rhizome: 父の死

ニュー狭山湖

赤羽線のガード下をコンクリートで固めて、防護服の男たちが白い塗装を猛烈に噴霧している。地下に抜ける鉄の蓋は、塗装が厚くなれば開かなくなってしまうだろう。この穴から地下の人たちに食事を投げ込まなくてはならない。貸本屋の女主人に、ビニールコートの背表紙に鉛筆の筆跡が裏移りしている、などとやかく言われ憤慨する。これを下敷きにした覚えはない。そう思いつつ、灯りの反射で照らし出した文字跡は、確かに自分が地下に宛てた手紙の一部だ。

赤羽駅のひとつ手前は山岳鉄道で、急な勾配を登るとニュー狭山湖が見える。万里の長城のような道の欄干から西日に光る湖面を眺めていると、勇樹に中台じいちゃんが死んだと伝えられる。だいぶ前から覚悟はしていたが、不意をつかれて涙が込み上げる。しかし、中台じいちゃんは30年前に死んだのではなかったか。

(2014年10月18日)

バベルカフェ

ブリューゲルのバベルの塔は中が吹き抜けになっていて、それぞれの区画から内側にせり出したデッキは、オープンカフェなどになっている。デッキからデッキへと螺旋を下って地上階まで来ると、父がいないことに気付く。川の中州を探しまわっても見当たらない。塔の地下にある大浴場で溺れている可能性もある。しかし水中の死体を見るのが恐ろしくて、足がそちらに向かない。

(2014年8月3日)

入れ子携帯

志村三丁目の駅を降り歩いて家に帰ろうとしていると、今日は特別な日とばかり父が得意げにタクシーを止めた。白いワゴンのタクシー内部は雑然としていて、ところどころ水溜りもあり、しかも途中の停留所から人を相乗りさせようとする。丸顔の小柄な運転手は、これはバスだからしかたないと開き直る。父は携帯電話で孫に電話をかけようとしているが、なかなかかからない。僕は、携帯の茶色い箱の中から、もうひとつ小さい箱を取り出し、掌の中でダイアルをプッシュする。父はいつのまにか、大きい方の箱を棺にして中に入ってしまい、中から「まだかからないのか」などと文句を言いはじめる。バスのようなタクシーは志村坂上に到着し、そこでわれわれは降りることになるのだが、しかしこの場所は出発点より家から遠いではないか。今日は特別な日だからそれでいいのか、とも思う。

(2005年12月18日)

水疱の花びら

裸の自分の皮膚に、暗い赤色の花びらが無数についている。それはよく見ると、変色した自分自身の水疱だ。いつもなら気持の悪い事態なのだが、花びらのすばらしく深い色彩が美しく、うっとりと眺めてしまう。
自分は死ぬのだ、その兆候なのだ、ということを知らされたばかりなのに、あまり衝撃がないのは、この色彩のせいだということはよくわかっている。しかし、このことは父親には知らせなくてはならないと思う。父親に電話をかけなくてはならないのだが、十五年前に死んだ父は携帯をもっていない。ダイアル式の電話を探すために、あちこちの乾いた地面を掘ってみるが、なかなか電話にあたらない。

(2004年3月3日)

口から蘇生

死んだばかりの僕の父が、僕の息子の口から蘇生するかもしれない。息子と秋葉原に行き、ジャンクのプリント基板と電流計を手に入れ、帰宅する。すると彼は突然、口から何かを吐き出す。その嘔吐のようなものを母といっしょに指で選り分けてみるが、そこに父は見当たらない。親戚のMが、蓑をまとって雨の中を走る男の話をしている。それが誰のことだかわからない。僕も母も、その話を上の空で聞きながら、もう父とは会えないのだという実感が込み上げてきて泣いた。

(1996年8月13日)