rhizome: 水中の生物

四面楚菓

ミジンコの透き通った体に葛きりを詰めた四面楚歌という菓子を売り出す計画を友人たちと練っている。

(2016年5月8日)

バイオアート

久保田晃弘さんの講義に遅刻して潜入し、空いている最前列の長机に座ると、いきなりビーカーに入ったオタマジャクシ状の塊を渡され、コンピューター内の変換表によって蛙にする方法を考えろ、という課題を出される。隣に座った二人の女子はリス語で相談を始めたので、それを真似て会話に混じろうとすると、豚肉を食べてる人はどうしても発音が濁る、と言われる。

(2013年9月18日)

藻類標本小屋

ぜひ見せたいものがある、と黒人の庭師に案内されたのは広い芝生の隅にある黒く塗られた小屋だった。持っていたノートを芝生に置き、上下に開くガラス窓を開けるのに手を貸すと、小屋の中にはさらにもうひとつ小屋がある。中の小屋から屋根を外すと、それは木の水槽だった。なみなみと張られた水はなぜか絶えず流れ、世界各地から集められた水藻が糸見本のようにたなびいている。集まってきた女子高校生たちが「わあ綺麗」と声をあげるが、暗く絡まり合う藻は美しいというより恐ろしい。
そろそろ講義が始まる時間なので、と言ってその場を離れるとノートがない。高校生のひとりが遺失物として届けたと言う。彼女に案内されて教務課に出向くと、薄い和紙をカットして作ったシールを受領証明としてノートに貼らなくてはならないと言う。安齋というアウトラインフォントの複雑な不要部分を剥がしながら、申し訳ないけれど授業が始まるからと、撚れた齋の字を無理やり手で押さえつけた。

(2013年8月23日)

ThinkPadの川海老

ThinkPadの深いディレクトリに、ここで見せるべきプログラムが入っているにもかかわらず、その起動方法がまったく思い出せない。ディレクトリを一段降りていくたびに、記憶が朧げになる。なかばやけになって、キーボードの下にあるもうひとつの蓋をあけると、小箱のような水槽から川海老があふれてしまっている。いくつか手で掴んで戻すが、ほとんどは動きもせず死んでいるようだ。こんな作りじゃ、鞄の中で水がこぼれてしまうじゃないか、と、いい加減な設計者に対する怒りがこみ上げてくる。

(2005年10月11日)

素数の病

病気の子供を背負っている。病巣は分数の分子に潜んでいて、もし3/27のように約分できれば、ほとんどの病巣は消えてしまうだろう。しかし彼の分母も分子も素数なので、手の打ちようがない。途方にくれて子供を背負っていると、水辺の砂に子供を落としてしまう。子供は水の中で胎児にまで退行し、砂に紛れて見つからない。傍らの少年が簀子の下に手を入れて探してくれたのだが、水中で砂が舞い上がり、貝類のようになってしまった子供はますますどこかに紛れてしまう。

(2002年7月5日その1)

退化する猿

突然、彼女は着替えをはじめた。こんなチャンスはめったにないのに、僕はこの部屋に居続けるわけにはいかないのだ。すぐにでも猿のところに帰って餌をやらないと、猿が飢え死にしてしまうからだ。後ろ髪を引かれる思いで、僕は部屋を後にする。
道々すれ違った杉山教授が、片手に鮭の入った握り飯をいくつか持っている。僕がせがむと、杉山教授はしぶしぶひとつ分けてくれた。
猿に鮭の握り飯を与えると、彼はまたたくまに平らげた。そして、その瞬間から彼の退行がはじまり、順次下等な生物に変身しはじめ、ついには数ミリの二体のホタルイカになってしまった。王冠状の足が互いにかみ合いながら美しい光を放っているのを、僕は悲しいような嬉しいような気持で眺めていた。

(1997年6月2日)