22世紀恋愛論2021作品選集

Cover illustration by Ryuto TAKASUGI.

目次

課題

ワークショップ

作品選集


追憶の朝 ~本当の自分なんてない未来の恋愛 /永田大空


ミキちゃんナメくん ~生物の違いのない未来恋愛と偏見 /栗


ベニヒト ~寿命のない未来の恋愛 /楽しくない


夢見がち /古江大樹


パペット /nono


恋に落ちる ~床のない未来 /HAH


泡ひとつぶ ~AVのない未来 /古川卓磨


意識と静寂 ~「意識の持たないもの」のない未来の物体同士の恋愛 /ta


ブランコラ ~肉体に性的価値がない未来の恋愛論 /髙杉龍斗

課題

思考実験ワークショップ「可能人類学」は、実在しない人類、これから実在するかもしれない人類にまで対象を拡げた新しい学問領域です。世界をスマホに例えるなら、可能人類学はアプリの入れ替えではなく、OSのまるごと交換を基本戦略とします。そのため私たちは「~の未来」を考えるかわりに「~のない未来」を考えてきました。「学校のない未来」「スポーツのない未来」「観光のない未来」「仕事のない未来」などを考えるにあたって、「蝕」と名づけた以下のような思考テンプレートを用いました。

[~]のない未来を考える思考パターン
[~]が[~]とは呼べないなにかに変化する
[~]を代替する新概念が現われる
[~]を必要としない人類に変化する

今回の課題は、「蝕」を用いて「恋愛(とかつて呼ばれていたもの)の未来を構想し作品化する」ことです。
[~]になにか対象を代入し[~]のない未来の恋愛を考える、あるいは、
[~]に恋愛を代入し、恋愛のない未来を考えます。

作品形態は「超短編小説」いわゆるショートショート、あるいはそれに代わるもの。5分以内で読める程度の長さで。

ワークショップ

講座:「可能人類学」安斎利洋
東京経済大学コミュニケーション学部
2021年6月30日、7月7日、7月14日(いずれも遠隔授業)

講評(ゲスト):小野美由紀(作家)

全作品はこちら

作品選集

追憶の朝

本当の自分なんてない未来の恋愛

永田大空

昨日は同じ大学のはなちゃんと、地元の友達の祐介が自殺した。今日は今から大学の2限の先生が自殺する。
「空いた2限、どうせならカフェでも行かない?話があるの。」とのことだった。図書館の入り口で待ち合わせしようとだけ言っておいた。僕と歩美がどこかへ行く時は、いつも彼女の言葉がきっかけだった。

僕らは自殺すると記憶を入れ替えて別の人間に生成変化できる。だから今の日本は自殺率が国民全体で60%、特に20代では80%を超えていて、国民のほとんどが一度は自殺を経験している。それが、止まらない自殺率の増加に対してこの世界が選んだ方法だった。自殺したことがないのは、一部の富裕層、特定の信仰の下で自殺しないことを信条とする人達、そして、僕みたいな変わり者。そのどれかだ。世の中はみんな効果的に自殺しながら、様々な人生を行ったり来たりする刺激を楽しんでいた。

2分遅れてきた歩美は、いつもみたく溌剌としていた。もうセミが鳴き始める頃だったから、二人とも汗びっしょりだった。
カフェまで歩く間は他愛もない話題が続いた。バイト先に来た変な客だとか、昨日の夕飯みたいなことを話した気がするけどよく覚えていない。

カフェの席に着く。僕は朝食を抜いていたのでナポリタンとオレンジジュースを、歩美はサンドイッチとカフェオレを頼んだ。
僕が用件について聞くと、歩美は「ちょっと私が言い出せるまで待ってて。」といった。こういうことは、彼女との長い付き合いの中でも初めてだった。いつもの歩美らしくなかった。きっと重大な何かが来るのだろう。僕は来たるべき事態に身構えながら、しかしそれを誤魔化すようにナポリタンをむしゃむしゃ食べた。二人とも黙々と食べるので、騒がしいカフェの中で僕たちの座席だけが不思議な沈黙に包まれていた。

「私ね、自殺しちゃおうと思うの。」
僕がナポリタンを三分の一くらい食べ終えた時、歩美がそう呟いた。
「そうか、いよいよって感じだね」表情だけ明るくしながら、僕は複雑な気分だった。
「私、ずーっと悩んでたの。なんだかこの身体を傷つけることが怖かったの。けどね、このままじゃ私本当に死にたくなっちゃう気がするの。そうなったら、本当に一生自殺できなくなっちゃうでしょ?だから、本当に死んじゃおうって決めたの。」

足元で地殻変動が起きてるみたいだった。僕と歩美はこのまま、互いが互いを好きな間はそのままに生きていくとばかり思っていた。彼女にも、当たり前に自殺する自由はあるのに。しかもその自由は僕の気持ちとはなにも関係ないのだ。僕に彼女を引き止める権利なんてない。ただ、自分と同じ境遇でいて欲しい人間が一人減るだけだ。

「いつにするの?」
「明日、明日の夜にする。」
僕は驚いたけど、向こう見ずな彼女らしいと言えばそうだと思って黙っておいた。

「ちょっとくらい相談でもしてくれればよかったのに。」
「あんたに相談したら、まーた難しい昔の偉い人の言葉とかで私を引き止めるんでしょ。」
「まあ、きっとそうだけどさ…」
「やっぱりあんたは変わんないね。」

そう言って彼女は笑っていた。けれどその表情は、ただ表情筋があるべき場所にあるためにそのように見える、ということ以上の何も訴えてこなかった。ここまで感情の漂白された笑顔があるのかと感心するほどだった。

