西池袋の急な坂を登りつめたところにあるレストランで会食をしている。向こうのテーブルにあった牛蒡のウナギ巻きを食べ損ねたので、もう一度注文しようとすると、サイモン・ラトルの髪をした稲垣さんが入ってくる。僕が彼を紹介しはじめると、別の友人が別の紹介を始め、かみ合わない。稲垣さん本人が黒板にところどころ空欄になった文章を書き始め、空欄のまま成り立つ文なのだと言う。
rhizome: 池袋
鬼子母神簡易宿泊所
交差点の四つの角のうちの三つに、僕らはそれぞれ腰かけて、音楽と自己組織化について話をしている。お互いの表情は遠くて見えないのに、小さい声はすぐそばに聞こえる。音の反射が音の虚像を作るんだよ、と虚像のikegさんが言う。
鳥居が並ぶ鬼子母神脇の道端は、区画ごとに布団が敷かれた宿泊所になっていて、時計はまだ九時で帰れないこともないのだが、今夜はここに泊まることにする。
道端の布団でくつろぎながら、感情の幾何学について熱弁するkazetoに、君の研究は非常に重要だとエールを送ると、彼はさっと手をあげて帰っていった。鬼子母神の赤い木組みの迷路に紛れ込み、待ち構えていた内田洋平らしき僧から梅酢と出汁で煮込んだ山芋をいただく。
池袋高原
泥まみれの絨毯のように重なりあった何頭かの牛が、地面に貼りついた頬を動かして何かを食んでいる。池袋に三か所しかない眺望の開けた高地のひとつにたどり着いたものの、この古い民家の中に入らないと遮られた絶景を見ることはできない。
屋敷の玄関に向かって進んでいくと、意図に反する何かが軌道をずらし、床下に紛れ込んでしまった。湿った縁の下に住んでいる老婆が僕と連れの女に呪文をかけたので、僕らはブランクーシの抱擁の形で一体となり、床下の地べたに投げ出されたままぐるぐる回りはじめた。どうあがいても、ふたつの不随意筋の絡み合いがほどけることはない。
老婆が不意に靴下を脱いで、農作業で変形した足と、そこに貼った木片を見せた。大工の墨書きがそのまま残る粗末な板が痛々しく、同情をこめて痛くないのか尋ねると、木は木に貼ってあるだけなので痛くないと言う。
僕らはそろそろ退散しようと、散乱した自分の持ち物を、木のリコーダーは木のリコーダー同士、同類のものをまとめはじめると、ころころと落ちた何か小さい持ち物を女の子が持ち去ってしまう。机の下を覗きこむと、小さな動物になった女の子が、赤地に白い水玉模様の菓子をラッコのように胸の上に乗せ、舐めている。
探すために探す自転車
久しぶりに出会ったprotonとは話すべきことが限り無くあるのに、pは携帯電話で母親に九時に帰る約束をしてしまった。もう時間がない。家に送りながら夢中で話しているうちに、ふと西池袋界隈でpを見失ってしまう。
僕は夢中でpを探し始めるのだが、pを探すための自転車を探さなくてはならない。なかなか駅前の自転車置き場にたどり着けない。ガクランを着た大男が振り返りざま、この道を誰の許可を得て歩いているのかと凄む。そういえば昔、西口公園に自転車を乗り捨てたことがある。行ってみると、意外にも放置されたままの自転車を見つけ、試しに乗ってみると前輪がどこかに擦れて動かないのは昔のままだ。ボルトを外して組み立て直すと、見事に動きはじめた。
これに乗ってpを探しはじめることができる。達成感に満たされながら、人影も疎らな夜の街をあてどなくただ走っている。