震災の体感が残る2011年4月、日常的にマグニチュード9の地震が襲う環境に暮らす仮想人類「なゐ族」の都市、家、日常を考える短いワークショップを行った。
防災を考えるのではなく、環境に適応する人間側の変更、すなわち新しい身体、意識、技術、制度などを考えてみようという主旨だったが、世界の物理法則まで変えてしまうアイデアが百出。以下は、オートポイエーシス論第0回オリエンテーションの時間20分に、学生諸君が走り書きしてくれた空想の数々だ。
防災を考えるのではなく、環境に適応する人間側の変更、すなわち新しい身体、意識、技術、制度などを考えてみようという主旨だったが、世界の物理法則まで変えてしまうアイデアが百出。以下は、オートポイエーシス論第0回オリエンテーションの時間20分に、学生諸君が走り書きしてくれた空想の数々だ。
口上
たまたま台風の日に生まれたある生物個体の寿命が一日だったとしたら、彼にとって馴染み深い自然は台風だ。自然とは環境と適応の関係であり、どんな環境も「なつかしい自然」になり得る。
であるなら、もしわれわれの住む地上が、日常的にM9クラスの地震に見舞われるとしたら、それを自然とするヒトも可能ではないか。その場所で、人間はどのような生活、文化を築くだろう。調理器具、テーブル、食器、寝床、椅子、家、飛行機、工場、物流、お店、農耕、発電、交通機関、ライフライン、メディア、都市はどう可能か。
音楽はどう演奏され、絵画はどこに掲げられ、恋愛はどうなるだろう。
あらゆるデザインが問い直される。
土地の境界や所有、国家の概念も変わってくる。この思考を通して、いま自分たちが信じている美しさや良さの基準が、いかに恣意的な可能性の一部にすぎないかを気づく契機になるし、また実際これから災害とつきあっていく日常を再デザインするためのヒントも生まれるはずだ。
。