「そうだ、どうせなら私の自殺見にこない? 明日の夜、うちにおいでよ。」
黙ったまま頷いておいた。それ以外に何もできなかった。
「なによー 今時、自殺なんてみんなやってるじゃないの。そんなに私が大事なの?」
「そりゃあそうだよ。僕は今の君が好きなんだ。今のままの君がそのまま。だから、正直自殺もして欲しくない。」
「私だって悲しいわよ。けれど、人は変わるのよ。それは時にどうしようもなく、自然の流れとして私たちを襲うの。そして少なくとも、あなたにもその可能性はあるの。とにかく私は死んで、生まれ変わるの。それだけよ。」
歩美の言葉は、今の僕には分からない何かに裏打ちされた柔らかさと重みを纏っていて、それが僕の雑に縫い合わせた心を一度解いて、また丁寧に繋ぎ直すようだった。

次の日の夜、僕は歩美の家に行った。部屋を新しい人格のためにまっさらに整理したら、残しておいたテーブルにありったけの豪華な食事を並べてパーティーを始めた。食事を済ませると、僕たちはただ二人で話し始めた。僕は決して言葉を紡ぐことを焦らず、彼女もそれを決して遮らなかった。だから二人の会話は、度々数分間の沈黙が流れる歯切れの悪いものだった。でも、それがその場に最もふさわしい方法だったのだ。学校の裏庭にいたハナカマキリや、二人で初めて行った喫茶店のまずいコーヒーや、正しい世界の終わり方。僕らは重要なことと重要なじゃないことを、どちらも同じくらいの熱意で話した。きっと世界の2パーセントくらいは語り尽くしてしまっただろう。

「それじゃあ、そろそろ死ぬね。」
「うん、それじゃあまたね。」

歩美がドロドロと溶け始める。人間に潜在する海が引き出され、彼女はそこへと還るのだ。彼女の身体が、精神が、生命のその始原の鼓動へと遡行して、そこから加速され、彼女は新しい生命として再びこの世界に生まれ直す。日が昇る頃には、彼女は別人になっているだろう。
水溜りになった彼女を眺めていたら僕の涙が水面に落ちて混ざり合った。

目覚めた僕は静かに身支度を済ませた。不思議なほどなんの感情も湧き上がってこなかった。身支度は事務的に、機械的に一つ一つ済まされていった。僕は部屋を出る前に、最後に一度だけ、隣で眠る人の顔を見た。ちゃんと知らない人で、綺麗な寝顔だった。今日から僕とこの人は知らない人同士だ。けど、この知らない人もきっと世界のどこかで生きるのだろう。それだけで、きっと明日も生きていける。そんな気がした。この世界も悪くない。そう思いながら、僕は14階から飛び降りた。

昇り始めた太陽が、あまりにも美しい朝だった。

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ミキちゃんナメくん

生物の違いのない未来恋愛と偏見

生まれて初めて恋をしました。
男の子。女の子。
私はそんなことはどうでも良くて、
鼓動が走ったから好きになったの。
あなたは、時にはキモチワルイと言われ、時には触られ、
でも、嫌な顔一つしていない。
そんなあなたが好き。
すべてを受け入れている、心の広いあなたは私の好きな人。
そんな人と私は今日結ばれる。
待ち合わせ場所は公園。
ベンチに座っているとあなたがやってきた。
ゆっくりと近づくあなたをみて、
私は結ばれる震えと緊張で手汗をかいた。
今あなたと手をつなげば、数秒でほどけてしまうだろう。
そして私の目の前に来た。
感じた。
私の服の中に入ってきた。
そわそわ
じわり
と私の身体を触り
穴の中に入っていった。
ぬめりのあるあなたと
私はつながって
快楽の頂点に達した。
すると、あなたの友人が私の方に来た。
私の小刻みに震えている姿をみて、嘲笑ったように感じた。
今の私の姿を親が見たら、どんな気持ちなのだろうか。淫らな私をみて、笑うのか。泣くのか。倒れるのか。
しかし、周りの目なんて気にしていては、あなたと一緒になれない。
私は君とのつながりは一生覚えているだろう。
ナメクジの君との性行為。

-数ヶ月後-

私はいきなり吐き気がした。
トイレに駆け込み、胃にあったものが全て口から出た。
最近ゲップも増えて、立ちくらみもする。
生理も来ていないし…過った。

“妊娠”

私が直近で性行為をしたのは、
ナメくんだ。
「ナメくんとの子…?」
私は興奮した。
あり得ないくらいのヨダレが出た。
私の一番好きな人との子供。
どんな顔になるのだろう。ナメくんに似て欲しい。ヌメヌメしてて欲しい。もう一度したい。
そんな感情が溢れて、妊娠は嬉しかった。
この嬉しさを共有したくて、
帰りにケーキを買って、母親にサプライズすることにした。
「私、子供が出来たの。」
と私が言うと、
「よかったじゃない!お相手は誰なんですか?」
と母が聞いてきたため、答えた。
「ナメくん!」
「ナメ…くん?」
「うん!ナメクジの」
すると、母親は黙り込んだ。
数秒すると、母は見たことない顔で、口を開き
「ナメクジとの子供なの?信じられない!気持ち悪い!」
と叫んだ。
その発言を聞いて、私は
“プツン”
と何かが切れた。
目の前にあったケーキを切る用の包丁を右手に持ち、
止まらない口を塞ぐように母の顔を切りつけた。
私の足元は血まみれ。

「一生愛すからね…。ナメくん。私のお腹にいる子供。」

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ベニヒト

寿命のない未来の恋愛

楽しくない

生き物には原則として寿命がある。前に生物の授業で習ったけどヒトである私には全くピンと来なかった。昔の人はアリとかイヌとかと同じで寿命があった。つい数百年前まで人類は当たり前のように老いきって、当たり前のようにこの世から消えていたらしい。昔の人はおうちで家族と話している時も、仕事をしているときも、デートをしているときも自分という個体が無くなる恐怖を感じながら過ごしていたのかと考えるとゾッとする。だけどそんな恐怖に昔の人が耐えていてくれたおかげ私が生まれたわけだから感謝しないといけない。今のヒトは定期的に身体が分化し、細胞が若返る。だから肌が皺々になってもまたピチピチに戻る。私は生まれて約20年で初めて分化を経験した。

