ぜひ見せたいものがある、と黒人の庭師に案内されたのは広い芝生の隅にある黒く塗られた小屋だった。持っていたノートを芝生に置き、上下に開くガラス窓を開けるのに手を貸すと、小屋の中にはさらにもうひとつ小屋がある。中の小屋から屋根を外すと、それは木の水槽だった。なみなみと張られた水はなぜか絶えず流れ、世界各地から集められた水藻が糸見本のようにたなびいている。集まってきた女子高校生たちが「わあ綺麗」と声をあげるが、暗く絡まり合う藻は美しいというより恐ろしい。
そろそろ講義が始まる時間なので、と言ってその場を離れるとノートがない。高校生のひとりが遺失物として届けたと言う。彼女に案内されて教務課に出向くと、薄い和紙をカットして作ったシールを受領証明としてノートに貼らなくてはならないと言う。安齋というアウトラインフォントの複雑な不要部分を剥がしながら、申し訳ないけれど授業が始まるからと、撚れた齋の字を無理やり手で押さえつけた。
rhizome: ノート紛失
平行世界の職人たち
工具箱の中には、専門外の人間には用途の見当もつかない奇妙な器具がいくつも無造作に投げ込まれていて、人類のすべての道具をアーカイヴしているわれわれにとってこのうえなく貴重な宝箱なのだが、工具箱の持ち主である彼らはあっさりと箱ごとそれを貸してくれた。助手は土手の上の明るいところまで道具箱を運び上げ、棚田のように飛び出す蓋を左右に開き撮影を始めた。助手は個々の道具をレイアウトしなおしながら、ふと思い出したように僕の黒いノートが山頂のあたりに落ちていたのを見たと言う。なぜ拾ってこないんだよ、拾うだろうふつう、と彼を責め立てながら、「れめめwiki」の新しい項目としてノートに書かれていた「アッケポロウ」という顔料の精製方法を思い出してみるが、記憶が細部までつながらない。工具箱の持ち主たちは、その顔料をマッシュルームの入った塩ケーキを作るやり方で作り始めている。彼らは可能世界の職人なので、道具箱がなくても比喩的な方法でなにごともこなすことができる。
画素格子
絵を拡大していくと画素の中に絵がありその画素の中にも絵がありさらにその中にも絵がある映像を投影して、世界はこのように無限の細部があるのになんで単層のつまらない絵など描くのか、と口走ってしまう。講堂を歩き回りながら、こんなふうに煽るつもりはなかった、連画について話しているのに、このままでは収拾の見込みがない、と思い始めたところで高野明彦さんがマイクを取り、持参した試料にガイガーカウンターらしき装置をあてたので、僕はこの窮地を切り抜けることができた。装置はあちこち光りはじめるが、しかし装置がα線源に反応しないのを僕は知っている。
講堂の灯りが揺れはじめた。次第に振幅が大きくなる。僕は外に出て財布やノートを置いてきた山岳地帯のガレージをめざして走った。地すべりも始まり、ここで自分の命を優先するか荷物を優先するか、迷いながらも崖をくりぬいたガレージに来てしまう。崩落した画素の格子に閉じ込められた男がいるのを見て、荷物はもうあきらめるしかないことを悟る。