帰ってきちゃったよ、とおどけてみせるが、妹は終始無言だ。何か怒っているわけではない。これは声が欠落した種類の妹なのだ。
演じられた母親
猥雑な古本屋に布団を敷いて、赤い下着で女と寝ているところを母親に起こされた。気まずい空気のまま和装の母はどんどん老舗の料理屋にわれわれを導き、乱雑な卓のひとつに座らせると、そのまま自分は姿を消してしまった。客が入るたびに卓は隅に追いやられ、料理も来ないままほとんど座る空間もなくなってしまうので、これはどこがおかしいと席をたつ。料亭からの帰路、割烹着のまま歩き煙草を始める母を見て、この母を演じている女は女優としてどこか間違っていると思う。
グンゼビル
お堀端のこのビルは建物全体が回転しているので、窓からの風景がゆっくりと一方向に流れている。終電も過ぎ、曖昧になってしまった待ち合わせを諦めようか迷っていると、グンゼの広告撮影のため集められた少年少女たちが白いメリヤス下着に身を包み、階段の手すりあたりでたむろしはじめる。勃起がパンツを押し上げているのを見つけられてしまった少年を、少女たちは面白がって取り囲み、一人の少女が自分のパンツを下ろして見せる。
壁面がまるまる電子書籍になっている隣のビルに、ちょうど窓の方角が合うのはこれで三回目だ。本が巡ってくるまでの間に自動でめくられた数ページぶん、物語が抜け落ちてしまう。もう帰ろう、そう決心して一階の出口に降りてくると、回転する鉄製ステップの意外な速さに怖気づいて、なかなか外に出ることができない。
下着選び
なにかの企画で下着一枚の写真を撮られることになり、自分にふさわしい一番いかした選択をしなくては、という気持とは無関係に真っ赤なトランクスなどを選んでいる。自分らしくないことが好きな自分は自分らしいだろうか、という思索をめぐらせながら、手袋に紐をつけたような毛糸のペニスキャップを手が勝手につかんでいる。
瓦礫の音楽
「音の風景を楽しむ旅」のパンフには、人の背丈ほどの低木に、ぎっしりとたかったヒグラシゼミの写真。低木の葉脈も、蝉の羽も、レースの下着のように黒く透けている。パンフを持ってきた泉は行きたい様子だが、僕は乗り気でない。こんなおしきせの観光地に行くより、壊滅した自分の家の周囲のほうがよほど珍しい音風景だから。
瓦礫の中からコイル状の円盤を見つける。青い鉄でできたコイルの一端を持ってヨーヨーのように上下運動すると、円盤はほどけたり絡まったりしながらシャーンと鳴る。崩れた建物の表面にぶつけると、コイルは彩度の高い虹色の音を放つ。このあたりの人々は夕刻になると、それぞれ見つけた楽器を手にして、錆びた瓦礫の町を鳴らしながら歩く。
海を臨むマンション
まさか住み慣れたマンションに地下があり、しかもそこにRが住んでいるとは思いもよらなかった。プールの底がガラス張りで、そこを天窓とする地下にもうひとつプールのある部屋がある。光がこぼれ落ちる二重底プールが隠されていたのだ。
「隠すつもりはなかったんだけど」と、彼女が開けた窓から海が垣間見える。ああ、海沿いの崖を登ったときに見えた窓はここだったのか、と納得する。
厨房の勝手口で、コックが「魚お造りしましょうか?」とRに声をかける。長年住んでいるが、このマンションに食堂があり、こんなサービスがあることを知らなかった。食堂で中庭のおしゃべり女たちに混じって食事をとる。ここで食事をとるのも、もちろん始めてだ。常連たちの視線がRと僕に注がれる。オマール海老を剥いていると「そろそろ出発の準備しないと」とRに促される。
着替えるために二階の自分の部屋に戻ると、新聞勧誘員の清水と名乗る男が待っている。清水は、これから階下で始まる出発の儀式のために正装を用意したと言う。これを着て「海ゆかば」を歌いながら出発してくださいと言う。僕は年齢的にも思想的にもそういうことはしないのだと言いながら海軍将校の軍服らしきものを手にとると、それはジャージで、背中にジャイアンツのマークが入っている。
一階の入り口にはたくさんの人が集まっていて、この事態に困惑するRの顔も見える。小学生たちが駆け寄ってきて、あんざいさんの生まれた家を知っている、と言って指さした指の先からジグザグの光線が描かれ、光線の先をたどると確かに中台の実家の勝手口に届いている。現在そこには、見知らぬアル中の主婦が住んでいる。アル中女は、おぼつかない手で握ったコップの酒をぶちまけてしまい、酒は窓に張り付いた野生の海老にかかる。遠赤外線ストーブの熱がガラス越しに海老に当たり、酒蒸しになった海老がしだいに良い匂いを放ちはじめた。