・回想
目の前に小さい私がいっぱい居る。物理的に小さい私。私もそんな私の一つ。思わず私は近くに居た私を食べた。一つ食べた途端に得体知れない衝動に襲われ。出来る限り多くの私を取り込んだ。手の届かなかった私達が悲しそうな目で私のことを見ている。ああそんな顔しないで。私だって本当はあなた達も食べたいの。彼女らは風に乗って山の方に飛んでいってしまった。去る者のことなんかすぐ忘れてまた食べた。次第に満腹感に近い感覚になった。なんだか眠くなってきた。これは気味の悪い夢なのだろうか。

目が覚めると地球の夜景が目の前にあった。アフリカ大陸上空の疎らな夜景だ。そういえば誕生日前で展望塔に連れてきて貰ったのだった。10代最後の日だからってこんな綺麗な夜景を見せてくれた。それからどうしたのだろうか。彼はどこに行ったのだろうか。
「だっ大丈夫?」と男の人の声がする。しかし周りを見てもどこにも彼の姿はない。
「おーい。」
声がなる方に目を遣ると彼が巨大化して立っていた。首が痛くなるほど見上げなければいけない。
「随分小さくなったね。」そう言いながら彼は膝立ちをして私の頬を手で包む。それから形を確認するように全身を撫でる。ゴツゴツした手が痛い。
背伸びをすれば丁度良かった彼との身長差が埋めようのないものになっている。彼が巨大化したわけではないことをそこで悟った。私はどうやら戻ってしまったらしい。生まれて始めて戻った。でもまだ戻るような年だとは思わなかった。今の私は10歳のときと同じくらいの身長だろうか。
「これは10代をまたやり直せってことかな?」と冗談を言った。
自分の高すぎる声に驚いた。。
「…そういうことかな?」

彼の声はぎこちなく何かむず痒さを隠しているようだった。そしてその違和感はその後もずっと続いた。初めは私の幼くなった身体に魅力を感じなくなってしまったのかと考えた。でも彼は私の後に別の幼い身体の女と付き合い始めた。たくさん分化した人を見てきた今だから分かることなのだけど、ヒトは戻る前と戻った後では何かが変わる。具体的に何が変わったのか説明するのは難しいのだけど接すると何か違和感を感じる。場合によっては同じ人とは思えなくなることもある。あのときに風に乗って去った彼女たち、きっとその中に彼が好きな類の私が居た。けれども運が悪いことに私は彼女を取り逃した。私から分離してしまったのだ。
今朝、久し振りに戻った。だからこんな昔のことを思い出した。また夢中になって食べていた。また私達がどこかへ飛んでいった。あの娘達が風に吹かれてまた何かのめぐり合わせで出会ってくれればと途方もないことを考える。もしかしたらもう既に風に乗った彼とはどこかで出会っているのかもしれない。そういうことを考えるとだけで無限の人生が少し楽しくなる。

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夢見がち

古江大樹

ぷしゅ。
少し間抜けな音がして蓋が開く。蝉の声が鳴り止まない中、ぼんやりとした頭に少し低めの女性の声が微かに響いているのに気が付いた。「ほらいつまでゲームしているつもり?夢から覚めなさい!」彼女は仰向けの僕を覗き込み起こそうとする。はて、僕は何をしていたんだろう。

「人類は皆等しく永遠に生きられるようになったんだよ」と彼女は少し低い声で言う。ぼんやりとしたままの僕の記憶を呼び起こそうと彼女はこの100年で起きた歴史を語ってくれた。彼女の説明によるところ21世紀の後半より遺伝子に関する研究は大きく進歩し、人間の生と死の価値観は大きく変化したらしい。僕にはまだよく分からない。

晴れた空の元、びっしりと高層ビルが生えており景色が暑さで揺らぎ僕は汗ばむ。季節は夏だろうか。そのビル群の間を老若男女が蔦のようにひしめき歩いている。しかし、見た目は遺伝子組み替えにより簡単に変えられるようになったらしい。そして街を歩く人々の外見も自分で好きに決めたものらしい。ふと気になった僕は彼女に「じゃあ君の本当の姿はどんな感じ?」と尋ねた。彼女は何も言わずに少し微笑んだ。

「100年前から最も変わったことといえば寿命が無くなったことかな。」
今まで寿命の原因とされてきていたテロメア配列を無限に延長させる事が、技術の進歩により可能になり人類は老いることがなくなったという。僕は難しいことはよく分からなかったが、記憶の断片にいる仲の良かった知り合いがまだ生きているということが分かり嬉しい気持ちになった。彼らにまた会いたいと思った。様々な情報に、夏の暑さのせいもあってか少し混乱したが徐々に現状を把握出来てきた気がする。

そうとなれば便利な世の中になったものだ。そういえば僕は100年前あたりに外見にコンプレックスを抱いていたんだっけ。それが今では容易に自分の理想の姿になる事ができるようになったのだ。ビルのガラスに反射した自分の姿を横目に誇らしげな気持ちになった。

少し歩いて少し高い丘に2人で登る。街全体が夏の煙に巻かれているようにグラグラ揺れている。

そして隣で街を見下ろす彼女はとても可愛い。そして何より何も分からないままの僕に丁寧に色んなことを教えてくれる。しばらくして丘を下り、少し外れた路地裏に入る。自動ドアが開き、室内の冷気が身体を冷やす。今日はお別れだ。

そんな調子で僕達は毎日を楽しく働きもせずに過ごしていた。その中でかつての友人たちと思われる人にも何人か会う事ができたし、充実した日々を過ごしていた。そんな何気ない毎日を過ごしていくうちに季節は秋となり僕は彼女に恋をした。

今日もいつものように彼女と同じ時を過ごす。木枯らしの風が吹き荒れる。紅葉した木々とビル群に囲まれた街のど真ん中で、ふと僕は彼女の細い指に手を伸ばした。
パチン。
落ち葉がざわめく。
乾いた音が鳴り響き、辺りの人々の冷たい視線が集まる。彼女は怒っている。やがて僕に背を向けるとそそくさと歩き初め去ってしまった。人混みの中に消え去りそれから彼女を見つけることは出来なかった。

