rhizome: 絵

画素格子

絵を拡大していくと画素の中に絵がありその画素の中にも絵がありさらにその中にも絵がある映像を投影して、世界はこのように無限の細部があるのになんで単層のつまらない絵など描くのか、と口走ってしまう。講堂を歩き回りながら、こんなふうに煽るつもりはなかった、連画について話しているのに、このままでは収拾の見込みがない、と思い始めたところで高野明彦さんがマイクを取り、持参した試料にガイガーカウンターらしき装置をあてたので、僕はこの窮地を切り抜けることができた。装置はあちこち光りはじめるが、しかし装置がα線源に反応しないのを僕は知っている。

講堂の灯りが揺れはじめた。次第に振幅が大きくなる。僕は外に出て財布やノートを置いてきた山岳地帯のガレージをめざして走った。地すべりも始まり、ここで自分の命を優先するか荷物を優先するか、迷いながらも崖をくりぬいたガレージに来てしまう。崩落した画素の格子に閉じ込められた男がいるのを見て、荷物はもうあきらめるしかないことを悟る。

(2012年8月20日その2)

偶然の小冊子

とっておきのプレゼントを勿体ぶって手渡すにはあまりにも騒々しい集会場で、僕はなんとかこの本との偶然の出会いを感動的に伝えるべく演出するのだが、なかなかうまくいかない。近くの古本屋で偶然手にとった小冊子はあきらかに学生グループの手作りによる小品集で、葉書ほどのさまざまな紙にさまざまなスタイルの絵が描かれている。危うくばらけそうな本の造りに惹かれ、たまたまひらいたページに懐かしいスタイルを発見し、作者の名前を見ると中村理恵子と書かれている。二束三文の値段がつけられたこの本を買い、一刻も早く報告したい気持をおさえてここまできた。しかしこの喧噪のなかで、当の作者の反応はいまひとつで感動がない。自作品への嫌悪なのかたんなる照れなのか読み取れないまま、ともかくその古本屋へいっしょに行き、まだいくつか潜んでいるかもしれない同類の本を探すことになる。
マンション脇の坂を登っていくと、外壁に組まれた丸太の足場から黄色いロープがいくつも垂れていて、たくさんの子供たちがその危険な遊具に張り付いて遊んでいる。

(2001年7月15日)

夢中対話

久しぶりに、寺門孝之さんのアトリエに遊びに来ている。僕はノートにメモをとりながら、彼と話している。この会話の内容は、あとでインターネットにのせなければならないと思っている。彼は、自分の中にはもう他人がいないと言う。数年前に、自分の作風なんてたくさんの他人が流れ込んできたものだ、っていう話をしたはずじゃなかったか?と僕。彼は、ここ数年篭って絵を描き続けてきたので、自分の絵はもうすっかり自分だけになってしまった、と言う。

(1997年3月25日)