rhizome: 記号

瓦落多の馬場

自動改札を詰まらせてしまった子連れの女の傍らに、改札装置の内部に詰まった瓦落多を駅員が次々と取り出しては積んでいくので、見る見るうちに背丈より高い山になってしまう。申し訳なさげなその女と、僕は目を合わせないように隣の改札を通過し、エスカレーターで高架のホームへ向かった。しかしあの百円玉や針金細工や半濁音や冠詞の混じった瓦落多は、写真に撮っておくべきだった。
高田馬場のホームはミルク色に沈殿した霞に浮いていて、毎日の利用者でありながら異様な標高に足がすくむ。ミルク色に沈殿した雲海から突き出す建物の影はそれぞれでたらめに傾斜しているので、垂直に立っていることができない。タイル貼りのベンチの背に手をついて恐る恐る移動していると、改札の女が軽やかに行く手をよぎり、彼女のふくらはぎに躓いてしまう。

(2012年9月23日)

二つの太陽

子供は部屋で古いデジカメをおもちゃにして遊んでいる。太陽が二つあり、まだ沈んでいない片方は宗教団体が作った人工の太陽で、電球色の表面に動画が仕組まれている。女は30日のパーティーのために、古い高層建築の最上階にある魚屋で買い物をしている。30日に来る男のために女が昂っているのを僕は知っていて、変わった生魚の切り身を前にしながら嫉妬で機嫌が悪い。子供がおもちゃのピストルで遊んでいる隣の部屋で、僕は女と二度目のセックスをしようとしているが、女の股間は○と×の記号が縦に並んでいるだけで、○をいくら舐めても彼女に次の発情がやってこない。多夫多妻を推奨する宗教のせいで、みんな気持ちが変わってしまった。ひとりの女にこだわる時代遅れの感情をどうにかしないと、いろいろなことがうまくいかない。いつのまにか帰宅した父が女と関係していることを僕は容認していて、しかし意外に若い父の勃起を目の当たりにすると、許せない気持が沸き起こる。女は次々と過去の恋人を自分の動画に重ねては取り替えている。相手が誰に定まるわけでもないのに、彼らが僕を話題にしながら裸体を重ねることを想像していたたまれなくなり、二つ太陽のある夕暮を散歩しようと自分の靴を探しはじめる。

(2007年2月20日)

粉の鍵

要塞のように入り組んだ地下の一室で、髪を丁寧にオールバックにした石井裕、その娘、僕の三人でテーブルを囲んでいる。
隣接した電算室には中国人の技術者が一人、別の部屋には何人かの乳児と保母。機密が漏れてはならないと、石井は声を潜めて新しい認証システムについて説明し始めた。
「この鍵は、粉でできている」彼はガラスの小瓶を示した。
「この粉の瓶を金庫に挿入し、しかも粉の組成を正確に言い当てないと、鍵は開かないのです。たとえば草、花、木、というように」
娘が弁当箱大の容器に入った白い顆粒に液体をかけると、一瞬青白い光を放ち、液の中で草や花や木の記号の形をした小さいゼリーが浮遊しはじめる。これがパスワードなのだ。
娘が「ねるねるねるね」と言いながら混合物をかき混ぜると、形は壊れて糊状の塊になった。
「この糊を乾燥させると、……粉になるわけです」
僕はこの卓越したアイデアに感動しながら、しかし心のどこかで「何かが冗長だ」と思っている。

(1997年2月15日)