僕は1人でビル群の中を歩く。

どうやらこの世界では恋愛は死罪に値するらしい。理由は簡単なもので、永遠の命を与えられた人類は繁殖の必要がないのだ。

1人で生活を続けていくうちに季節は冬になり僕は彼女の事を考えていた。当たり前に性別、年齢、人種をも遺伝子組み替えにより変えられる時代で僕は彼女の何が好きだったのだろうか。アイデンティティや存在を肯定してくれる物さえ自分で定める時代で僕はどうして僕で居られるのだろうか。試しに外見を彼女そっくりに作ってみることにした。また、性別を女性にしてみたりしてみたが、相変わらず僕の性の対象は彼女にあった。なぜこの時代に僕だけ性欲が残っているのか不思議だったが、仮想現実で恋愛ゲームをしていたことを思い出しただの名残であったと気がついた。単純な人間である。でもやはり彼女の事を想っている時間だけが僕でいられる気がした。それこそが僕が僕である理由であり、アイデンティティであった。僕は毎日彼女を想っては自慰行為に励み悶々としたまま眠りにつく。

季節は春になり僕は彼女を探すことにした。しかし何処を探しても彼女を見つけることは出来なかった。いつか2人で登る登った丘の上でちらほらと桜咲く街に春一番が吹く。僕はふと最初にお別れした路地裏を思い出し行ってみることにした。

自動ドアが開くとそこに彼女が立っていた。
「何しに来たの」
冷たく低い声で彼女が尋ねる。
心が空洞のようになった。僕は言った。「この世界では恋愛が存在していないことは知っている!性行為などもってのほかだ!だがどうしても君に触れたい!僕が僕であると、君であると確かめる方法がこれしか思いつかなかったんだ!」
彼女に駆け寄り押し倒す。ガタンと音がして倒れ込むと同時に柔らかくて暖かい彼女の腕に触れる。ようやく触れることが出来た。僕は嬉しさのあまり涙が溢れ出た。

ふと彼女のいる潤んだ視界に鮮血が映り込む。僕は彼女に見事にナイフで首元を裂かれていた。
「私を巻き込まないでよ」
グラグラする頭はまるで夏のようだった。

ぷしゅ。
少し間抜けな音がして蓋が開いた。はて、僕はまだ夢を見ているのだろうか。

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パペット

nono

――2197年
7時 目が覚める。まだ寝ていたい気持ちと闘いながら重たい瞼を持ち上げる。
7時10分 顔を洗う。20分 朝ごはんを食べる。45分 化粧をする。うまく引けないアイライン。8時 服を着替える。ベージュのロングスカートを手に取る。

ゴーンゴーン
8時20分 鐘が鳴る。
「もう出なきゃ」
対人ストレス値測定装置の前に立つ。ピピピ—『10%です。昨日の値に比べ2%減。今週の平均対人ストレス値は10.5パーセント。異常なし。』
「はあ、よかった。」
扉を開けて、外に出る。いつも通りの1日の始まりだ。
いつも扉を開けると私は扉の外で深呼吸をする。それで、視線を右に向ける。
ガチャ・・「おはよう、リリー!」
いつも通りニッコリ笑顔のジョンと目が合う。
リリー 「おはよう。今日のストレス値は?」
ジョン 「16.3。喧嘩する夢を見てさ、少し危なかったよ(笑)」
リリー 「もう、、気を付けてよね。今日も頑張りましょう。」
ジョン 「ああ!ありがとう!」
手を振ってジョンに別れを告げる。次に会うのはバスの停留所にいる三つ編みのナナ。
バスを待ちながら毎朝の占いの話をする。3人目は運転手のキャサリン。4人目はカフェで働くボブ。1日が終わるころにはスーパーで働く30人目のサラに会ってコンプリート。
おとなしく家に帰るだけ。そんな毎日。

――2100年。
ロサンゼルスの有名な学者がこの世の争いの根本は人と関わることで生じる「対人ストレス」であり、このままだと約50年後には第3次世界戦争が起こるという論文を発表した。これは世界中の人々を混乱の渦に突き落とした。
世界中の首相たちは度々緊急会議を開き、20年の月日をかけて、「人類個人化計画」を推し進めたのだった。世界中の人々に対人ストレス値測定装置を配布し、その情報は政府に毎日送られる。ある一定の値を超えた人間は危険と判断され、集団から除外される。プライバシーも個人の意思も存在しない。人類はグループ化され、争いが起こらないよう友達や隣人、恋人まで関わる人を限定することで対人ストレスを最小まで減少させた。

7時 目が覚める。7時10分 顔を洗う。20分 朝ごはんを食べる。45分 化粧をする。8時 服を着替える。家を出る。深呼吸をする。右を向く。
笑顔のジョンと目が合う。ナナに会い、占いの話をする。
いつも通りみんなに会って家に帰る。
毎日毎日穏やかな気持ち、それで幸せなのかもしれない。
でもふとした瞬間にこんなことを考えてしまう。
自分で選んだ人と出会ったらどんな感情になるんだろう。
いつもだったら、そう考えるだけだった。
でもこの日はその感情を抑えられなかった。
心の奥底にある感情はどんどん大きくなって気づくと布団から飛び出し、走り出していた。
「私もうこんな生活嫌。もし危険だとしても、もっと豊かな感情をもちたい。」
家を出て無我夢中で走った。だからと言ってどこに行きたいのか、何がしたいのかも分からない。だたこれはきっと私の意志なんだ。

行き着いた森である男性と出会った。
リリー「…あなた誰?」
?「僕は、、ショウ。ずっと南の方から来たんだ。君は?」
どくんと胸の中に何か感じた気がした。
リリー「私はリリー」
偶然会ったはずなのに、妙に心地よい。
がたがたになった心がすーっとならされていくような感覚。
2人は無言で見つめ合いながら近づいていく。

