作動設計

「メディア=装置」の制作を通して、「生態系=作動」をデザインする

オートポイエティックデザイン2023

早稲田文構×東経大コム2020

人間はワークショップとして世界を制作する

ワークショップ的なデザインは、目的が空白になった状態から出発します。人間にとって良いデザインを作るのではなく、あるデザインを良いとする人間が作れるか、ワークショップとはそのような問いの形です。それは、人間の潜在性の地平線がどこにあるのか、という問いでもあります。
(ムサビ2014)

多様決とはなにか

「いいね」だけをもつシステムは、単純な内容を誘発し多様性を排除します。多様決は、多数決への批判をこめて設計された新しい評価メソッドで、複数のパラメーターをもち、それを乗算することによって、たとえイイネを100集めても、ヤバイネが0なら評価は0。それらを同時に集めるきわどいエッジにあるものだけが評価されます。

カンブリアンゲーム

行為と触発の連鎖による創作システム

連想の木から連想の森へ

ひとりひとりのアイデアがほかの人のアイデアを巻き込みながら変化し、ひとりではとうてい思いつかないような多様なアイデアを生み出していく…

作動するワークショップの設計

他者の中の私=Networked Mind 下西 風澄
Google IMEを使って、日記を書いてみる。Google IMEは、ネット上の無数の他者の無意識の言葉の世界。はじめに打ち込んだ文字から次々に選択肢が現れ、それを選択していくことで、文章としておかしくても、とにかくそれで文章を作ってみる。私と他者が渾然一体となった新たな自己が形成されるのではないか。(東大2010)

まれびとカンブリアン

「シンポジウムはたいてい、控室での雑談に華があります。本番が始まり伝達の場が立ち上がると、送り手と受け手の分断が生じ、楽屋の面白さは急速に冷えてしまいます。連画・カンブリアンゲームもまた、伝達の場ではなく、生成の場です。あるイメージが気に入った受け手は、すなわち次のイメージの送り手として、同じ循環回路の一部に繰み込まれます。
「はじまらないシンポジウム」は、どこまでいっても登壇しないゲストをお招きし、控え室のようなゆるやかな生成的な場で、人と人、話題と話題をつなぐ「まれびとカンブリアン」の座を企みます。(2008)

クリスマス自動筆記パーティー

雑談をする。そして線を引く。どんどん無駄話が増殖する。長電話の落書きのごとく絵も増殖する。他人のパターンがすべりこんでくる。ひたすら手が動く。描いているのは誰か。接続するオートマティスム。恍惚が降ってくる。これはいったいどういう目的をもったワークショップ?
知りません。メリークリスマス!(2010/12/22)

落書畑

オブジェクトへの強烈な集中力から生まれる絵とは対極にあるのが、たとえば長電話をしながら手慰みに描いている絵。動物たちが巣をつくる行為のように、な かば本能的に場所を埋めていく絵。シュルレアリストが残したオートマティスムのように、大きな意図もなくただひたすら作動の中で生まれる痕跡として空間を埋め尽くしていく絵。(ムサビ 2011/10/7)