rhizome: 本棚

未知領域の古書

ついに閉店する古書店の天井近くの黒塗りの書架に聞いたことのない時代の聞いたことのない美術潮流の棚があり半額で放出しているのだが未知領域すぎて本を選びようがなく途方に暮れるそばから確信をもって希少な一冊をかすめ取っていく青年がいて残念きわまりない。

(2017年9月25日)

大正時代の恋文

部屋にあった持ち物が、公園に晒されている。見慣れた書架に値札がついている。なにかの手順のような抽象的な概念も、滑らかな黄色いプラスチックの塊で売られている。所有物を売るときにいつも陥るあの逆説的な思い、この机が一万円なら自分で買うかもしれない、というあの後悔が湧いてくる。
ポジフィルムを透かすライトボックスに目をつけた客を、それはもう使いみちがないから、と追い払う。古い木箱を開けて整理を始めた野知さんは、書類に挟まって死んだ虫とそれに群がる赤い蟻を払いながら、大正時代の女が書いた熱烈な恋文の束を読みふけっている。それぞれの返信がどうしても読みたいが、返信はこの女の骨董市まで行かないと読めない、と野知さんが言う。

(2015年3月31日)

必読書の樹

鮮やかな蜜柑色の皮膚をもつ子供を膝に乗せて、彼に絵本を読ませようとしている。彼は親戚たちの会話に退屈しきっていたので、部屋を埋め尽くす僕の本棚に目を見開いている。しかしそこにあるのは、インターネットにある表紙ばかりの本で、取り出しても中身がない。せめて彼の人生のために、ある本の表紙から次に読むべき数冊の表紙を次々と配置していき、ついにいま僕が読んでいる本にまで至る経路の樹形地図を作った。

(2013年3月16日)

火山岩に埋もれた古本屋

坂道のたもとで、美大生がガラス板に山火事の絵を写生している。しかし山火事はどこにも見当たらない。見渡す限り青いガラス質の火山岩が、ただごろごろところがっているだけだ。
坂道を登りつめたところに、古本屋がある。人がやっとくぐり抜けるほどの木枠の出入り口が五つあり、そのうちのひとつに靴を脱ぎ、中に入った。黒く燻された古民家の本棚を一通り漁り、そろそろ出ようとするが靴がない。ここは入った口とは違う敷居だ。靴を脱いだ出入口がどこにあるのか、迷路のような内側からは見当もつかない。ガラス窓の外を見ると、美大生の描いた山火事がどんどん迫っている。

(2008年11月27日)

木偶スナイパー

公園の木材チップから作られた表面が滑らかなA4の紙の束を注文すべきだったのに、ざら紙のA5の束二つと間違ってしまった失態を責められているのだろうか。理由がわからないまま付け狙われ、姿を変えてどこまでも追ってくる「ヤツ」から逃げている。一見、関係のないふりをしている通行人の背中から木製の銃口が出てきて、こちらを狙い撃ちする。木偶(でく)の通行人に化けた「ヤツ」に飛び掛ると、簡単に二つにへし折ることができたのだが、ただの材木の束になってしまった「ヤツ」は、今度は突然炎をあげたりして、執拗な攻撃をしかけてくる。図書館の本棚の上面に並べられた、A4やA5の用紙の束を蹴散らしながら、マブチのモーターだ、マブチのモーターさえあれば助かるのに、と思う。

(2003年1月26日)