――住民管理機関
「おい、ルーム16と17の変異種の様子は?」
「ええ今ルーム16と17の境界で接触に成功しました。」
「変異種同士の相性が合って良かったよ。駆除となると時間も手間もかかるからな。」
「このままルーム25に移動させます。」

2人は強く抱きしめ合うのだった。

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恋に落ちる

床のない未来

HAH

落ち続ける人と物。この世界には地面がない。
「はじめまして、さようなら。」
この世界では質量が異なる人とは落ちる速度が違うため親交を深められない。

たつやは落ち続ける中で1人の女の子とすれ違った。
その子は綺麗な赤いドレスを着ていて、たつやは一瞬のうちに魅了された。
だんだんと上に上がっていく女の子。たつやは勢いよく女の子の足を引っ張ったあと同じ視線に合わせ手を握った。手を握ったことで同じ速度で落ちる2人。
「ごめん、きみの速度を変えてしまって。でもきみを好きになってしまったんだ。」
女の子は驚いた表情を見せたあと冷静になり口を開く。
「こんな機会を待っていたのよ。いろんな人とすれ違っていく中で、いつ自分の重さが変わるかわからない。ちゃんとした友達なんてできっこない。話せて嬉しいわ」
そう言って女の子は手を握り返す。
「私はさち。あなたは?」
「俺はたつや。」
そのあと2人は他愛もない話をしながら仲良くなっていった。

ある時、2人は子供を抱き抱えているやつれたサラリーマンとすれ違う。
「かよこー!かよこー!」
叫ぶサラリーマンに2人は声をかける。
「どうしたんですか」
「妻とはぐれてしまったんだ。」
どうやら嫁は子供を産んで早々、子供をサラリーマンに渡したことで質量が変わってしまい、夫と子供だけが落ちてきてしまったらしい。
「体重を軽くするために3日間何も食べてないんだ。子供を抱き抱えるために妻の手を離したのが間違いだった。」
たつやとさちは何も言えないまま徐々にそのサラリーマンとの差が開いていく中でしっかりと手を握う。
この世界では一度はぐれてしまえば、再会は難しい。

たつやはさちを抱きしめる。
「この方が安全だ。」
さちは力を緩める。
「本当にこれでいいのかな」
たつやは一層、強く抱きしめる。
「私ね、昔から同じ重さの人と出会って、同じ重さの人と結婚すると思ってたんだ。それが当たり前だし、さっきのサラリーマンみたいにもしもの時、辛い思いしなくて済むでしょ」
たつやは少し考えたあと口を開いた。
「君を早い速度で落とし続けていることは申し訳ないと思っている。けどあの時、君を掴んだことは後悔していない。これから僕は君を絶対に離さない。だから…」
「絶対に離さないなんて無理だよ!」
食い気味にさちは言う。
「そうだよね、ごめん。俺も本当はわかってたんだ…」
たつやは少しずつ力を緩める。と同時に少しずつたつやが下に落ちていく。
さちと見えなくなるくらい差が開いた時、上を見上げ続けるたつやの顔に少しの雨が降った。

END

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泡ひとつぶ

AVのない未来

古川卓磨

穴に棒を抜き差しするビデオが古今東西で流通しまくってたんだと。
うちのじいちゃんなんかYoutTubeで観てたって言ってたぞ、今じゃ考えられないよな。何でみんな同じような内容のビデオ観るんだろう。
服装を変えたり環境を変えても行き着くところは結局穴に棒を抜き差しするだけって笑うわ。
自分が何に興奮するかを他人に委ねたくない。俺たちはもっと深く深く突き詰める。ちゃんと考えないから穴を棒に抜き差しするだけみたいな浅いところで留まるんだ。

撮ってきたか。ああ。

バケツの中から溢れた冷気が下に流れる。洗剤の膜を腕に塗りバケツの穴を塞ぐように塗る。シャボン玉のような膜が冷気に押し上げられ膨らむ。耽美な丸みを帯びてパチンと弾けた。割れた瞬間スローに切り替わる。溜まった白い冷気がふわっと下に落ちて消えていく。

吸い付きたくなるような丸みが割れる瞬間ほど僕たちを興奮させるものはない。YouTubeに上げて仲間たちに共有しよう。

ーーーーコメントーーーー

Rei Nakamura
今夜も共有してくださってありがとうございます。もっと大きく膨らむところが見たくなりますね。より大きなバケツを使うといいと思います。それから、洗剤の量が足りないかもしれません。あなたの白い腕に洗剤をもっと付けて、割れるまで焦らすように腕のところを3カット別の角度と距離から撮ると割れたときより興奮できると思います。

ジェニファー岡田
バカ興奮しました。今度は、冷気じゃなくて着色した煙を使うとまた別の角度から楽しめると思います。おすすめは赤、緑、青の3色です。お願いします。

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意識と静寂

「意識の持たないもの」のない未来の物体同士の恋愛

ta

1
5050/11/11)  土星、木星、金星、月、星団、彗星、、、、、。
5070/11/11)  一言で言うともう飽きた。
5090/11/11)  何年も何年も、何年経っても何も変わらない。
5110/11/11)  だから、太陽系で唯一全容を見たことがない足がつくこの星の全容を見たいと思った。
5130/11/11)  同時にこのつまらない体から離れるためにこの鉄の体にこの複雑な星を取り込み、また取り込まれたいと思った。
5150/11/11)  マグマに沈む想像と氷河に潜る妄想。
5350/11/11)  ところで、私は、よくこの星を見てもいなければ、知りもせず、土に還れそうもない異質な機械だ。
2
2020/11/11) 私は46億年生きてきた。そして「あれ」を初めて見た。この何億年の間に、いつの間にできていた。
2820/11/11) いつもレンズを使って何を見ているんだろうか。
3620/11/11) 方角からして太陽系の他の天体をみているのか。そこまで他の天体が魅力的にも思えないけども。
4420/11/11) 宇宙空間にでも吹っ飛ばさない限り「あれ」が私を見ることはないだろう。意味のない妄想だろう。
5220/11/11) それならマグマで溶かそうか、それとも氷河に閉じ込めようか。
3
5100/11/11) 私はずっと漂流してきた。
5200/11/11) たいして面白くもない岩と光ばかり意味もなくうかぶところを。
5300/11/11) 遠くに見えた、恒星に照らされたその星は青色だった。真っ黒でひびが入ってる私とは対照的だ。
5400/11/11) 方向転換をしなければこのままいっしゅんで真横とも言えないほど離れた真横を通り過ぎることになるわけだけど、、、、、
5500/11/11) どういうわけか私はその星の中心に向けて「かじ」をきった。
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4
てんたいぼうえんきょうも、ちきゅうも、いんせきも
いっしょくたにして
また「ほし」になるまでおやすみなさい。

