【資料】13人の大工

まず私たちが二つの家をつくりたいと思っているとしよう。この目的のためにそれぞれ一三人の職人から成る二つのグループを雇い入れる。

一方のグループでは、一人の職人をリーダーに指名し、彼に、壁、水道、電線配置、窓のレイアウトを示した設計図と、完成時からみて必要な注意が記された資料を手渡しておく。職人たちは設計図を頭に入れ、リーダーの指導に従って家をつくり、設計図と資料という第二次記述によって記された最終状態にしだいに近づいていく。

もう一方のグループではリーダーを指名せず、出発点に職人を配置し、それぞれの職人にごく身近かな指令だけをふくんだ同じ本を手渡す。この指令には、家、管、窓のような単語はふくまれておらず、つくられる予定の家の見取図や設計図もふくまれてはいない。そこにふくまれるのは、職人がさまざまな位置や関係が変化するなかで、なにをなすべきかについての指示だけである。

これらの本がすべてまったく同じであっても、職人はさまざまな指示を読み取り応用する。というのも彼らは異なる位置から出発し、異なった変化の道筋をとるからである。

両方の場合とも、最終結果は同じであり家ができる。

しかし一方のグループの職人は、最初から最終結果を知っていて組み立てるのに対し、

もう一方の職人は彼らがなにをつくっているのかを知らないし、それが完成されたときでさえ、それをつくろうと思っていたわけではないのである。

観察者からみれば両グループとも家を建てているのであり、観察者は最初からそう思っている。

しかし後のグループの建てた家は、観察者の認知領域だけにある。

最初のグループによって建てられた家は、観察者のみならず職人の認知領域にもある。

コード化の仕方は明らかに二つの場合では異なっている。

実際前者のグループの場合、本であたえられた指令は、観察者が第二次記述するのと同じように家をコード化している。職人のコードの解読作業は、第二次記述された最終状態の構成に接近するよう、ものごとを合目的的に行うことである。家が職人の認知領域にもあるというのは、こういう意味である。

もう一方の場合では、十三人の職人にあたえられる同じ本のなかの指令は、家をコード化していない。これらの指令は、変化する関係の道筋を構成するプロセスをコード化しており、この変化の道筋がある条件下で遂行されれば、結果として相互作用領域をもつシステムが成立する。しかしこの相互作用領域は観望する観察者とはなんら本質的な関係をもたない。観察者はこのシステムを家と呼ぶはずであり、これこそ観察者の認知領域の特徴である。だがこれはシステムそのものの特徴ではない。

一方の場合コード化の仕方は観察者によって描かれた家の第二次記述と同型であり、事実この第二次記述を再現してもいる。この例は、観察者が自分自身でつくり出すシステムをコード化する典型例であり、

もう一方の例は、遺伝子や神経システムが有機体や行動をコード化する事例である。ここでのコードには第二次記述との同型性はなにも見つけられない。それというのも第二次記述は、観察者が結果として生じたシステムと相互作用し、そこからつくられているからである。そうだとするといったいどのような意味で遺伝システム、神経システムは環境にかんする情報をコード化していると言いうるのだろうか。情報の概念は、観察者が規定する選択領域で、観察者がもつ行動の不確かさの度合いにかかわっている。そのため情報の概念は観察者の認知領域だけに応用される。だからせいぜい言えるのは、遺伝システムや神経システムが成長や行動へと向かってコードを自己解読しているかのように観察者からみえるとき、実際にはそれらのシステムが自己特定化によって情報を生みだしているということである。

『オートポイエーシス 生命システムとはなにか』
H.R.マトゥラーナ/F.J.ヴァレラ 河本英夫訳
p.235-236