旅先の売店で、デジタルカメラの蓋をあけてしまう。あわてて閉じたが、フィルムを巻き戻す前に蓋を開けた自分が信じられない。遠くのベンチに座っているSamに、現像に出しちゃまずい写真を撮っていないか聞くために近づくと、Samの顔がどんどん別人になるのは被写界深度が浅いせいだ。どっちにしても被ったフィルムでしょ、と別人のSamが言う。
rhizome: フイルム式カメラ
マゼラン雲銀座
上板橋の南口銀座からは、南半球でしか見えないマゼラン雲が見える。南口銀座の中ほど、おでん種の店で売られているゆで卵は、見た目よりやや青白くデジカメに写る。スペクトルの青方偏移を見るためにフィルムを装填したいのだが、デジタルカメラの裏蓋を開ける機構がどこに隠れているのかわからない。古書店の廉価本コーナーに座っている釣り堀のおやじは夕焼けを眺めながら、いつものおかしな息継ぎもなしに「マーラーはこの曲がり角でときどき火事に出会う」とつぶやく。
廃屋火事
地面を這うように自生した金木犀の草には、橙色をした拳大の巨大な花がびっちりついている。薔薇の花を育てている小学生たちや、金木犀の写真を撮っている青年など、路地裏の人々がゆっくり時間を過ごすなか、観光客のように歩いている僕とRは異質なよそ者だ。しかもRが薔薇の花を一輪手折ってしまうので、僕は小学生たちの視線が気が気でない。
広場の縁にある二階建ての廃屋から火が出ている。上手に焼けてしまえば解体する費用が浮くので、持ち主にとっては好都合なのだろうと思いながら眺めていると、二階部分に溜まった大量の水がいっきに溢れ出して火を消してしまう。二階の窓から覗いている人形のなまめかしい首を撮りに行こうとRが言う。火事があった部屋とは思えないまっさらな畳の部屋に寝転びながら写真を撮っていると、僕のカメラはメカ部分が壊れてしまう。Rが自分のデジタルカメラから不要のカットを一枚取り出して捨てると、ポジフィルムには人形の全身が写っている。
アナログカメラ同好会
ビルの一フロアに匹敵するほど広いエレベーターがたどりついた階は、ゴザを敷いて陣取りをした花見客や家族連れが寿司詰めになっている催事場で、子供たちは福袋の棚に神経を集中させ、大人たちは軽快な音のする機械式シャッターを空押しして、旧式のアナログカメラを自慢し合っている。場違いであることはすぐに了解した。僕の胸に下がっているのはニコンの最新のデジタルカメラで、ここは古いアサヒペンタックスの同好会なのだから。いまさらなんでこんなレトロなカメラなのかと、ややあきれた気持をいだきながら、デジカメを悟られまいと隠しつつ前を見ると、会長と思しき老人がしゃべりながらうずくまって眠ってしまう。聞いている人々も大半は眠っていて、会長の突然の睡眠を奇異に思う人はいないようだ。レトロな同好会なのだから、これも仕方ない風景だ。