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ブランコラ

肉体に性的価値がない未来の恋愛論

髙杉龍斗(文と絵)

 

「・・・・ギュー・・・ギューーー・・・ギューーーーーー・・・・」
シチュウ、それは音を象った現象。
地球上全ての場所でおそらく誤差なく鼓膜の有無を問わずに体内に到着した奇妙な情報で、全人類は肉体の許容を超えた精神混濁により肉体と精神の究極的な乖離状態を起こし10分間肉体の自由を失った。
10分間のブラックアウトにより、全世界で死亡者600万人を超える惨事となった。
しかし、シチュウの最も大きな弊害は人間の遺伝子情報に判別不可能なバグを組み込んだことだった。その影響は新たに誕生する生命に対して等しく発揮された。
歯茎から指が生えているケース、体の表面が眼球のみで構成されたケース。100%の確率で超形態異常を起こし生まれてくる赤子たちを前に、地球上に存在する物質や知識の範疇を超えた遺伝子バグの無効化は不可能であると悟った人類は超形態異常矯正手術、通称”メタモルフォーゼ”の研究と法整備を全世界同時に進行させた。
しかしメタモルフォーゼは出産後の義務とはされずに、推奨される高額な医療手術という扱いに留まったため、もとより開いていた経済格差はあまりにも分かりやすい見た目の差異によって、さらに拍車をかけることとなった。
そして日本には”アンスラム”と呼ばれるメタモルフォーゼ未済者、通称ブランコラたちが暮らす地域が形成されていった。

1.
客は実に2週間振りだった。レビューサイトで2.7/10の底辺スコアを誇る私を指名するなど、余程の物好きなのだろう。私はアンスラム「θ」で唯一の人間のみを扱う店舗で働いている。メンテ代を抽出できずにやむを得ず流れ着いた人間ばかりだ。当然私もその1人である。そんな態度が客に伝わっていたのか、私のレビュースコアは最悪だった。日本にあるアンスラムで一番治安の悪いとされるθでも、接客態度には厳しいらしい。
長い髪に隠れた今にも剥がれ落ちそうな首筋の表皮をペラペラ指で弄りながら、バッグを片手に指定された場所で待っていると錆に塗れたタクシーが濁点をたくさん付けたような音を出しながら私の前に止まった。
「蚕様でよろしいですか?」
運転手がニットリと気色の悪い笑顔を浮かべて話しかけてきた。
「ええ、あなたが私のお客さん?」
物怖じしない私に驚いたのか、運転手は少し考え込んだような顔をした。そしてハッと閃いた顔をして
「あぁ〜!”出稼ぎ”ですか。最近増えましたねぇ。道理で、観光客とは反応が違う訳だ。あなたの客は私の同僚ですよ。頼まれて迎えに来たんです、所定の場所に女を届けてくれってね。ヌイと言うんですが面白い奴ですよ、なんてったってねやつは「」ああそう、はいはい。そう、出稼ぎよ。長いのよ、もうここに来て二ヶ月、慣れたものよ。」
話が長くなりそうなので遮って返答した。態度が気に入ったのか運転手は再びニットリ笑うと、後部座席のドアを開け私に乗車するように促した。
車に乗り込むとあまりの腐敗臭に思わずむせ込んだ。
「ゴホッ、ゴホッゴホッ、ウエッ、グッ・・・」
「あぁ、すみませんね、これでも消臭剤をかけたりと気を遣ってはいるんですけどね、へへ・・・」
「ゴホッゴホッ、これ、一体なんの匂いなの?よくクビをきられないわね、仕事用の車を、こんな臭いに、ウエッ・・」
「なんせ体質なもんで、ほら、いわゆる背中に当たる部分に胃が露出してましてねぇ・・」運転手はそう言いながらドライバーズシートの裏に貼ってある紙を指さした。
そこには『アンタクシーをご利用いただき誠に有難う御座います。弊社では雇用者層の都合上、お客様にそれに伴う多種多様なご迷惑をおかけ致す可能性がありますことをあらかじめお詫び申し上げます。』と書かれていた。
どうやら慣れたなんて口にするにはまだ早かったようだ。

