rhizome: 嵌めこみ水槽

藻類標本小屋

ぜひ見せたいものがある、と黒人の庭師に案内されたのは広い芝生の隅にある黒く塗られた小屋だった。持っていたノートを芝生に置き、上下に開くガラス窓を開けるのに手を貸すと、小屋の中にはさらにもうひとつ小屋がある。中の小屋から屋根を外すと、それは木の水槽だった。なみなみと張られた水はなぜか絶えず流れ、世界各地から集められた水藻が糸見本のようにたなびいている。集まってきた女子高校生たちが「わあ綺麗」と声をあげるが、暗く絡まり合う藻は美しいというより恐ろしい。
そろそろ講義が始まる時間なので、と言ってその場を離れるとノートがない。高校生のひとりが遺失物として届けたと言う。彼女に案内されて教務課に出向くと、薄い和紙をカットして作ったシールを受領証明としてノートに貼らなくてはならないと言う。安齋というアウトラインフォントの複雑な不要部分を剥がしながら、申し訳ないけれど授業が始まるからと、撚れた齋の字を無理やり手で押さえつけた。

(2013年8月23日)

孤独なオフライン

ホテルマンの森田が彼自身の自腹三千円を足してまで用意した宴会場にたどり着くと、テーブルに嵌め込まれた生簀になみなみと張られた油の中で、マグロほどもある大きな鰯が素揚げされている。
せっかく特別な席が用意されているというのに、仙台のグループは運ばれてくる上等な料理を放置したまま二階の箱席で密談をはじめてしまった。ネットで知り合った仲間たちは、リアル空間での協調性がまったくない。テーブルをはさんで座った女の首から乳房にかけて広がる静脈の河川地図に見とれていると、あなたの下の句は発情したオスのように原発を肯定している、と糾弾される。小便を漏らしたので自宅で着替えてきたという別の女は、間仕切りに残した粗相の痕跡を隠そうとするが、逆に誇示しているように見えるのは、それがマーキング行為だからか。仲間たちはかくのごとくばらばらで、集団としての統一を欠き、そのうえ一般客も混じっているこのフロアで挨拶をはじめると、どう笑いを取ろうとしたところで狂人の演説にしか見えない。僕はなげやりになり、精緻なステンレスメッシュで包まれたガラス玉をバネで弾いてバスケットに入れるゲームに興じ、短時間でかなり腕をあげた。

(2012年11月14日)

記憶捏造

帰り際に男が硬く手を握りながら、潤った目に「またしよう」という意味をこめている。いや僕には心当たりがない。この男は間違いなく頭が変なのだが、しかし自分の記憶が変である可能性も却下しきれない。
大衆食堂の升席に設置された木の湯船につかり、閉店時間間近で熱い湯が止まってしまうのに、僕はすっかり水でうめてしまい、後ろめたい。このぬるい湯に今から入ろうとしている男がいて、彼はこのあと食堂のホワイトボードを使って捏造される記憶に関するプレゼンをするのだと言う。

(2012年8月31日)