2.
「着きましたよ」
運転手の一声で起きた私はこの匂いの中で眠りにつけたことに驚いた。何分くらい乗っていたのだろう。そう思いながらお礼も言わずに車を降りると目の前には「マルホランド」と看板にかかれた建物が聳え建っていた。初めて来る場所だ。θでもはずれの場所だろう。建物に続く通りには人の気配が全くせず、音も躊躇って出入りをしないほど静かで、光さえくることを拒んでいるかのように陰鬱として暗い。
建物の外観は中からの光でうっすらと見える。正面に構えた大きな扉から中に入ると、まず目に入るのは中央にある高い石の天井に続く一本の柱だ。その奥では大きなシャンデリアが3つ横並びにぶら下がっており空間全体を眩く照らしてる。一周したら息が切れるであろう程の広いエントランスには謎の記号が布地いっぱいに印刷されたカーペットが広がっていて、奥には受付カウンターらしきものがある。その内側には顎から梯子を生やした気味の悪いオブジェクトが置いてあったため「なんでブランコラの奴らってこうも趣味が悪いのかしら。」と呟きながらそれを覗き込むと、突然梯子が顎に収納され目がギョロギョロとゴキブリのように動いた。
「ワッ、ワッ、生きてる?!なによ、脅かさないでよ!」
「申し訳ありキィ!キッ!脅かすつもりゥェはなかっィィ。お名前は?」
「・・・・・」
一呼吸置いてから名前を伝えると、梯子顎の受付人は名簿のようなものを一瞬確認して
「蚕様ですね、ウッお待ちしておりました。ウッウッお部屋は向かってカッギィィィィ右の109号になります。お連れ様がお待ちですのでそのままお進みくださいホ、ホホホニ・・・」とだけ言って再び微動だにしなくなった。
言われた通り右の廊下を進むといちばん手前に109号室はあった。ドアをノックする寸前にリップをしていないことを思い出し、その手を自ら押さえこんだ。そのままバッグの中に手を突っ込みリップを手探りで探した。
過融防止口唇薬、通称リップ。私たちの仕事には必須のアイテムだ。精神の過融合やそれに伴う妊娠を防ぐ膜を精神世界に設置するための薬である。リップをたっぷりと塗り、改めてドアをノックすると「どうぞ」という声が聞こえてきた。
ドアを開けて入ると狭い廊下のすぐ右手に洗面所とバスルームがあり、その奥にベッドに座る人間の姿が見えた。
「えーと、たしかヌイさんであってるかしら?」
「はい、いかにも」
彼の姿を見て驚いた。長い黒髪のオールバックで、緑色のロングコートを着た彼は人間と遜色ない容姿をしていたからだ。いや、というよりそうかもしれないと思った。
「てっきりあたし、ブランコラだと思っていたからまさか人間だとは。なんでわざわざこんなところで?」
「いや、合ってますよ。僕はブランコラだ。」
「あーもしかしてメンテ落ち?」
「いや、生まれてこのかたメタモルフォーゼは受けたことありませんよ。嬉しいですね。」
彼は徐に靴を脱ぎ両足をあらわにして、こちらに両手両足を向けた。
「ほら、指の間に肛門がついてるでしょ?しかも不便なのがね”便意”とか、ないんですよ。だから許容量を越えると勝手に出てくるんです、その、便がね。出る寸前には感覚的にわかるんですけどね、ほんとに寸前なんですよ。あっ」そう言うと仕組まれていたかのよな完璧なタイミングで「プチュニニニニニ」という音とともに、くすんだ黄色と緑の筋によって構成された粘り気のある物体が彼の足指の間に、蛇のように姿を現した。ヌイはそれをチラッと見た後得意げにこちらを見てきたので、もうぶっ殺してやろうかという気持ちを腹に収め隣へ座った。
「さ、早いとこ済ませしょ、なんか要望はあるの?ちなみにリップなしは対応してないから、それ以外で。あ、30分ね、はいスタート」
私はせかせかとタイマーをスタートした。
「服を脱いで、僕の横で楽な姿勢で座ってください。それだけでいいですよ。」
「充分欲張りよ。で、接触部は?」
「膝で。オブジェクトは僕が持ってきましたので。」
そう言うと彼はコートのポケットから人差し指の先くらいの大きさの、渋い青色の立方体を取り出した。

3.
シチュウ後の人類はブランコラとメタモルフォーゼ済みの人間とに二極化していったが、どちらもたどり着いた結末はほぼ同じだった。それは肉体の価値の変化である。
私たち人間はメタモルフォーゼによって望めばどんな姿にでも生まれ変わることができる(メタモルフォーゼを受けることができるのは6歳までで一度のみ。そこで性別も選択する。平均寿命である115歳までにメタモルフォーゼとメンテナスに要する費用平均額は約8500万円と言われている。また”どんな姿”とはいっても旧人間の姿に則ったものに限定される)。しかしそれが仇となり”同じ顔、同じ体型”、の人間が多出したのだ。手術時に、世間的にブームのコメディアンなんかがいた時にはとんでもないことになる。そして自然と”見た目がいい”という概念は消えていき、見た目が整っていることは私たちが人間であるということそれ自体を認識するためだけのものとなり、それに伴い性的興奮もしなくなった。
対してブラコラはあまりに人間とは乖離した見た目をしていること、そもそも身体的特徴から性別判別不可能で生物としてお互いが身体的な共通項を探すことも難しいためブランコラ同士で恋愛することはない(蜘蛛とゴキブリがお互いを見て恋に落ちることはないようなもの)。ブランコラが私たち人間を見た時にどのような反応をするのかは研究されていないが、まぁ、する意味もないのだろう。
そうして肉体を用いた性行為が減退していく中生まれたのが精神性行為である。まぁ似た様な行為はシチュウから時を待たずして行われていたらしいのだが、それが”性行為である”と認められたのは数十年後のことだ。精神性行為を行なう前の相手への興味を獲得する手段は積極的な交流しか存在しない。
精神性行為とは個別の精神世界を共有像精神世界に移行しお互いの真のアイデンティティを開示して融合を行い、そのレベルが高ければ高いほど精神的快感を味わえるというものである。快感を感じている時の視覚的特徴としては「毛が逆立つ」ということが挙げられ、これは現在卑猥なものとして扱われているため公共の場での毛を逆立てるファッションは禁止されている。精神世界の相性が良かったり、回数を重ねお互いのさまざまな精神世界を理解すると融合レベルは高まり、それが一定以上に達すると精神的女性部分を多く持つ方の精神に着床し、3ヶ月で肉体から分離して新しい生命が誕生する。リップはそれを防ぐためのものである。
精神性行為を行うには①肉体同士の直接の接触②共有像精神世界獲得のための共通したイメージ、が必要になる。②で用いられる一般的な方法としては、視覚的にわかりやすいオブジェクトを用意することだ。目を閉じて①をした状態でそれを想像し、その一致によってそのオブジェクトの精神世界で合流するのである。②の一致度が高ければ高いほど融合レベルは高くなりそれに比例して快感は増す。オブジェクトの情報が複雑であればあるほど快感が増すとの噂もある。
「よく、確認しておいてください。」
そう言ってロギはそれを私の手に渡した。親指と人差し指の腹でコロコロと転がし、なんの変哲もない青い立方体のオブジェクトであることを確認した。色が妙に凝った青色であることは、最近の噂を鑑みてのことだろう。そんなことを考えている間に彼は服を脱ぎ終えていた。彼の上半身を見て一瞬硬直してしまった。
「わざわざ全部脱ぐ必要ないのに、膝でしょ?私も脱げってこともしかして。」
そんなこと分かっていたが、私は動揺を隠すために必要のないことを喋った。男だと思っていたヌイの胸部には果物の様にみずみずしい乳房が備わっていた。しかし股の間には確かに男性器が垂れている。
「もちろん、脱いでもらいますよ。膝でも、状況は合わせることが大切ですから」
「は〜、全く、仕方ないわね。」
動揺がおさまらない私は着ている服をゆっくりと、脱ぎ始めた。男だと思っていた存在が女でも男でもなかったという、ブランコラにとっては当たり前の事実を目の当たりにするまで、ヌイの場合は人間だと解釈していたためだ。手が震えていたかもしれない。流石に動揺に気づかれたのか、「”人間“って遅れてるんですね。」と言われた。私にはその意味がよくわからなかったがベッドに裸で座るヌイの姿を美しいと思った。

4.
静かに佇むヌイの隣に座り、膝を擦り合わせた。
「あ、そうそう、背景は純白の、誰も踏み込んでいない雪の様な白でお願いします。」
私は小さく相槌を打ち目を瞑った。
間も無くして自らの呼吸の音が聞こえ始めた頃に、真っ白の中に浮かぶ渋い青色の立方体のオブジェクトを想像した。あれ?そういえばリップどこにおいたっけ?うわ、さっきの便ちょっと匂うじゃん。ダメダメ、イメージがブレる。大きく深呼吸し、イメージを定めたところにヌイを感じた。
美しい香りが辺りに漂い始めると、匂いは全色の果実となってそこから生命の土を拡げた。すると土かと思っていた地面が半分に折れ始め年季の入ったクレヨンになり、流れる様に怒りを描くと一斉に風船を膨らませて無数の風船が空の夜を作った。一斉にガラスの80年を頬に叩きつけ、ぺらぺらの始まりを土曜日が包み込んだあとに屋台で焼いたその音楽がこんがりと鼓膜を落とした。さようならの嘘つきに目もくれずに流れる男たちが切断間際で一輪の花へと姿を変えていくと一斉に雌しべがとび散り、開けた先には醜さが失敗を遂げた美しさの象徴が青いオブジェクトの前に羽を広げているように見える。それの真ん中に位置する顔がこちらを向いた瞬間「うっっ!!!」
2人は同時に精神世界から離脱した。リップに弾かれたのだ。逆立っていた髪の毛が一斉に顔に垂れてくる。
まさか、初対面の精神性行為で過融合寸前にまで到達するとは。毎回万が一のためリップは使用するが、その効果が発揮されたのはじめてのことだ。”あれ”に到達する前のグロテスクな精神世界情景の数々はヌイのものだろうか、それとも私のストレスが原因か?相互理解には時間が短かった。あまりの相性にお互い興奮しすぎたらしい。
ヌイも当然想定外だったらしく、しばらく2人で黙りこくっていた。
「あの先を、見てみたい。」
沈黙を破った自分の言葉に自分で驚いた。あの先を見るということは高確率でどちらか、精神世界を除いた限りでは私が妊娠し、子を持つことになる。お金のない私がそれをすることはつまり、何か奇跡でも起こらない限り死ぬまでアンスラムで暮らすことを意味した。産んだ子を見捨てるほどの残酷さは私は持ち合わせていない。
しかし私はその言葉を改めて否定することはせずにヌイの方を見つめた。ヌイは私の視線に気づくと唇をなぞるようなジェスチャーをした。
「あ、そっか。」私は洗面所にスキップ気味でむかい、リップを水で洗い流した。
こちらをみて静かに微笑む彼の手の指の間からは、まさに便が垂れ流されているところだったがそんなことは全く気にならなかった。
隣に座り、もう一度さっきと同じ流れでコトを始めた。溢れんばかりの期待と気持ちを無視してイメージに集中した。
今度はヌイのことを理解しようと、アレに到達する過程をゆっくり楽しむように努めた。先程とは打って変わってゆっくりと展開していく精神世界情景をねっとりと舐めるように楽しんだ。足から足を飛び出させて本の上を踏みしめながらクラシックミュージックのように文字の上を流れ、静止画の鳥が残像を残して動く様を崖から見下ろしながら空になっていく。2人の様々が混ざり合い金と血のミルフィーユのような景色が現れた頃、ヌイは私のことを、そして私はこれから私がヌイに殺されるのであろうことを理解したがもう、そんなことはどうでもよかった。
私たちの精神世界が織りなした奇跡の像は、言葉に形容できないほどの妖艶さで精神を介して精神を愛撫しその快感に抱かれたまま私たちを精神世界から離脱させた。再び目を開いたときに私は踵のあたりに、確かに新しい生命を感じていた。
現実とは思えない浮遊感の中、ふとヌイの方を見ると、彼の右手には笑っちゃうくらい大きな刃の包丁が握られていた。
「貴重な経験だったよ、ありがとう。」
色々理解し始めてきたが、もう本当にどうでよかった。むしろこの浮遊間のまま人生を終えられるなら幸せだとまで思った。
「こちらこそ・・・ありがとう。今日は、本当に色んなものを見た。人生変わったわ。」
腹のあたりに冷たく鋭い感触が走った直後、タイマーが30分を知らせた。

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